2008年05月31日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その23

6 資本への対抗

資本への対抗のカギは、産業資本主義が、労働者が作ったものを自ら買うことによって成り立つということにある。

企業が社会的に害となることをやっても、労働者がそれを阻止することはできない。両者の利害が一致しているからだ。生産点においては、労働者は企業や国家の利益に傾く。一方、環境問題に対して、消費者・住民は敏感だし、世界市民的な観点に立てる。

労働者は資本に従属的であるほかない。しかし、労働者は流通過程において、消費者として現れる。その時資本に優越できる。消費者とは、プロレタリアが流通の場に現れる姿だ。

資本が働くことを強制できる権力はあるが、買うことを強制できる権力は無い。そのような非暴力的で合法的な闘争(ボイコット)に対して、資本は対抗できない。
  

2008年05月31日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その22

5 資本の限界

イギリスでは、毛織物産業の需要から羊を増産するため、領主が農民を追い出し耕地を牧草地に変えた。これが「囲い込み」だ。その結果生まれたのがプロレタリアだが、マルクスはそれを「二重の意味で自由な」人々と呼んだ。それは第一に、生産手段を持たない(free from) 、第二に共同体の拘束から自由であるという意味で。そしてこの2つは切り離せない。

たとえていうと、農民は共同体に住んでいれば互酬的なやり取りで何とか生きていける。その代わり、共同体ならでわの拘束に縛られる。都市の職人にしても、徒弟制的な共同体(ギルド)に属し、資本制的な賃労働を嫌う。これらに比べると、産業プロレタリアは、互酬的な共同体の原理から自由である。

といってもこのようなプロレタリアが急激に増えたかというとそうでもない。近年にいたるまで、世界の人口の大部分は農民か、都市の貧民であった。この人たちは商品交換の世界に晒されているが、互酬の原理で生きている。よくいえば平等主義的で相互扶助的、悪くいえば「怠惰」で他人の足を引っ張る。このような共同体の原理とは、経済的な停滞の原因であると同時に資本主義化に抵抗する基盤でもありえた。

産業資本における労働力と土地は、実は資本が自ら作り得ないものである。労働力商品といっても、需要がないからといって即廃棄するわけにはいかないし、不足したからといって増産することもできない(移民で補充しても後で不要になって追い出すわけにはいかない)。まさに労働力商品こそ、資本にとって内在的な危機をもたらす。

また資本の限界は、自然を商品化したことにもある。それによって致命的な環境破壊を招く。しかし、資本の自己増殖運動は止まらない。
  

2008年05月30日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その21

3 技術革新による存続

産業資本の剰余価値は、労働者を奴隷のように働かせることによって得られるものではない。もし労働者が皆奴隷のように働かされたとしたら、その生産物を買う消費者がいなくなり、総体として、資本の剰余価値が実現しないから。

マルクスが「相対的剰余価値」と呼んだものは、技術革新によって労働生産性を上げることによって得られる。労働者を直接搾取するものではない。技術革新は価値体系を時間的に差異化する、それによって剰余価値が得られる。その結果、産業資本は自らの存続のために、たえまなく技術革新を続けることを強いられる。




4 自己再生的システム

産業資本の剰余価値は、労働者が労働力を売り、その生産物を消費者として買い戻す過程にしかない。言葉を変えれば、剰余価値は個別資本においてではなく、社会的総体において考えねばならないということ。これを自己再生的システムと呼ぶ。

  

2008年05月30日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その20

2 生産=消費するプロレタリア

マルクスは、資本は流通から生まれることはできない、しかし流通を離れて生まれることもできないというアンチノミー(二律背反)をいった。これはM-C-M’という流通過程において、それを用いることが生産過程であるような商品、つまり労働力を見いだすことで解決される。産業資本は、生産設備を用意→原料を買う→労働者を雇用→生産した商品(C’)を売る。この労働力商品の部分が商人資本との違いであり、それは産業資本の自己増殖をもたらす。

では産業資本がイギリスという特定の歴史的環境で生まれたという事実はなにを意味するのか?生産手段を持たず労働力を持たないプロレタリアがいたからだといえるが、それはイギリスに限らない。大切なのは、プロレタリアが労働力を売って得た賃金で生産物を買う消費者だということ。

