2006年01月14日

2002年旅日記その11

●あとがきにかえて


これは書いておかねばという点がいくつかあるので付け足すことにする。

旅をして分かったこと。東京の夏が一番暑い。京都も暑かったけどまだ吹き抜ける風が心地よい。東京の不快な暑さときたらない。今回泊めていただいた方々の家にはほとんどクーラーというものがなかった。さすが環境系。それでも寝苦しいということはなかった。とりわけM御殿は快適だった。そのかわり移動中の鉄道内の冷房にはこたえたけれども。

あらためて気づいたこと。地方に行けば行くほど、「自然」に帰れば帰るほど自動車が不可欠でること。滞在先からちょっとした用で外へ出たいとき、車がないとかなり不便。そんなことあたりまえだと言われそうだが、あえて「そうでない生活環境」を求めたい。

屋久島でのこと。民宿の食材買足しにつきあわせてもらったが、車で片道1時間弱平気でかかる。それを毎日のように繰り返している。聞いてみたら1ヶ月のガソリン代が10万円を越えるときもあるという。経済的にも環境的にもマイナスなのは言うまでもない。

沖縄の車社会は有名で、かなり依存している。離島などにいくととにかく歩いている人がいない。道を尋ねようにも人に行き当たらない。自転車に乗っているのさえ自分も含め観光客ばかり。沖縄の場合、その理由は、「とにかく暑い日中ぷらぷら歩いているなんてバカである」というストレートなものであるが、鉄道がないという実際的な理由にもよる。

「沖縄路面電車友の会」はハイテク路面電車LRTが沖縄の風土にふさわしいのでは、と提言している。LRTそのものを見たことがないので思いきったことは言えないが、渋滞でのイライラはウチナンチューには似合わないし、可能性は感じられる。この続きは「移動」というテーマでいずれ議論したい。

一宿一飯のお礼をQ払いでできたことが今回の旅を可能にさせた、といっても言い過ぎではない。18切符、屋久島、沖縄でかかった円経費を別にすれば、本当にQ頼みの無銭有Q旅行であった。そんなこと実際できるの?と疑う人がいれば、試しにNの取引履歴を見てみんしゃい。

最後に、NAM代表のTさんからは旅先に何度となく電話をいただいた。地域系九州の様子を気になさっっているらしい。電話先でのTさんのあの独特のお声にはとても励まされ、「繋がっている」という実感が持てた。この場を借りてお礼を申し上げたい。


おわり

  

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2006年01月13日

2002年旅日記その10

●那覇、そしてナンクルナイサ~ 9/8~9/9


空港カウンターで空席案内を問い合わせる。羽田直行便があるという。とりあえず予約する。

沖縄のNAM会員に会いたかった。調べると2人本島にいるらしい。メールを出し会いたい旨を伝えてからかなりたつが返事が来ない。どうしよう。

再度、那覇乗り継ぎの便を捜してもらう。あるという。料金を聞くと予約した直行便より約1万円高い。

宿に帰る。しばらくすると、那覇のMさんから「時間があれば会いましょう」とのメールが届く。よし、決まり。本島に一泊しよう。

那覇で待ち合わせ。Mさんは福祉関係の仕事をされているパートナーの方を連れていらした。Mさん自身はイベント関係の仕事をするかたわら舞踏のダンサーをしているとのこと。NPO関連の知り合いを紹介したいということで、歩行者天国の国際通りでイベントをやっているところへお邪魔する。

Mさんの説明によると、那覇のメインストリート国際通りもここ数年客離れが深刻らしい。新興都市北谷などへの人口流出、昨年の9.11以降の観光客離れが主な原因と言われている。その対応策としてのイベントだそうだ。

イベント展示場で紹介されたのが、地域通貨「しおせん」運営委員のメンバー。
http://users.hoops.ne.jp/utina-hour/)
「ちょっとした助け合い」や環境や福祉、文化などの価値を交換する。地域は沖縄全域。紙幣方式で利用期間は2ヶ月。まだ実験段階。9/6現在会員数29名。「しおせん通信」という会報を毎月発行。いくつかの環境、福祉NPOのメンバーが集まって立ち上げたという。エコマネーになるのか、地域通貨に発展するのか。この辺が今後の課題ではないか、との印象を持った。同時に、その地域に必要があって立ち上げられた地域通貨であれば、その可能性に自分も協力できればという気にもなる。

その後、那覇市NPO活動支援センターという、県庁に隣接した事務所に場所を移してゲリラ的にQレクチャーを敢行。かなり興味深く聞いてくれる。「沖縄初のQ会員になるぞ!」とMさん。

国際通りはこれまで何度か訪れているが人でゴミゴミしているという意味では東京と変わらず、利便性以外に魅力を感じたことはなかった。でも久しぶりに通りをぶらついてみると、「なつかしいなあ、帰ってきたぞ」と、やたら親しみを感じる。

ふと、目につく。スターバックスだ。国際通りにあったかな?と首をひねりMさんに聞いてみると、まだできて1,2ヶ月だそうだ。客は結構入っている。不愉快だ。あの周辺の喫茶店が一軒、また一軒と閉まっていくのを想像すると腹立たしい。

Mさんその他NPO関係の方々と交流が持てたことは個人的にとても収穫だった。
沖縄が少しだけ近くなった気がする。

夜、亡き友のご両親の家に一晩お世話になる。


そしていったん東京に戻る。
  

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2006年01月12日

2002年旅日記その9

●ばっしらいん宮古 9/3~9/9


鹿児島空港~那覇空港~宮古空港と乗り継ぐ。窓から見える宮古島は見事なまでに真平ら。きたきたきた!この暑さ、でゅお~んとした空気。これだよこれ。やっぱり沖縄だね。この高揚感は沖縄を訪れるたびに訪れる。何だろうね、これ。

さっそくSに紹介してもらったゲストハウスへ。この宿がどうもいけなかった。ハズレってこと。なにせオーナーはじめ長期滞在者のほとんどが関西人なのだ。スキューバ関係の若者ばかりでそいつらがよってたかって関西弁。おれは、あの、相手を包み込むようなぐにゃ~っとしたシマコトバに飢えているんだ、それを聞きたくてきたんだ、それがどうしてよりによって沖縄で関西弁にまみれなきゃならないんだ!

