› 「癒しの島」から「冷やしの島」へ › 2006年11月2006年11月30日
市民によるジュゴン調査
「北限のジュゴンを見守る会」の鈴木雅子さんによる記事
市民によるジュゴン調査、訓練開始! ~やんばる素描2がJANJANに掲載されている。
現場の雰囲気が伝わるよいレポートだ。
ジュゴン・トレイルという食み跡を確認する
今回の目的が達成できたことがよく分かる。
市民によるジュゴン調査、訓練開始! ~やんばる素描2がJANJANに掲載されている。
現場の雰囲気が伝わるよいレポートだ。
ジュゴン・トレイルという食み跡を確認する
今回の目的が達成できたことがよく分かる。
2006年11月30日
『現代生協改革の展望』⑤
21世紀生協理論研究会編
大月書店 (2000.5)
通常1-3週間以内に発送します。
大月書店 (2000.5)
通常1-3週間以内に発送します。
5 「メタ協同」をめざす組織と運動
「メタ協同」をめざす起動力
「資本主義的株式企業も、協同組合工場と同様に、資本主義的生産様式から連合した生産様式への過渡形態とみなしてよいのであって、ただ、一方では対立が消極的に、他方では対立が積極的に止揚されているのである」
(マルクス)
つまり株式会社も協同組合も自由な労働者の連合(アソシエーション)への過渡形態なのだ。
株式会社が一方的に悪者で協同組合が良い者というのでもない。
もちろん株式会社は企業利益優先で労働者や消費者に対して非人間的な経営をする。
しかしそれに対し市民は批判できる。
そうすることによって企業の社会性をめぐる社会的な規範を形成していく。
それを公共性の形態を通じて民主主義的にコントロールしようとする傾向が強まるのである。企業批判の高まりは企業を社会的な存在とする認識の深まりを示している。株式会社が自己矛盾によって生みだす存在空間のなかにアソシエーションと民主主義を希求する運動とその実体的根拠がビルトインされているのである。
協同組合と非営利組織
それではここで株式会社以外に協同を目指す組織、
協同組合と非営利組織について整理しよう。
それぞれの領域は以下のように分けられる。
協同組合 商品の生産・消費
非営利組織 福祉・医療・教育・文化などの社会サービスの供給・享受
商品の生産・消費領域と社会サービスの供給・享受領域はまったく異なったベクトルの領域であり、そこに成立する組織も異なってくる。商品の生産・消費は表面的には私的領域の問題であり、社会サービスの供給・享受は公的 ( 社会的 ) 領域の問題である。前者には利潤を目的とする私的組織が、後者には秩序を目的とする公的 ( 社会的 ) 組織が基本的に対応する。そして前者の私的組織である企業への対抗組織として協同組合が形成され、後者の公的組織である政府や自治体の対抗・代替組織として非営利組織が形成される。すなわち協同組合は経済システムの一端としての貨幣資本循環を組み込んだ事業体・経営体の性格をもつことになり、非営利組織は経済システムとは異なって貨幣資本循環を想定しない互酬的な非経済組織の性格をもつことになる。
もちろん現実にはこの区別以外に両者には融合、連携がみられる。
「何よりも両組織は、企業と国家に依存せず、人格のシステムとして社会的な目的をめざして民主主義的で自立的な運動を進める点に大きな共通項がある」ことがポイントだ。
そしてこれらの運動の主体となるのが「市民社会」であると理論的にいえる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
自分が起業する上では、この融合、連携、
いわば中間領域を構築できないかという課題がある。
2006年11月29日
2006年11月27日
『ゆれる』

『ゆれる』を桜坂劇場へ観に行った。
脚本&監督で今どきヒット作が生まれる幸福に恵まれた西川監督の『ゆれる』。
その仮タイトルのような作品名が採用されてしまったのもまた事件といえる。
兄と弟、地方と東京にゆれる心情は恐らく作家にとって独壇場のものだろう。
低予算ゆえかチープなセットが目に付きやすい日本映画の中で
「腰の座った」美術、小道具を見逃してはならない。
蟹江敬三扮する弁護士事務所の窓外を走る京浜急行線の美しい赤、
儚い横断運動は、膨張し続け破裂寸前の帝都の静脈を想像させる。
2006年11月27日
『あんにょん・サヨナラ』

『あんにょん・サヨナラ』を観に行った。
11月24日
なは女性センター
主催:あんにょん・サヨナラ上映実行委員会
戦後=植民地解放から60年。歴史認識をめぐって繰り返される日韓の対立。しかしその中で必ず登場する「靖国神社」について、「よく知らない」という人がほとんどではないでしょうか?