それは生産・流通されたものを比較するとよく分かる。商人資本では主に贅沢品が王や封建諸侯に売られた。産業資本での生産品は生活必需品であり、それを買うのは生産したプロレタリアだ。もちろん労働者が必ずしも自分が生産したものを買うわけではないが、総体としてみればそういえる。

農村近傍に新しく形成された都市=市場に、農村からプロレタリアが入っていったのだ。

さらにいえば、商人資本が外国(遠隔地)に向かったのに対し、産業資本は国内に遠隔地を見つけた。



本題から多少ずれる。商人資本=贅沢品、産業資本=生活必需品という区分けであるが、これに関して興味深いのが、区分としては商人資本であるはずのグスク時代における富の分配について、安里進が指摘する箇所である。
グスク・共同体・村


グスク時代は農業生産が発展し、新たな農業集落が生まれた。それに欠かせないのが、小型鎌、刀子、鉄斧などの鉄器である。消耗品である鉄器は絶えず補給する必要がある。琉球では鉄は産出しないので、海外交易に恃むしかない。鉄器・鉄材を海外交易によって入手し、配下の集落へ供給することが、地域首長としての寨官の重要な役割であった。

こうした海外交易を行うには、交換物資が必要だが、その原資は配下の集落から調達した生産物だと考えられる。しかし、これを交換して入手した輸入陶磁器や鉄器をはじめとする舶来の品々は、寨官の独占物ではなく、その大部分が末端の集落にまで分配されていた。とくに中国陶磁器は、当時の東アジア世界で高価な交易品であったにもかかわらず、大型グスクに限らず末端の集落からも大量の輸入陶磁器が出土し、日用雑貨ていどに使われていた。この輸入陶磁器とともに鉄器・鉄材をはじめガラス玉、勾玉、鏡、鉄鍋、その他調度品など各種舶来の品々が末端の集落に分配されていたのである。農民にとって寨官は、小さな集落に鉄をはじめ海外の産物をもたらして苦世を甘世にする、テダとして畏敬されるべき存在だったといえよう。

本来権力者が独占しているはずの贅沢品が、末端の農業集落に分配され日用雑貨ていどに使われていたというのはなにを意味するのか?安里は拙速に結論付けていないが興味深い問いである。

寨官というのは、14,15世紀の『明実録』『朝鮮王朝実録』などの資料に記された名称で、地方の大型グスクの上級城主を、地域首長一般の名称「按司」と区別するために安里が呼称した。寨官は城主であり、戦争の指導者であり、テダ(太陽)と農民から崇めたてられる存在であった。

安里は、寨官が単なる武力的権力者ではなく、住民から畏敬の念、賛美をもって見られていたことを『おもろそうし』を引用し強調している。しかしそのオモロを詠んだ者がどんな立場の人物で、どんな(政治的)意図を含めて詠んだのかには十分注意する必要があろう。この点はおもろ研究に無学な私には現状ではなんともいえない。

また安里は、グスク時代の農業社会が牧歌的な平和な社会ではなかったことを、沖縄各地のグスク時代の集落から出土される止め金具、鞐(こはぜ)、小札といった鎧の一部、鉄製・骨製の矢じりから推測する。

これらのことから分かるグスク時代の交換様式B(略取―再分配)は次のようになる。農民は寨官に農業生産物を貢納→寨官は農民に貿易で入手した鉄器などを分配→農業共同体の生産向上・農業共同体の軍事化→寨官を首長とした共同体の安定。

グスク時代の共同体が外部(他の国家)と交易(交換)をいかにしたか、その構造を明らかにするのが次の課題。

  

2008年05月30日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その19

2章 産業資本主義
 

1 マニュファクチュアの時代へ

「世界市場」以前と以後で商人資本は変容する。以前では、遠隔地との交易においてその間の価値体系の差異で剰余価値を得ていた。Aという地域で安く買ったものをBという地域で安く売る、というように。しかし以後では、多数の商人資本が参入したり、各地での価値体系が変動するようになったため、差異が剰余を生まなくなる。ではどうしたかというと、自ら生産を組織し、より安くより多く商品を生産することで、国際競争を生き抜くという手法をとった。そこから出てきたのが、マニュファクチュア、つまり手仕事ではあるが、分業と協業によって生産力を飛躍的にアップさせる方法だ。