とりあえず自転車を借りて近くの海へ。それから遠出して風力発電所を見にいく。宮古島は自然エネルギーのモデル地域になっている。離島での環境政策にも興味があった。そのあたりを見ておきたかった。

沖縄地方に台風16号が接近しているという情報は屋久島にいるときから知っていた。やれやれ、あんな宿で何日も閉じ込められてはたまったもんじゃない。ということで他の宿を探す。

それにしてもその夜の星空といったら。沖縄の星空は何度も見てきたが、宮古のはこれまでで間違いなく一番だろう。星の数がとにかく夥しい。嘘みたいにリアルだ。


4日、空港近くの宿に移る。静かにすごせそうで一安心。



早過ぎる桜が咲き乱れる直前、3月の終わり、唯一の友を突然亡くした。

かけがえのない、友と呼べる友を。

変わらぬ日常の時間、確実にそいつのいない時間。

異なった二つの時間の同時進行にそれ以来混乱し続けてきた。

途方に暮れてきた。

その穴埋めはできない。

したくもない。

でも、この日常というやつは得体が知れない。


こいつがいなくなったのなら、もう何をしても同じことだ
こいつがいなくなったのなら、もう何をしてもいいのだ



そう。

これからはそうするのだ。

だから宮古島出身のそいつの生まれ育った場所に行く。

全部すっ飛ばして行く。

これまでのおれはチャラにする。

そうしないと何も始まらない。

いや、そうしたからといって何が始まるわけでもないかもしれない。

だがそこに辿り着かないと。

そうしないわけにはいかない。


東京~宮古は直行便が出ている。

3時間ちょっと、あっという間。

だけどそんな簡単に行くわけにはいかない。

もっとゆっくり、じわじわと近づくのがふさわしい。

自転車で行こうという無謀な計画も、せめて自分の肉体を痛めつけてやろう、

という、やつに対するセンチメンタルな罪滅ぼしの情がなかったとも言えない。



そいつの街に近づく。

このあたりのはずだ。

数年前に沖縄本島に居を移したご両親に電話をかける。


「おかあさん、まだちゃんと家は残っていますよ」

「残っていますか…、そうですか」



台風16号は本島、久米島付近で停滞していた。とにかく進まない。閉じ込められた宿のテレビは被害の大きさを伝えていた。

5日、6日、7日と長期化していたが、宿の中でふさわしくすごす。



さて、どうしようか。これからどうしようか。
  

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2006年01月11日

2002年旅日記その8

●N宅@鹿児島 9/1~9/3


フェリーで再び鹿児島へ。お世話になるのはNAM環境系、そしてK市議のNさん。これまでさしたる交流がなかったにも関わらず急な押しかけを承諾していただいた。もちろんお会いするのも初めて。Nさんは議員活動と同時に長年続けてきた市民運動の一環として、地元玉里団地で地域通貨EARTH(あーす)立ち上げに関わるなど精力的な活動をされているという。以前からお会いしたいと思っていた。

実際のNさんは、さわやかさと暑苦しさが揚棄し合う九州男児といえばよいか。ご自宅にお邪魔すると夫人(NAM会員)が笑顔で迎えてくれる。何だか知らないが美男美女のカップルである。

「地域通貨について語ろう」という主旨でNさんがあらかじめ声をかけて駆けつけた女性を交えての交流会。夫人の手料理をいただきながらNAMのこと、Qのこと、Nさんの活動のことなど、話が弾む。市議の職務で朝から番まで休む間もなく忙しい日常のため、NAMにはなかなかコミットできていない。にもかかわらず少なからず関心を持ち続けていることが窺がえる。心強い。

食事後、即席でQレクチャー。みなさん興味深く聞いてくれる。「まだQに入っていない、これから入ろうと思っていたので参考になる」とN夫妻。同席された女性はごく普通の上品で美しい方なのだが、それにも関わらずQやNAMについて並々ならぬ関心を持っている様子。こういう方にこそQに入ってほしい。来た甲斐があるとゆうものだ。

2日は夜からNさんが主催に関わる「辺見庸講演会」に参加する。「わたしはブッシュの敵である」のコピー以来、慣れない講演活動で全国を回っているという。会場は地元の老若男女で満席状態。

「人間はどこまで非人間的になれるのか」。繰り返し逸見氏は問いかける。アフガンから持ち帰ったクラスター爆弾の破片を会場にまわす。体内から取り出すことを容易にさせず肉体的苦痛を増幅させる悪意の仕儀。実際に手にとってみる。そのギザギザ。重さ。狡猾な理性的デザイン。忽然と怒りと悲しみの感情が押し寄せる。これが戦争であり、これが人間である。

講演会後の打ち上げにも参加。地元の様々な活動をされている方々と短い時間ではあったが交流することができた。Nさんに感謝。挨拶で地域通貨Qのことについて触れると何人かの方から声をかけられた。地域通貨についての関心の高さが窺がえる。女性の市議の方からは、環境問題に絞った地域通貨を立ち上げようとしている、今後よろしくお願いします、と言葉をいただいた。
辺見氏には常にまわりを人が囲み、Qパンフを渡せなかったことが残念。強面とは裏腹にほどよく酔いのまわった氏はかなりシャイなオッサン。

最後に、二晩にわたって得体の知れない闖入者を快く迎えていただいたN夫妻に改めて感謝。夫人の細やかでさりげない気配り。熱いパートナーとの連携プレー。とても居心地よくリラックスさせていただいた。  