本作品を通じて、歴史の真実を解き明かし、日韓市民の平和な未来を構築するための素材として利用していただきたいと願っています。
作品の主人公イ・ヒジャさんのお父さんは日本軍に徴用され中国で戦死。しかも、何も知らされることなく、お父さんは靖国神社に祀られました。「父の名前を返してほしい!」 靖国神社に父親が祀られているイ・ヒジャさんの思いとは何か。「父の靖国合祀が取り下げられるまで墓石に父の名前を刻めない!」イ・ヒジャさん の悲しみを通して、日本と韓国の辛い過去に向き合い、平和な未来に向けてどうすればよいのか考えていきます。
イ・ヒジャさんのお父さんは日本軍に徴用され中国で戦死。しかも、何も知らされることなく、お父さんは靖国神社に祀られました。「父の名前を返してほしい!」 靖国神社に父親が祀られているイ・ヒジャさんの思いとは何か。
というのが作品テーマでありそれは見事に表現されている。
さらに韓日の和解、連帯(の可能性)が「日韓共同ドキュメンタリー」
という試みにトライした製作者の強い思いとしてある。
それは沈痛なイ・ヒジャさんの表情が日本の支援者との連帯の中で
晴れるクライマックスという「劇的展開」により巧みに演出されている。
同時に「被害」「加害」が錯綜するわれわれが韓国の「恨」を学ぶことは、
連帯への新しい実践に繋がる思考実験にもなりえる。
今後も県内での上映活動をする予定だという。
那覇市内だけでなく、上映の輪が広がっていくことを望む。
2006年11月24日
『シマが揺れる 沖縄・海辺のムラの物語』

『シマが揺れる 沖縄・海辺のムラの物語』
ブックレビュー読んでね~
とにかくこれは企画力の勝利。
この十数年の基地に揺れる北部の状況がよく分かる。
中南部で生活していては分からない。
そしてやはり真生さんでなければ撮れない。
超お薦め!
皆さん、買いましょう!
このままbk1で買うと私にポイントがつきます(笑)。
2006年11月23日
『現代生協改革の展望』④
21世紀生協理論研究会編
大月書店 (2000.5)
通常1-3週間以内に発送します。
大月書店 (2000.5)
通常1-3週間以内に発送します。
4 資本主義の変革の展望
資本主義の発展と資本主義の死滅
これまで資本のシステムを原理的に論じてきたわけだが、
これからはそれを踏まえて変革の展望を論じる。
著者はそれが3つあるという。
すらりと読み飛ばしてしまいそうなんだけど、
その第一はかなり重要な視点が論じられている。
長いけどそのまま引用しよう。
第一に、資本主義の発展が絶対的に進歩的であり、資本主義が発展することが資本主義の死滅となるという点である。資本主義が停滞することによって崩壊したり、資本主義を別の経済体制に形態転換することによって廃絶したりすることが資本主義の死滅なのではない。
資本主義の発展は自由の形態を全面化した。資本主義によって商品交換が全面化し、商品交換の過程を媒介する人間関係が全面化し、抽象的に自由な私的所有者の関係が全面化した。抽象的に自由な形態の全面化は共同体の人格依存的な自然成長性からの解放である。この自由を武器として自由の抽象性( 実質的不自由 ) を克服する過程も資本主義の発展とともに進展する。自由の実質化要求はすぐれて民主主義の実現として運動化される。そして、その過程で自由な人格が陶冶されるのである。資本主義において人間は抽象的に自由な人格のままにとどまることができない。なぜならば、資本主義の発展は機械制大工業として協業を完成させ、労働過程において「全面的に発展した個人」を陶冶していくからである。すなわち、労働の社会化の発展によって社会的労働を形成し、意識的な共同管理によって自由な人格の全面化を実現することができるのである。