一方、世界市場の中で、ヨーロッパ東部では「再販農奴制」が、アメリカ南部では奴隷制が、ラテン・アメリカでは農奴制が出現した。これは時代に反するように見えるがどういうことか?「それは、商人資本主義が、基本的に諸国家間の間の価値体系の差異に利潤を見いだすものであり、それぞれがどのような生産様式をとるかに無関心だから」。



世界市場以後の産業資本主義の特徴として、機械によるオートメション化よりも、分業と協業を挙げている点に注意したい。



  

2008年05月29日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その18

5 国家の自立性

マルクス主義者は、国家を経済的な階級が支配するための手段とし、階級対立が無くなれば国家は解消されると考えた。なので資本主義を廃棄するために一時的に国家権力を奪取することは許されると。つまり革命だ。

しかし、革命はただちに外部からの軍事的干渉を招くため、防衛のために旧来の軍・官僚機構に依存するしかなくなる。国家をその内部から見ているだけでは、逆に国家を強化することにしかならない。



日米政府の植民地政策に抵抗し沖縄が独立国家となれば、ただちに外部(他の国家)からの軍事的干渉を招く。その防衛のため、沖縄は軍事力を備え、緊張を高める。その時になって初めて自分たちが国家の中にいることを発見するだろう。

それが沖縄の人々の望むゴールであれば、ヤマトーンチュである私は反対できない、彼ら / 彼女らにそのような認識があればの話しだが。そうでなければ沖縄自治研究会が紹介する「高度な自治」も選択肢としてある。しかし本書で書かれていることはそのどちらでもない。

本日5月29日付沖縄タイムス文化欄、平敷武蕉氏のレギュラー枠「文芸時評」では、同紙の往復書簡「沖縄をめぐる対話」、雑誌『状況』5月号特集「来るべき自己決定権のためにー沖縄・憲法・アジア」、そしてそれを受けて18日に開催されたシンポジウム「マーカラワジーガ」一連に対し、「『知のざわめき』とでも呼ぶべき刺激的状況が現出された」と評価している。

一方で次のような批判を忘れない。

ただ、傾聴すべき問題提起もあったとはいえ、これら一連の企画で見た言説に共通しているのは、軍隊、警察などを含む現国家体制を、だれがどうするかといった、実践主体の成熟・組織化への不問と革命実践論の欠如である。国際情勢に規定された今日の国家体制の政治経済的分析と国家権力の支配構造のからくりおよび既成イデオロギーとの対決を抜きに、あたかも気概をもってのぞめば、沖縄の民衆の意志で沖縄の将来が「自己決定」できるチャンスが到来したかのような言説がまかり通っている。オメデタイ「知の遊戯」に堕することがないように願いたい。


これら一連の企てがオメデタイとは思わないが(『状況』は未読)、この批判は私の問題意識と重なる。「マーカラワジーガ」については後ほど書くつもりでいるが、これに限らず、最近私はシンポジウムという制度自体に、コミュニケーションの場としての限界を見ている。このことについてはまた機会があればじっくり触れたい。
  

2008年05月29日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その17

4 官僚支配と福祉国家

国家が他国との戦争の準備をしていることを、ふだん国民は気づかない。それを準備するのが常備軍と官僚機構だ。この体制ができたのが西ヨーロッパでは絶対主義国家においてである。

絶対主義王権は市民革命によって廃棄されたが、軍と官僚機構は逆に増大した。でもそれは残念ながら国民のためではない。「国民主権の下であろうと、国家はそれ自身のために存続しようとする」のだ。

しかしそういうことは国家の内部だけみていると気づかない。絶対主義国家においては、国家=警察=暴力という観念がはっきりと見えた。それに対し市民革命以後の国家秩序は、もはや剥き出しの暴力によって維持される必要はなく、むしろ国民による自発的な同意と服従によって維持されるようになる。

国家の自立性を示す軍・官僚機構を社会契約論的にいえば、官僚というのは議会を通して国民の意志を実行する「公僕」である。だが実情はそうではない。

これについてヘーゲルが『法権利の哲学』で述べていることをいいかえると、「議会は、人々の意見によって国家の政策を決めていく場ではなく、官吏たちによる判断を人々に知らせ、まるで彼ら自身が決めたことであるかのように思わせることにある」。議会制民主主義とは、官僚たちが立案したことを、国民が自分で決めたかのように思いこむようにする手続きである!