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2006年01月10日

2002年旅日記その7

●ついに屋久島に来た! 8/24~8/31


屋久島についてはとてもではないがうまく書けそうにない。

鹿児島港からフェリーで宮之浦港に着いたとき、どしゃぶりの雨だった。島自体に興味があったのは無論だが、出きるならば星川淳さんに一度お会いしたかった。あらかじめその旨のメールを送り承諾していただいた。でも会ってどうする?何を話す?何か話があって来たのではないのか?いや、ただ、会いたい。というか話が成り立つかどうか想像できない。迷惑な話だ。でもOKしてくれた。それに頼って行くしかない。

宿を予約する。カフェスローのYさん、Tさんが馴染みにしている民宿「S荘」に決めた。バスに揺られ1時間弱で到着。雨はまったく降っていない。これが屋久島の気候か。Yさんの紹介と告げると歓迎される。

星川さんに電話すると、これから温泉に行こうとのお誘い。「えっ…、はい!」
お会いしていた時間について、どう書いても今はうまく現せそうにない。今回の旅の経緯をかいつまんでお話ししたとき、「うん、直感で動いたほうがいいよ」と仰った。その言葉が何よりも深く心内に食い込む。あんな風に優しい目をした方を見たことがない。

25日は「S荘」の息子さん、東京からのIターン者でガイド修行中のYクン(カフェスロースタッフK君のともだち。K君は屋久島エコツアーを企画中)の案内で白谷雲水渓に登る。「もののけ姫」のモデルで有名になったコース。苔が光っている。オソロシイ。

息子さんは東京で鮨職人を長くしていたがつい最近屋久島に戻ってきた。といっても故郷が恋しくなって、とかいうことではなく、むしろ消費と個人生活が守られる都会のほうが性に会っている、と言う。かたや、東京でサラリーマンをしていたときから足繁く屋久島に通いつめていたヤックンは、屋久島の自然をこよなく愛している。ガイドとして多くの人にその良さを伝えたい。屋久島に骨を埋めるつもりでいる、という。UターンとIターン。そうだ、おれは循環しながらも絶えずその環の中からはみ出すQターンを目指そうか。

26日~30日は秘密のログハウスでほぼ1人きりの生活。トイレがないので野糞。そこへ台風15号襲来。閉じ込められる。旅の疲れがたまっていたのが不幸中の幸いとして、何することもなくじっとしている。外は嵐。興奮したヤクザルが屋根のうえを行ったり来たりする。停電。ワイルドでいこう!

30日。ようやく台風が過ぎる。フェリーの欠航が長引き宮崎串間へ同行できなくなったとN氏に断りの電話を入れる。いいかげん食料も尽きてきた。「S荘」に電話してまた泊めてもらうことにする。「どうしたのか心配してたのよ」おばちゃんは暖かく歓迎してくれた。

おばちゃんとは、屋久島のこと、「S荘」のこと、ナマケモノ倶楽部のこと、地域通貨のこと、などじっくり話す。「S荘」を民宿に止まらず、地元の者とよそからやってきた人たちがいっしょになって屋久島のよさを伝える、守る、その拠点にしたい。自分はその思いが強いがどうすればよいかアイデアが浮かばない。若い人たちが中心になってやってほしい。そのための場所は提供する。N君、ずっとここにいていろいろ手伝ってほしい。おばちゃんの熱意、屋久島への愛情に強く打たれる。今後時間をかけて関わっていくことにしよう。

星川夫妻、そして「S荘」のみなさんには本当にお世話になった。そして屋久島は怖かった。  

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2006年01月09日

2002年旅日記その6

●Qレクチャー本番@熊本~福岡 8/18~8/23


M御殿からSの車(Mさんから円・Qでゲットしたらしい)で阿蘇のS邸へ。車中で映画「 I AM SAM 」のサントラCDをかける。心地よい。S邸でQ一宿一飯。

19日はS車で熊本県菊水町へQレクチャー。Mさんらと合流。古民家村というところではIターン者を中心に町おこしが行われているという。Mさんは「農のある暮し」をコンセプトに菊水を盛り上げていこうと張りきっている。Qもおもしろいんではないか、とM熱はさらにエスカレートする。

古民家村で木工職人として働くOさんの家がレクチャー会場。Oさんは東京からサラリーマンを辞めてIターンで菊水にやってきたという《菊水町木工館 ~100年後のアンティーク~ 》熊本県玉名郡菊水町江田302(肥後民家村内
 http://www5d.biglobe.ne.jp/~kikusui/)。

Mさんに声をかけられ集まった面々にQレクチャーする。モンゴルから神戸に到着、そこからヒッチハイクで菊水まで1日で辿り着いたというナマケモノ倶楽部会員。町おこしの中心人物で菊水町役場の方も熱心に聞き入る。O邸で一泊。

20日は古民家村へ。江戸時代の住居を移築、そのまま利用もできる。ひろい敷地に集落を復元したようでかなり本格的。周辺にある古墳跡を探索。この日はここにヘンプカー・プロジェクトが来るという。夜は古民家での交流会に合流。料理がうまい。Qに入ると言ってくれた町役場の方の取り計らいで参加費50パーセントがQでもOKと急遽決まる。これには感激!