資本主義の発展はまた国家の機能や形態のさまざまな展開を生み出した。資本のシステムは、その内部に社会的なものを実現しつつ、それを外部の公共性に転換し、公共的形態化の総括として国家を成立させた。抽象的な自由にもとづく民主主義的な国家の形成からはじまり、国家は二0世紀において経済介入主義的な「ケインズ的福祉国家」を完成させ、今また新自由主義的な国家への転換を計ろうとしている。いずれも、対立的ではあるが共同管理の諸形態の発展であるという点から見れば進歩的な側面を有している。
しかし、資本主義の発展は世界市場の形成と成熟によってはじめて完結する。資本主義的商品生産は本質的に世界的であり、資本主義は国民国家内部にとどまることはできない。世界市場の形成は、日本的システムのような一国レベルの歴史的に形成された古い構造を解体せざるをえない。共同体的基盤に根を持つ依存的関係から自由な個人が解放されるには、資本主義は世界市場形成まで行き着かざるをえない。世界市場の展開をまってはじめて資本主義の自己否定が語られうるのである。
最初から最後まで重要なポイントが多いのだけど、
それらについて触れる前に私が躓いてしまう概念がある。
それは「抽象的な自由」だ。
ムズカシーね~。
でもこれ基本だから分からないとマズイよね。
「抽象的な自由」とはどういうことか?
=実質的不自由とも書かれているけど。
あさわさん、教えて下さい!

ここで重要なタームとその流れは、
「自由」から「共同管理」へ、そして「国家」へ繋がり最後に「世界市場」へ行き着く。
2006年11月23日
2006年11月23日
ダイゴロー&ふさえテレビ出演!
喜如嘉在住の友だち、山本大五郎&平山ふさえさんが
RBC夕方6:48分~6:55分からの『気ままにロハススタイル』に出演している。
月~金の5回にわたっての放送。
大五郎さんはアグーの放牧業、
ふさえさんは芭蕉布をつくっている。
みてね~
RBC夕方6:48分~6:55分からの『気ままにロハススタイル』に出演している。
月~金の5回にわたっての放送。
大五郎さんはアグーの放牧業、
ふさえさんは芭蕉布をつくっている。
みてね~
2006年11月23日
『現代生協改革の展望』③
21世紀生協理論研究会編
大月書店 (2000.5)
通常1-3週間以内に発送します。
大月書店 (2000.5)
通常1-3週間以内に発送します。
3 資本のシステムの自己批判
株式会社の意義
かつての共同体では共同所有が当たり前だったが、
共同体から切り離された人間は、「独立した人格を
私的所有という意思関係行為によって根拠づけている」、
つまり、「贈与=お返し」とか物々交換ではなく、
貨幣を用いた商品交換=私的所有という行為に自らを
アイデンティファイさせる、安心させる。
次のステップがこうだ。
資本の蓄積運動は大規模な社会的生産力を形成することなしには達成されないが、社会的生産力を可能とするような生産手段を構成するには私的 ( 個人的 ) 資本はあまりにも狭隘である。
個人的資本、つまり個人事業主のような形態だと
お金の蓄積&増殖が進まない。
個人的生産力ではなく社会的生産力を実現する蓄積運動と
私的所有の狭隘性との矛盾を解決したのが会社形態であり、
その最も発展した形が株式会社だ。
株式会社は、私的所有の形態としては私的所有者の結合という社会的能動的な人格の相互承認関係を形成しつつ、生産においては資本の価値増殖運動と蓄積運動を貫いているのであり、株式会社においては私的所有という人格のシステムと価値増殖運動という物象のシステムとが矛盾・対立しつつ解決している。
これはどういうことかというと、
お金を持っている人たちがお金を集めて資本とし、
生産活動をした方がお金を増やし易い。
個人的にお金を持っていることと社会的生産(みんなのため?)