20世紀に入ってのケインズ主義的な経済介入、社会福祉、労働政策、教育政策が注目されるが、そもそも国家が経済に介入しなかった時期などないというべきだ。



「国家が他国との戦争の準備をしていることを」否が応でも気づかされるのが、沖縄の米軍基地周辺地域で生活している人の皮膚感覚だろう。最近では自衛隊との日米共同使用が実現され、その危険地域はさらに増えるだろう。軍が国民のためではないというのも、「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を待つまでも無く、沖縄では常識である。むろん、それは過去の事柄ではなく、現在にも当て嵌まる。

その意味で、沖縄は国家の剥き出しの暴力を見ることできる希少な場所である、と逆にいうこともできる。あるいは、沖縄は国家の外部に立てる(立たざるを得ない)場所である。内部だけでなく外部(他の国家)との関係が見える場所である。

反基地運動の現場にいれば、直接対峙する沖縄防衛局職員の動向と、その官僚トップの逮捕が直接繋がっていることは明瞭だ。彼らを問い詰めると「自分は上からの指示通りに動いているだけだ」と答える。その上を問い詰めれば、また同じ答えをするだろう。さらにその上を、さらにその上をと辿っていくと指示を出しているトップに行きつくだろう。だが彼が逮捕されたからといって、その代わりが同じポジションにつくだけだ。なぜなら彼らは国家の自立した意志を代行しているに過ぎないから。

  

2008年05月29日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その16

2 絶対主義国家の誕生

西ヨーロッパの集権的国家は、絶対主義王権国家によって始まる。それは王が多数の封建諸侯を制圧し、教会の支配権を奪うことにより成立する。それを可能にしたのには次の2つの理由がある。一つは破壊力を持った火器の発明。もう一つは、商品経済の浸透。

絶対主義国家は、資本制経済への過程としてよりも、集権的国家形成に向かう過程と見たほうがよい。注目すべきは、そこで膨大な官僚組織と常備軍が形成されたこと。





3 国家と暴力

絶対主義王権では、国家が略取―再分配という交換様式を独占していたことは誰の目にも明らかだった。ところが市民革命以降それが見えなくなる。なぜなら、国家の主権者は国民であると考えられるようになったから。国家は国民に選ばれた政府と同じようにみなされる。絶対王政では王が税を徴収し再配分していたのに対し、国民が義務として自発的に納税し再配分されるように考えられる。

社会契約論によれば、国家の意志とは国民の意志であり、選挙を通して政府によってそれが実行されると考えられる。だが国家は政府と別物であり、国民の意志から独立した意志をもっていると考えるべきだ。

次の例えが分かり易い。大企業では、経営者は社員から選ばれる。経営は社員総意によってなされるかのようにみえるが、経営は究極的に資本(株主)に拘束される。「社員の総意がどうであれ、経営者は資本の要求――利潤の実現――を満たさなければならない」。
絶対主義王権国家において明白だった国家だが、市民革命以降隠れてしまう。同じように資本も通常は見えない。しかし、株主が経営者を解任したり企業買収したりすると、「資本」があると実感する。同様に、国家の存在を実感するのは戦争においてだ。

国家――政府――国民
資本――経営者――社員


「国家は政府と別物であり、国民の意志から独立した意志をもっていると考えるべき」というのは、国家はその内部から見るのではなく、外部(他の国家)との関係において見るべきということと相対する。国家というのは抽象的な存在だが、独立した意志をもっているという。

そんなことをいわれて、沖縄の反基地運動はどうすればよいのか?抵抗の相手は日米政府という明白な相手。それに対してこれまで闘ってきた。だが、その向こうに国家がある?

さらにまずいことに相手は国家だけではない。資本制経済というもう一つの相手が。そしてその両者が結託しているとしたら・・・
ナンギな話しが後に控えるが、このカラクリをみなければそれへの対抗運動もまた不可能だ。ということでさらに続く。
  

2008年05月28日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その15

第Ⅲ部 世界経済


1章 国家


1 世界帝国から世界経済へ

一つの社会構成体には、互酬・略取―再分配・商品交換という3つの交換様式がある。前近代的な社会構成体では互酬と略取―再分配が支配的で、商品交換は副次的である。孤立分散的で自給自足的農業経済が社会再生産の基礎をなし、それらに基づく権力が相互に主役を演じていた。その頂上に「帝国」があり、それらは「世界帝国」と呼ばれるが、実際は世界の一地域でしかない。