A氏とはカフェスローでやった、「Qで映画が見られる スロー・ムービー・シアター」第1弾『「はるとのの』のゲストとして麻について語っていただいて以来。ユニークで継続的な環境運動を続けているその熱意には参考になる点が多々ある。このヘンプカー・プロジェクトにしろ、本当に全国まわってきたのだから頭が下がる。最後は星空の下、ディジュリドゥ、太鼓などで老若男女、地元者も東京者も流れ者もおおいに盛り上がる。忘れられないだろうなあ。

21日は夜、福岡のエコロジー・ショップ「エコラ」でQレクチャー。昼間にウィンドファームを訪れる。九州へ行くのなら必ず行きたいと思っていた
http://www.windfarm.co.jp/)。

Mちゃんの運転でMさんと水巻へ。ウィンドファームのYさんとお会いすることができる。YさんとはCDプレイヤーをQで取引したことがある。勤務中にも拘わらず、オフィス、焙煎室、倉庫と車で案内してくれる。こういったひとつひとつのプロセスが経由されて南米とわれわれが繋がっているのだ、と思うにつけスタッフの日常業務に感謝。最後にYさんがオープンされたログハウス「土夢創舎」という珈琲画廊へ案内される。奥さん、お子さんが、何か本当に自然な風を受けながら生活しているという印象を受ける。

それにしてもYさんはスローな方である。お会いできて本当に良かった。尚、この日手渡されたYさん編集の「エコロジーの風」最新号にはM特集、Tさん~YさんのQ往復書簡が掲載され、またこの号からQ百%でも買えるようになった!スゴイ。

いざ、エコラへ。とんこつラーメンを食べて出陣。エコラの店長、Oさんは既に容易万端で待っていた。20名前後の参加者を前のQレクにはさすがにこちらも背筋を正される。エコラ周辺の方々ということでエコ系が多いか。

途中、いらしていた地域通貨「よかよか」をたちあげたH氏が「よかよか」メンバーと共に「よかよか」の紹介をされる(http://www3.coara.or.jp/~yoka/)。
H氏は「パン屋のお金とカジノのお金はどう違う?」(オーエス出版、1500円+税)を出版され、特にアルゼンチンRGTの現地取材をされている若き専門家。短い時間だが交流が持てた。

今回の収穫は地域の地域通貨?の実際を見る機会が持てたことだ。考えてみればQが始まってえらそうにレクチャーなどしたりまでしているものの、本来の地域通貨の生の現場がどんなものなのか、ほとんど知らないできたわけだ。ただ情報としてインプットしてるだけにすぎない。その場所で必然性があって立ちあがった地域通貨は、逆に顔の見える関係を武器に、それにこだわったほうがおもしろそう。そういった実感を伴って初めてマルチレッツを想像できるのでは。このへんの妄想がいっきに沸きあがってきた。「よかよか」の人に1人でも多くQに入っていただきたい。

参加者の何人かから、「地域通貨はボランティアの良さをなくしてしまうのでは…」とのよくある指摘をいただいた。おそらく市民運動をされてきた方なのだろう。「ボランティア」の良さ。その背後にあるのは、一部の運動家が拠り所にしている過剰な善意の押し売りであり、「無償の行い」であろう。そんなことは本来強調することではない。そうせざるを得ないところに彼らの狭さがある。

このQレクチャーは勝手にやっている。Q管理運営委員会に依頼されたわけでもない。そもそもQ管に属してもいない。私は単なる一Qユーザーにすぎない。やりたいからやっている。楽しいから。自由意志というのがボランティアの意味ではないのか。

レク終了後、参加してくれたMさん、地域系九州連絡責任者のFさん、農の探求者・Tさんらを交えてオフ会。九州Qイベントを本格化させる意味での初の話し合い。いろいろな意見が出される。レクチャーが終わってどっと疲れが押し寄せてきた。こんなに疲労を実感したのは久しぶりだ。「疲れたでしょ?」とMさんが心配そうに声をかけてくれる。そういうMさんこそ疲れているに違いない。それでもとても充実した表情をしている。「やってよかったね」とお互い目配せする。Mさんが見守ってくれていたのは心強かった。Fさんはイベント関連の仕事をされているということで今後頼りにしたい。

Tさんと共にOさん宅にQ泊。しみじみと語り合った後ようやく眠りにつく。

22日、疲れがとれずOさん宅でもう一泊。快適。もちろんQ一宿一飯。

23日は博多~鹿児島を鈍行の旅。屋久島に行くためには鹿児島に一泊しなければならない。NAM会員・Nさんの紹介で地元で長年消費者運動をしている方の御宅に一泊する。感謝。まったく見ず知らずの人のところにお邪魔していきなり泊まってしまうのだから我ながら感心する。  

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2006年01月08日

2002年旅日記その5

●M御殿@福岡 8/12~8/18


朝7時に京都を出て鈍行列車を乗り継ぎ博多駅についたのは夜7時、ちょうど半日かかったわけだ。MさんとはNAM全国大会以来の再会を果たす。さっそうと元気そう。

車で移動。やがてその場に不似合いで怪しげな堆積物が暗闇から姿を現す。「おぉー、あれがM御殿か!?」横で得意げに頷くMさん。「M御殿」とは、某所山林に輸出入用コンテナを三段積み、中を室内空間として仕上げた奇才・Mの意欲作である。室内は新築の住居そのもの。ただし、水道・電気・ガスのライフライン無し。これから1週間、Mさんにお世話になりながら、このスペースをほぼ1人で独占するのだ。

近くの井戸水からポリタンクでくんできた水を飲料水、トイレの排水用として小川の水を使用する。いやでも無駄遣いをひかえるようになる。Mさんが用意してくれたカセットコンロでご飯も炊ける。簡単な調理もできる。充分ではないか。夜はランプと蝋燭の火のみ、暗くなるとなにもすることがない。猪が出没するという周囲がよけいそれらしく感じられる。それでも意外なことにとても涼しくすっかり安眠できた。

一夜空け、Mさんの仕事に同行する。Mさんの樹木医としてのキャリアには前から興味を持っていた。「無人精米所で無料米ぬかを貰うのを手伝わされたり、堆肥の品温測定に同行させられたり、土の団粒構造とミミズについての講釈を聞かされたり」貴重な体験をさせてもらった。樹木医という肩書きはどうやら嘘ではないらしい。M家で奥さんの暖かい手料理をいただいた後温泉へ。いい湯だ。