とが矛盾しない、という意味かな?
所有と機能の分離
株式会社は私的所有者である株主によって構成されている。生産手段の存在を安定化し資本の永続的な価値増殖運動を貫くために、譲渡自由な等額株式制、確定資本金制と永続制、社員の有限責任制の制度化によって株主の直接の処分権を否定している。だから、株主にとっては自己の所有と指揮権とが分離されているのだ。
どうしてこの「所有と機能の分離」をいったかというと、
上で述べた私的所有と資本の矛盾を明らかにしてくれるから。
それはこういうことだ。
交換過程では、資本家と労働者の間で労働市場での私的所有者として自由な人格同土の対等な契約当事者としての関係が貫かれていた。しかし生産過程にいったん入れば、資本の源泉は初めは資本家が準備したものであるとしても、不断の再生産のもとでは結局は労働者の不払労働とその生産物の取得となることが明白となる。そして、労働者の側では自分自身の生産物を取得することが不可能となる。つまり、資本家と労働者の間での自由な人格同士による商品生産の所有法則は蓄積過程において資本主義的取得法則に転回する。すなわち、株式会社は私的所有の形態として自己を正当化する一方で、不払労働の搾取によって不断に私的所有を否定することとなる。
ムズカシーですねえ。
われわれが仕事を探して、見つけて、面接して、条件を確認して、
会社側とお互い合意して、合格して、働く。
「自由な人格同士の対等な契約当事者としての関係」なわけだ。
給料と労働力を交換している。
お互い合意しているんだから詐欺じゃないよね。
これが「交換過程」だ。
お金を持っている人がそれを基にして何かを作って売ろうとした。
作る作業は面倒くさいから他人にやってもらった。
いくら払うからと約束して。
モノが出来て売れた。
売上から約束の金を作業してくれた人に渡して残りが儲けとなる。
メデタシメデタシ。
でもちょっと待って。
最初にお金を持っている人はなーんもしてないのに金儲けができたんだよ。
作業したひとは自分が働いて作ったものの売上はもらえず、
しかも作ったものはあくまで最初にお金を持っている人の持ち物だ。
自分が作ったのに自分のものといえず、その儲けも自分に入らない。
確かに約束の金は貰ったけど、売上はもっと多かったはず。
あれ?でも最初に合意した条件は間違ってないから文句いえないか・・・
これが生産過程。
こういう矛盾があるんだから株式会社も問題有り、っていうことだね。
共同体の解体により社会的生産共同体から切り離されることによって生産関係から疎外された反面で、人間は商品交換における私的所有者として法的・抽象的な自由な人格を得るのである。そして法的・抽象的ではあってもそれは意識的・能動的なものであり、人間は自由な人格として自覚的な社会形成の主体となることができる。しかし、資本のシステムは私的所有を否定し労働者の抽象的な自由を否定することによって、労働者の自由な人格とその社会性を陶冶することになる。今や労働者の自由な人格は抽象的・外面的な側面を克服するために、資本の正当化の破綻により客観的になった社会的労働・社会的生産を自己の根拠である実在的なものとして自己統一を果たそうとする。
共同体の時代にはそんな矛盾はなかったんだろうね。
でも共同体って資本制の商品交換みたいに自由な個人がないよね。
ならば資本のシステムもその辺の自己批判をやって、
社会的労働・社会的生産のいいところも取り入れようじゃないか。
それはこいうことだ。
自由で独立した個人が資本のシステム内部に生まれた社会的・共同的な生産過程を自覚的に編成するようになることである。資本のシステムによって否定された私的所有の内実を社会的・共同的な意識的管理によって奪い返すといってもよい。
「自由で独立した個人」が共同体に帰るのではなくて、資本のシステム内で共同的なことをやっていこうぜ、というところがポイント。
2006年11月22日
2006年11月22日
『現代生協改革の展望』②
21世紀生協理論研究会編
大月書店 (2000.5)
通常1-3週間以内に発送します。
大月書店 (2000.5)
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2 現代社会の基本視座
で、ここからいきなり資本の問題が出てくる。
人格のシステムと物象のシステムの分裂
「メタ協同」に向かう根源的な運動は、実は一見、対極にある資本主義システムから発している。資本主義システムの編成主体は資本である。資本とは、商品交換から生じた貨幣が不断に自己増殖する価値の運動体となり、生きた労働を包摂することによって価値増殖を可能にするシステムの主体となったものである。
として、
資本のシステムとなることによって社会システムは、人格のシステム ( 人格的関係 ) と物象のシステム ( 物象的関係 ) に分裂させられる。
という問題が出てくる。
「生きた労働」が「人格のシステム」に、
「貨幣が不断に自己増殖する」のが「物象のシステム」にそれぞれ相当する。
という理解でいいのか?
生身の複数の人間がいっしょに関わりながら商品を生み出していく
というのは人格のシステムといえる。
一方で、貨幣が自己増殖するシステムは人間同士の行いを超えた、
人間がタッチできない「物象の」システムである。
この相容れないような両者が資本のシステムでは必要である。
さらにその根底には「私的なもの」と「社会的なもの」との分裂がある。
そしてこの「社会的なもの」と「私的なもの」が統一された段階が、マルクスのいうアソシエーションである。現在はそれへの発展段階といえる。
2006年11月22日
2006年11月22日
『現代生協改革の展望』①
21世紀生協理論研究会編
大月書店 (2000.5)
通常1-3週間以内に発送します。
大月書店 (2000.5)
通常1-3週間以内に発送します。
あさわさんに紹介してもらった『現代生協改革の展望 古い協同から新しい協同へ』を吟味し、アソシエーションの理論を探求する壮大で迂遠でかなりヒマな試み。
第2章
「新たな協同の再生」
1 協同とは何か
これは分かり易く要約できたぞ。
古い協同から新しい協同への変容を「新しい協同の再生」というテーマで論じよう。しかし、何が新しいかを論じる前に、「協同」とは何かを検討しなければならない。そこでまず、協同概念 (cooperation) と協同組合 (cooperative) の関係とはいかなるものかを考えてみたい。協同組合運動が歴史的にも協同という概念を軸にその理論と組織を発展させてきたのは事実で、協同概念は協同組合運動のキーコンセプトであった。それでは、今日も協同と協同組合は一体的なものであり、協同組合が協同概念を体現するものと考えてよいのであろうか。
協同と協同組合はイコールではない。われわれは、協同組合以外の組織や運動体も「協同」を担いうると考える。そして、理論概念としての「協同」を協同組合に歴史的に固着したイメージから切り離すためにそれを「メタ協同」と呼び替えれば、われわれのいう「新たな協同の再生」とは「メタ協同」の拡大であると定義しなおすことができる。
マルクスは、未来社会における個人の自由な連合を、フランスにおける社会主義運動の刑法を引き継ぎ「アソシエーション」(association) という概念で表現しているが、われわれのいう「メタ協同」はアソシエーション概念に等しいといってよい。
2006年11月21日
『太陽』

『太陽』を桜坂劇場に観に行った。
撮影、美術、サウンドがすばらしい。
イッセー尾形というキャスティングはまさに彼しかありえない
という確信を事後的に与えてしまう。
始まりと終りがうまい。
だからといって
「昭和天皇って悲劇的な人生を歩んでかわいそ~。
こんなに人間的な一面もあったのね~」
などど感心してはダメよ、あなた。
2006年11月20日
区切りの日
県知事選が終わった。
自公候補の仲井真氏が当選、革新共闘候補の糸数慶子さんが敗れた。

自分にとってこれはおおげさにいえば区切り、エポック・メイキングな出来事だ。
眠れぬ一夜を過ごし、そんなことを考えた。
沖縄に来て4年目。
その間東京時代の運動のネットワークから自らを意識的に遮断し、
この地の磁場に身を浸すことに専念してきた。
(もっともこの1年はブログなどを通じ、細々と繋がってはいたが)
これからそれを解禁しようと思う。
アソシエーションを実践していこう。
沖縄の抵抗運動にリスペクトを抱きながら、
私がやりたいのはやはりタイコーウンドウだ。