14、15日はMさんが帰省するため完全にひとりぼっち。読書に耽る。こういう生活に憧れてたんだよね。


16日は太陽光・風力発電トラストのNさんと佐賀駅で会う。Mさんも同行。駅近くのファミレスで話を聞く。話し出したら止まらない、話の展開についていくのが精一杯。

Nさんの一貫した姿勢を要約すれば、①日本の補助金制度を批判することに見られる公平性、公正性を訴えていること、②そのために設置時費用を参加者全員が共同でもち、発電電力を系統に繋げ社会に供給すること、③そうした枠組みとして発電原価保証策を提案、ということになろうか。

NAMエネルギー・プロジェクトを実行するうえでアソシエートすべき人物としてN氏に注目したのは、氏の言動が「批判」に裏打ちされた紛れも無い社会運動としてあるからである。今回快く時間をつくっていただき直接お会いし話が伺えたわけだが、氏の真摯な社会運動家(NAM的な要素を含んだ)としての試行には改めて刺激を受けた。

正直言って小規模な自然エネルギーの市民発電所をつくったとして、たとえ地域通貨Qをそこに導入できたとして、ちっぽけな電気を発電しただけの自己満足に終わるのではないか、という危惧が自分の中にはあった。シンボル的なものに終わるだけで、実際やる意味があるのか?そういったもやもやはNさんの思考を飲み込むことで見事に払拭された。市民発電トラストは、批判に基づいた対抗運動足り得るのだ。

Nさんにはこちら側の素案も聞いてもらった。地域通貨を用いること、NAMについて一定の評価をしていただいた。やってみるべきだ、と言っていただいた。ただ、あまり閉鎖的になるな、とも釘を刺された。やはりNAMはそんなふうに写るのだろうか。N氏が強調する社会性に地域通貨Q経済圏がどれくらい肉薄できるか、問題はこのあたりにあるように思えた。Nさんとは後日宮崎串間発電所へのお誘いをいただいた。とてもありがたいお誘いにもちろん承諾する。

17日はM御殿で初のQレクチャーを兼ねた「Nを囲む会」。山口から参加の声をあげてくれたKさん、福岡のYさん(お2人ともNAM会員)を迎えに博多駅に行く。Yさんは急遽仕事が入りM御殿に来る時間がなくなったが、少しだけでも顔を見せたいということで博多駅への車中で話をさせていただいた。ありがたいことだ。駅でKさんを拾い、M御殿へ。Kさんはエレガントな女性。近くはないお住まいからわざわざ来ていただいた。

地域系の会員はちょっとした機会さえあれば動きがある。MLでROMにしていてもNAMに繋がっている。それが実証された。東京や京都・大阪が「センター」である、という常識は以外に簡単にぶち壊すことができるのではないか。

今回の九州入りの大きな目的、これを見事にコーディネートしてくれたのは福岡在住のMさん。Mさんとはナマケモノ倶楽部仲間。以前カフェスローでやったNAM環境系主催「ソーラー・クッカー講習会」に福岡から参加していただき、その後のQワークショップでQに入会してくれた、とにかくエネルギッシュな女性。Qを魅力的に語らせたら今、まちがいなくMさんが一番だろう。それほど熱く語る。NAM会員以外でこれほどQに入れ込んでくれた方もいないだろう。それが何よりも嬉しか
った。そのMさんから九州でQレクチャーをやってくれないか、との熱いお誘いがあった。行かないわけにはいかない。今後のQイベントは非NAM会員が中心になって実施されるべきだ、と思っていた自分とも方向が一致している。Mさんとは、なんか、うまく言えないが物事がスムーズにいくような気が最初からした。

MさんとMさんをアソシエートしたい。M御殿の情報を送ると案の定興味を示してきた。そのMさんが友人2人(農のある暮らし関連)を連れてやって来た。みんな、M御殿を気に入っている模様。簡単に自己紹介しながら四方山話。そこへSことTさんが阿蘇から到着。SはMさんのコーディネートで即阿蘇へ移住してしまった。Mさんを紹介したのは自分で、これも全てQがなした業といえよう。う~ん、オソロシイ。

そろそろ日が翳ってくるころ、最後のお客さんが到着。佐賀、三瀬村で農業を営むAさん。名刺には「自然卵と究極の野菜 百姓 ~」とある。かっこいい。大病をされた後日本全国を放浪し、現在のポジションに落ち着かれたという経緯、太陽光パネル、バイオマスなど農業以外にも自給型ライフスタイルを追求している現在もまた興味深い。話をしていると常に目が輝き活き活きとしている。地域通貨に興味があるので参加したい、ということで来ていただいた。

部屋が暗くなるまでQレクチャーをする。みな熱心に聞いてくれている。すぐ入ります、とAさん。「Qには入るつもりでいたが、よくわからないところもあり今回のレクチャーを聞いてからにしようと思っていた」とKさん。Mさんのお友だちもさんざんMさんから聞かされてきたのか好意的に聞いてくれる。M御殿でこのような意義のある時間と集いがもてたことにMさんも喜んでいる様子。

この晩SもM御殿に一泊する。  

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2006年01月07日

2002年旅日記その4

●G宅@京都 8/5~8/12


浜岡原発のある菊川駅から同じく東海道線で京都へ。

夕方到着、Gさんと再会。Gさん宅には1週間もお世話になるわけだが快く承諾してくれたことに感謝、感謝。

次の日Gさんといっしょに自転車で Dに向かう。いよいよ噂のヘアーサロンにお目にかかれるわけだ。

う~ん、なんか納得、Gさんらしいお店か。雑然としたなかの雑然。思わず描写を禁欲せざるを得ない非秩序。お客さんが来る。切れ目の見えないおしゃべりのあと、ふいにカットが始まる。慣れた手つきを拒絶した一期一会の主客崩壊。