そこから遠く離れていたがようやく帰ってくる。
もうそれしかない。
自公候補の仲井真氏が当選、革新共闘候補の糸数慶子さんが敗れた。
自分にとってこれはおおげさにいえば区切り、エポック・メイキングな出来事だ。
眠れぬ一夜を過ごし、そんなことを考えた。
沖縄に来て4年目。
その間東京時代の運動のネットワークから自らを意識的に遮断し、
この地の磁場に身を浸すことに専念してきた。
(もっともこの1年はブログなどを通じ、細々と繋がってはいたが)
これからそれを解禁しようと思う。
アソシエーションを実践していこう。
沖縄の抵抗運動にリスペクトを抱きながら、
私がやりたいのはやはりタイコーウンドウだ。
そこから遠く離れていたがようやく帰ってくる。
もうそれしかない。
2006年11月19日
なんともいえない一日
10時ころ投票に行ってきた。
投票率はまだ10%未満だったがその後どうなっただろう?
今日は曇り時々雨。
投票に向いているかもしれないね。
それにしても近所は妙に静かで、どんよりとしていて、なんともいえない空気が漂っている。
嵐の前の静けさか。
とりあえず深夜の開票を待つとしよう。
2006年11月17日
『蟻の兵隊』を語る
琉球新報11月15日~17日付に『蟻の兵隊』を語ると題し、池谷薫監督と奥村和一さんへのインタビューが掲載されている。
興味深い内容で上映に併せタイムリーなよい企画だ。

本編中一箇所分かり難いところがあった。
それはスピーチをした後の小野田さん(フィリピン・ルパング島から1974年に生還した旧日本軍少尉)に奥村さんが「戦争賛美ですか?」と問い詰める。それに対し小野田さんは逆切れする箇所。
その後の奥村さんのなんともいえず遣る瀬無い表情が印象的だ。
小野田さんが奥村さんにとって「戦争賛美」的に感じるスピーチをやって、それに対し詰め寄ったということはなんとなく分かるのだが、スピーチを含めたその場の雰囲気をイマイチ伝えきれていないのでやや唐突な印象を拭えない。
この部分がインタビューで答えれらている。
奥村 小野田さんが、みんなの前で六十年前の戦争は聖戦だった、と強調するので、かっとなって。ほかの人だったら言わないですよ。しかし小野田さんは最後まで南方のジャングルの中で苦労した。私たちと条件は違うが、同じ残留者の小野田さんには、戦争がどんなに残酷かということを語って欲しかったし、だから頭にきてなぜ戦争はやめろと言わないんだ」と思った。
また沖縄についての印象を訊かれ、
奥村 私の世代にとって沖縄に行くことは戦場に行くのと同じ気持ちになる。沖縄では今でも戦争は終わっていないと思う。米軍普天間飛行場を辺野古に移設することが県知事選の争点になっている。戦争をしないのだったら戦争する施設は必要ないですよ。ごまかしている。沖縄の戦争が終わっていないというとは日本の戦争が終わっていないということですよ。
戦争について一番伝えたいことは何か訊かれ、
奥村 お互いに善良な人間が戦争になると鬼になって殺し合いをするということですよ。どんなに恐ろしいことか。教育も恐ろしい。
最後の答えがこのドキュメンタリーでは恐ろしいほどリアルに描かれている。
教育基本法改正案が衆議院を通過した今
県知事選を2日後に控えた今
わたしたちが何を思いどう行動するか、
『蟻の兵隊』が教えてくれることは多い。
12月1日(金)まで桜坂劇場で上映しています。
是非劇場へ足を運んでください。
県知事選候補者をまだ決めかねている方、
『蟻の兵隊』を観にって下さい。
自分は既に決まっているという方、
そういう人が回りにいたら声をかけて『蟻の兵隊』をいっしょに観に行って下さい。
興味深い内容で上映に併せタイムリーなよい企画だ。

本編中一箇所分かり難いところがあった。
それはスピーチをした後の小野田さん(フィリピン・ルパング島から1974年に生還した旧日本軍少尉)に奥村さんが「戦争賛美ですか?」と問い詰める。それに対し小野田さんは逆切れする箇所。
その後の奥村さんのなんともいえず遣る瀬無い表情が印象的だ。
小野田さんが奥村さんにとって「戦争賛美」的に感じるスピーチをやって、それに対し詰め寄ったということはなんとなく分かるのだが、スピーチを含めたその場の雰囲気をイマイチ伝えきれていないのでやや唐突な印象を拭えない。
この部分がインタビューで答えれらている。
奥村 小野田さんが、みんなの前で六十年前の戦争は聖戦だった、と強調するので、かっとなって。ほかの人だったら言わないですよ。しかし小野田さんは最後まで南方のジャングルの中で苦労した。私たちと条件は違うが、同じ残留者の小野田さんには、戦争がどんなに残酷かということを語って欲しかったし、だから頭にきてなぜ戦争はやめろと言わないんだ」と思った。
また沖縄についての印象を訊かれ、
奥村 私の世代にとって沖縄に行くことは戦場に行くのと同じ気持ちになる。沖縄では今でも戦争は終わっていないと思う。米軍普天間飛行場を辺野古に移設することが県知事選の争点になっている。戦争をしないのだったら戦争する施設は必要ないですよ。ごまかしている。沖縄の戦争が終わっていないというとは日本の戦争が終わっていないということですよ。
戦争について一番伝えたいことは何か訊かれ、
奥村 お互いに善良な人間が戦争になると鬼になって殺し合いをするということですよ。どんなに恐ろしいことか。教育も恐ろしい。
最後の答えがこのドキュメンタリーでは恐ろしいほどリアルに描かれている。
教育基本法改正案が衆議院を通過した今
県知事選を2日後に控えた今
わたしたちが何を思いどう行動するか、
『蟻の兵隊』が教えてくれることは多い。
12月1日(金)まで桜坂劇場で上映しています。
是非劇場へ足を運んでください。
県知事選候補者をまだ決めかねている方、
『蟻の兵隊』を観にって下さい。
自分は既に決まっているという方、
そういう人が回りにいたら声をかけて『蟻の兵隊』をいっしょに観に行って下さい。
2006年11月16日
公害問題と対峙した宇井純さんを悼む

公害問題と対峙した宇井純さんを悼む
掲載しました。
読んでね~
宇井純さんから横山君宛への手紙のコピーが当日会場で配られた。
あえて掲載はしなかったがそこには今回の講演会に向けて、
自らを奮い立たせる気力と、横山君はじめ若いスタッフへの激励の言葉が綴られ、
こちらも熱い気持ちにさせられた。
今回の訃報に接し、どうしても私は高木仁三郎さんの死を重ね合わせてしまう。
御用学者を批判し、「市民科学者」という立場を掲げたこと
常に現場主義であったこと
「高木学校」の創設
「自主講座」を開設した宇井純さんの態度と共通するところがないだろうか。
二人の喪失はあまりにも大きい。
宇井純さんの業績について不勉強だった私だが
これから丁寧に追っていきたい。
推薦する高木仁三郎著書
『市民科学者として生きる』 (岩波新書 新赤版)
『市民の科学をめざして』 (朝日選書)









日本の地域ブログ大集合!津々浦々の美味い・楽しいがここに!