午後Fさん来店。初めてお目にかかる。これぞ関西人。何故か妙に間が合う。Gさんと3人で8日にソーラー・クッカー・ミニ・ワークショップをやろうという話に急遽決まる。今回の旅で持参してきたのだ。ダメモトでMLに情報を流す。

翌日はOさんが車でディープな京都を案内してくれる。可愛い息子さんを連れてきた。Gさんといっしょに車に乗る。お奨めの高山寺、そして定番・金閣寺を散策。Oさんからランチをご馳走になる。このレストランが隠れた名店の趣。Oさんは本当に趣味がいい。

その翌日は Dでソーラー・クッカー・ミニ・ワークショップ。大阪からFさんとHさんが参加。のほほんとしたHさんはFさんとは別の意味でまた関西人らしい。ソーラークッカーは調理したものをおいしく食べて初めて納得する。Gさんは買ったばかりのビデオカメラでさっそく撮影。

10、11日は大津での「2002市民共同発電所全国フォーラム」に他のNAMメンバーらと参加。環境系エネルギー・プロジェクトのために価値のある集いであった。太陽光・風力発電トラストの仕掛け人・Nさんとは是非コンタクトをとりたかった。改めて佐賀で再会するアポをとる。

フォーラムの後、Oさんの車で南無庵へ。関西オフ会へ突入。Oさんが用意したそばを食べたあと、ざっくばらんに語り合う。東京以外でNAMのオフ会に参加できるとは何ともいえない。つつがなく段取りしてくれたOさんに感謝。

Gさんと行動を共にすると1日がやたら長く感じる。いや、実際長いに違いない。それにしても本当にお世話になったものだ。他者への細かい気遣い、自己への大雑把な振舞い。恐るべしGワールド。
  

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2006年01月06日

2002年旅日記その3

●平和の集い@浜岡 8/3~8/5


S宅から次なる目的地へ移動。鴨宮から東海道線で静岡県袋井へ。

浜岡原発へはもともと行こうと思っていた。東京がヤバイという意味のひとつは、東海地震&浜岡原発のセットがあるからだ。こうなったら東京だけでは済まない。関東、中部、北陸、関西、みんなヤバイ。確実にヤバイ。反原発を口にするなら直接現地に行かなければ話にならない、とも思っていた。そしてそれは正解だった。

そんなとき「平和の集い」なる反原発イベントが浜岡の近くであるというニュースを遺跡仲間のドレッド・Gちゃんから聞かされる。「ワッキーさん、行ったほうがいいよ。(山口富士夫も出るし、(内田)ボブも出るし、ナナオ(サカキ)も出るらしい。オレも行けるかも~」。さっそくSさんにネット検索してもらって情報を入手する。

さらに風の噂でSチャンもこのイベントに行くらしい。Sチャンは数年前とても仲の良かった遺跡ともだち。しばらく連絡が途絶えていたが電話番号を調べて連絡する。

「おぅー、久しぶり~、元気~?」
「平和の集い行くらしいねえ?」
「そうそうそう、いっしょに行かない?Mちゃんていうフリマで知り合ったともだち
といっしょに行くの」
「いいねえ」
「あたしがテント持ってくからいっしょに入ればいいじゃん」
「ラッキー!それじゃよろしく~」即決定。
現地で落ち合うことにする。

降りたバス停から会場のデンマーク牧場までは歩いて1時間以上かかるらしい。炎天下重い荷物を背負って歩いていると、タクシーが追い越していく。後部座席から誰かが手を振っている気がした。いい気なもんだ。ふざけやがって!

ようやく会場につき三々五々テントが張ってある丘陵地を登っていくと、向こうで手を振っている。Sチャンだ。久しぶりの再会。

「タクシーから手を振っていたの分かった~?」
「何をー!あれ、やっぱりそうだったのか…」
「紹介するね、Mちゃん」
「初めまして、よろしく」
Mちゃんはアジアをまわりながら写真を撮って、井の頭あたりのフリマで売っていたりするらしい。

3人でテントを張った後、出店のほうに行ってみる。近づくと野外ステージでの演奏の音が聞こえてくる。

「やってるやってる~」
さらに先に進む。路上で居眠りしているヒッピーたち。あれ、Gちゃんじゃない?
「ぁあ~、ワッキーさん…」
昨夜の最終電車で駆けつけ眠くなったらしい。

次々と演奏は続く。今日のトリは山口富士夫。ドラッグで捕まってはムショとシャバを行ったり来たりしている。ステージはさすがのド迫力だった。

テントで夜を明かした次の日、シンポジウムと野外ステージを行ったり来たりした。シンポジウムでは間伐材家具の職人、古紙リサイクル、社民党北川れんこさんの有事法制についての話などに参加する。場所が離れているせいもあるが、シンポジウムと野外ステージでは集まる者がはっきりと分かれてしまっている。シンポは年配でちょっとおかたい運動系の人々、ライヴはお祭り気分のヒッピーたち。このへんはイベントとして一工夫欲しいところ。両者が交差しなければ意味がないでしょ。

この第二夜、野外ステージの最終夜のトリを飾るのは内田ボブ。知らない人が見れば完璧にアル中のレゲエジジイ。昼間からべろんべろん。でもひとたびステージに立つやがっちりと悠然とメッセージを伝える。初めて聞いたがなかなか素晴らしい。Sチャン、Mちゃん、Gちゃんも盛り上がってる。

Gちゃんはその夜相乗りの車でそそくさと帰っていった。明日仕事に出るらしい。いかすヤツだ。

テントでもう一晩夜を明かし、次の朝帰りの仕度をする。イベントはまだ続くのだがSチャンたちがもう帰るというのでそれに合せることにする。でもかんじんの浜岡原発にこちらは行かなければならない。

帰り道、ショーちゃんと名乗るドレッドのおじさんと意気投合する。60歳過ぎてからドレッドにしたという奥手のヒッピー。かなりシャイである。仕事もやめて伊豆の山奥に暮らしているという。オレも家を出てきたんだというと、どんどんそうしたほうがいいよ、と激励される。

これから後は環境系MLに投稿したものがあるのでそれを貼りつけることにする。

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「平和の集い 東海地震の前に、浜岡原発を止めよう」(8/1から8/7)に参加してきました。エッセイ風にまとめてみました。


イベント自体はキャンプしなからのステージ有り、シンポ有りのお祭りであり、かなり楽しめた。全国からヒッピーたちが集まり、NO NUKES ONE LOVE の声のもとに一体となっていた。

次の移動先京都へ向かう前にどうしても原発そのものを見ておきたくなって、同行していた女の子二人と別れ、ひとり逆方向へ進路を変えることにする。彼女たちとはお祭りをじゅうぶん楽しんだじゃないか。あとは「祭りのあとの静けさ」に向かおうではないか。

駅から1時間半バスに揺られる。目的の停留所で降り、先へ進むと何軒かの民宿の看板が目に付く。原発は人里離れた僻地に建てられるのではなかったのか。「浜岡は本当にいいところなんですよ。原発さえなければ・・・」シンポでの地元住民の声を思い出す。稼ぎ時のはずなのに客の気配はない。

横のゲートから「浜岡原子力館」に入る。いきなり風力発電を見上げることになる。けっこうな音がする。隣には「新エネルギー館」が。要するに原発と自然エネルギーを併置させることによって「クリーンさ」をイメージづけたいのだろう。東京電力のテレビCMでもやっていた見え透いた手口だ。

原子力館の中に入る。原子炉の原寸大の模型が正面にそびえている。そばには放射能チェックの通用口が。実際そこを通り抜けると数字が出されるようになっている。子供がおもしろそうにくぐり抜けていく。とてもじゃないが試す気にならない。温排水と取水の温度差を体感させるためにそれぞれの水温に調節した水槽が並べられている。両方手を付けてみる。温排水の生ぬるさがなんとも気色悪い。ボードにはこう書いてある。

 温排水の利用
温排水は魚や貝を卵から育てるのに利用することができます。このような研究を行っている静岡県温水利用研究センターが、当発電所の東隣りにあります。


温排水の温度の差に適応できず死滅していく水中の生物がいる。海の生態系が壊されてしまうことが危惧されているのではないか。これまたなんたるカモフラージュだろう。

それにしても家族連れの客が目立つ。それもそのはず、同じ館内に「オムニマックスシアター」、「プレイゾーン」、「エネルギーマジックショー」などといった娯楽施設が併設されているのだから。これらで家族を引き込み、ついでにSFXかなにかのような実物大の模型を見せつけ、楽しいもの、親しみやすいものというイメージを植え付けるわけだ。暗然とさせられるのは、まわりの家族連れが実際それらを楽しんでいることだ。

「建設中五号機の見学バスツアーがただいま実施されています」館内アナウンスが耳に入る。いい機会に恵まれた?ものだ。身分証明書の提示の後、バスは出発する。バスガイドまでついている。

「これから発電所敷地内に入ります。ゲートの前に警察官が警備していまして物々しい印象を与えてしまうかもしれませんが、これは昨年の同時多発テロ以来、テロ対策として厳重な警備体制を敷いているからです。ふだん一般の方は入れませんがバスツアー期間内は特別に入ることができます。」

丘の上から建設現場を眺める。ちょうど昼休みが終わった作業員たちが持ち場に向かってぞろぞろと歩いている。

「現在作業員は2200名となっています。作業は七割方進行中であり、平成17年完成予定となっています。」ガイドは続く。「環境に配慮した中部電力では、五号機建設にあたって伐採した木を炭焼きの材料として再利用しています。さらに親子体験学習として実際に楽しんでいただくことができます。」

さらに地震対策の安全性など話は続く・・・


いったい彼女はこれまでに何回この呪文を唱えてきたのだろう。

いったい彼女はこれから先何回この嘘っぱちを説き続けるのだろう。

何年先かわからないがこの仕事から解放されたあと、忘れたくても忘れられない刻印されたこれらの長台詞に、いったい彼女はどれくらい悩まされていくのだろ
う。


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2006年01月05日

2002年旅日記その2

●出発、そしてS邸@小田原 7/31~8/3


出発前夜、ささやかな送迎会がカフェスローで行われる。Yさん、「マスコミ市民」のAさん、同僚のI君、そしてNAMからはWさんがわざわざ駆けつけてくれたのが嬉しかった。試飲を兼ねて出される上等なワインに気持ちよく酔う。

「移動するのもいいが根っことなり腰を落ち着けることのできる場所が必要だよ」というYさんのアドヴァイスが優しく身に染みる。

東京で生まれ育ったが、少年時代の度重なる引越し、転校が影響してかどうも定住生活に飽き足らず移動する癖がある。その後も東京中結構引越しをした。「ここにこのままずっと居続けてはいけないんじゃないか」強迫観念みたいなものが確かにある。

東京については愛憎相半ばする感情を持っている。地方出身者が安易に孤独を歌うのとはわけが違う。それにしても東京はもうとっくにヤバイ。かなりヤバイ。人生の残り半分を考えるとき、東京での生活にはクエスチョンがつく。そう、根拠地を捜すのだ。そういう旅にしたい。

カフェスロースタッフに送られ出発する。第1日目に泊まるのは小田原在住のSさん宅だ。中央線で東京まで、そこから東海道線で鴨宮まで。駅でSさんと会う。ソーラー・クッカー講習会、NAM全国大会に続いて会うのは3回目か。Sさん宅では主に環境系HP作成の構想を共に練ることにする。

「旅は始まったばかりですね」Sさんは常に相手の心情を慮った対応をするセンチメントを持った人だ。それとない気遣いをする。

Q一宿一飯の恩義にあずかる。  

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2006年01月04日

2002年旅日記その1

●序章


東京の家賃は高すぎる。払ってるのがアホらしい。もう金輪際払いたくない。どこかへ行っちまえ。そんな単純な動機から今回の旅は始められる。他にも目的はあった。NAM地域系の問題。東京、関西以外の地域ではどうしても分散しているためオフでの活動が行われ難い。それをそのままにしているわけにはいかない。地域通貨Qにしても然り。いや、むしろQの活動をとっかかりにNAM地域系自体も活性化するのではないか。よっしゃ、丁度いい、ついでにそのへんもやってしまおう。地域系東京はなんのかんのいって恵まれている。会員数は多い、オフ会が実施できる、人手不足といっても他の地域系はそもそも人が集まれないのだから。ではどこへ行こう?

沖縄フリークの自分としてはもともと移住計画も練っている。よし、決めた、沖縄!でも他にも気になっているところがある。福岡の樹木医・Mさんの「M御殿」だ。三階建てのコンテナハウスの情報が画像付きでNAM環境系MLに流されていたのを見て以来、素っ頓狂な人がいるもんだ、でも何やらおもしろそうだぞ、押しかけてやったら驚くかも、そうだ、行ってしまえ…。Mさんに私信メールを出したら承諾の答え。この人も同じバカモノらしい。とりあえずの目的地はこれで決まり。

とにかく円をなるべく使わない工夫をしなければ。交通費。馬鹿にならない。そうだ、オレは自転車好きだった。ワッキー2号も最近買ったばかりだし。行けるかな。そういう本格的なサイクリングってしたことないし、オレのはママチャリだし。…。いいさ、何とかなるさ。決定。自転車旅行。

さっそくその話を職場の遺跡仲間に話してみると、けっこう経験者がいることが分かった。いろいろ聞いてみる。最長でも京都まで。必ず途中で後悔する。箱根の山が難所らしい。岐阜はさびしい…。ちょっと怯むが、まあ、なんとかなるでしょっ。

休暇願いを上の人間に申し出る。もう少しいてくれないかと引き止められる。無理もない、実質、現場のアタマみたいなことやってるからね。そう言われてもこちらは既にアパートを出るのを決めてしまっている。社宅アパートに住んでいいからと言われる。そう、それならこちらもOK。1ヶ月出発を遅らせることにする。そのころには梅雨も明けているだろうし、自転車旅行、野宿にも都合がよい。

荷物はカフェスローの三階にQ払いで置かせていただくことになった。Yさんにはお世話になりっぱなしだ。その引越しの運搬もQでWANTする。車はHさんの愛車・スバルサンバ、運搬にカフェスロースタッフのH君とQ会員のTさんが申し出てくれた。感謝!以前カフェスローのスタッフにQアルバイターの提案をしたことがあり、H君はT君と共にその第1号。Q史上初の本格的アルバイターだ、と自慢げに語るナイスガイ。Tさんは、これも以前NAM環境系読書会の要約文作成をする人材が不足していて、やけっぱちで「外注」に出したところ2名の方から申し出があったうちの1人。私信でやりとりするうち沖縄好きだったり、同じ時期に東京を脱出するとかですっかり意気投合し、いっしょに酒を飲んだりして、その時福岡のMさんを紹介するのだが、これがその後Tさんの人生を変えることになる。TさんはMさんを尋ね、Mさんのコーディネイトにより熊本・阿蘇に生活の拠点を見つけ移住を即決してしまう。なんと迷いのないヤツなんだ。そして全てQ繋がり。

アイタタタ…。仕事の帰り、自転車に乗っていて突然左の腰が痛くなってきた。部屋に帰りそのまま寝込む。疲れていたのか眠り込む。しばらくして起き上がると再度激痛が。今度のはハンパじゃない。痛くてもんどりうつ。思わずうめき声をあげる。どうやらただの腰痛ではなさそうだ。ヤバイ。救急車を呼ぶ。…

尿道結石。水分不足、疲労蓄積により発症するという。そう言われれば相応の生活をしてきた。年齢的にも出やすいらしい(後から聞いた話では環境系のO氏、G氏も経験者とのこと、何と共通項の多い我々だ)。

これにより自転車旅行はあきらめる。どう考えても炎天下の長距離走は無謀だ。せっかくその日のためにM女史の旦那さんからロードレーサーをQで買うことになっていたのだが。Qが欲しいM女史は特に残念がっている。済まない。虹色ツーリスト・Mさんのアドヴァイスで青春18切符で移動することにする。もちろん沖縄へは飛行機で行くのだが。これにて準備万端だ。
  

Posted by 24wacky at 10:48Comments(4)TrackBack(0)2002年旅日記

2006年01月03日

予告・新年特別企画 2002年旅日記

このブログは昨年の8月から始めたわけだけど、これまで自己紹介的なことはあまり書いてこなかったような気がする。

これから10回ほど載せる『2002年旅日記』は、当時活動に没頭していた社会運動の組織 NAM(New Assosiationists Movement)の環境系MLに投稿したもので、東京~沖縄の軌跡、24wacky3はどんなことをしてきたのか、どんな人物なのか、そしてこれからどこへ行こうとしているのか、が分かる目安にはなるだろう。

沖縄に来て今年で3年になる。
自らのアリバイを精製して清々したい。


鉄は熱いうちに打て!

発酵はぼちぼちいい塩梅だよ

常に相手の胸元めがけて直球を投げ込む
のみならず
相手が投げ逸らした球を追い続けること
  

Posted by 24wacky at 12:37Comments(0)TrackBack(0)2002年旅日記