ウォーラーステインは、それまで離れていた数多くの世界帝国=経済圏が結合された15,16世紀に「世界経済」が出現したといった。「世界経済」が意味するのは、近代国家や資本主義を一国単位で考えることはできないということだ。

主権国家の誕生を他の国との関係を無視して考えることはできない。主権とは、他の国家の承認によって存在する。そこには他国に主権がないならば、その国を支配してよいということが含意されている。よって、支配に対抗する帝国や部族的国家は、自らを主権国家として再編成せざるを得ない。西ヨーロッパに始まった主権国家は世界的に主権国家を発生させた。

資本主義市場経済も一国だけで考えてはいけない。「いったん世界市場=世界経済が成立すると、誰もその外部にあることはできない」。

このような政治―経済システムを、ウォーラーステインは「近代世界システム」と呼んだ。

世界帝国についてウィットフォーゲルが述べた区分は、世界経済において打ち消される。それに代わって、別の中心と周辺が形成された。

ここで注意すべきは、世界経済において周辺部におかれた地域にも、旧来の「世界帝国」の中核と周辺は残るということ。旧来の周辺部が西洋諸国に植民地化されたのに対して、中核地域はそれに抵抗し、その位階を逆転しようと試みる。ロシアや中国の社会主義革命がそう。

次に、世界市場経済の下、新たに周辺部に前近代的な農奴制や奴隷制が見られるが、これは古いものの残存ではなく、新たに形成されたものである。


琉球史において「世界帝国」から「世界経済」への変化の時期は、グスク時代から第一尚氏時代・第二尚氏時代前期にあたり、これを古琉球と呼んでいる。

それまで城塞としての性格のみで捉えられてきたグスクの祭祀的性格を「発見」し、共同体にとっての重要性を指摘した考古学者・安里進の仕事に刺激を受けながら、それをウィットフォーゲルに繋げてみる。そんなことを目論んでいる。

昨年の座間味島への取材を通して、沖縄の共同体の霧の中に未だ居るような感覚を持つ。霧は晴れてくるだろうか?まずはその前にウィットフォーゲルを読まなければ・・・
  

2008年05月28日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その14

2 自由の相互性をめざして

ニーチェは、負い目の感情が「負債という極めて物質的な概念」に由来するといっているが、これは普遍宗教を交換様式から見る時参考になる。

例えばユダヤ教には「目には目を」という互酬原理があるが、イエスは「右の頬を打つなら、他の頬をも向けてやりなさい」という。つまり直接的交換(「目には目を」)が斥けられている。それは貨幣を通してしか商品の交換ができない世界が成立したことと対応する。

また、イエスが家族・共同体を拒否することは、普遍宗教が商人資本主義・共同体・国家に対抗し、互酬的(相互的)な共同体、つまりアソシエーションを志向することを意味する。そしてこのことは仏教についてもいえる。

このような普遍宗教も拡大、定着すると、国家や共同体の宗教となった。西ヨーロッパではそれによって様々な宗教改革が起こったが、それは社会運動のかたちをとった。中でも「千年王国」を掲げた民衆運動は重要で、ドイツのミュンツァー率いた農民運動は共産主義的であった。

イギリスのピューリタン革命で重要なのは水平派で、資本主義的経済拡大の中で、没落しつつあった独立小商品生産者の階級を代表していた。さらに、開拓派は、農村のプロレタリアを代表する共産主義的なものであった。

しかし強調すべきは、「普遍宗教は社会運動を生み出したとはいえ、それ自体はけっして政治的・経済的な運動ではなかった」ことだ。普遍宗教がもたらしたのは、自由の互酬性(相互性)という倫理的な理念に他ならない。政治・経済的平等は至上目的ではなかった。

カントの「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」は、まさに自由の相互性といえる。
  

2008年05月28日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その13

3章 普遍宗教


1 普遍宗教と預言者

これから述べる4つ目の交換様式(アソシエーション)は、これまでの3つの交換様式に対抗するものだ。
「第一に、この自発的で自立した相互的交換のネットワークは、政治的国家組織を斥けるものであり、国家の原理とは対極的です。だが、それは個々人が共同体の拘束から解放されているという点で、市場的な社会に似ているし、同時に、市場経済の競争や階級分解に対して互酬的(相互扶助的)な交換――資本の蓄積は発生しないような市場経済――を目指すという点で、共同体と似ています。」

さらに、これは理念であって現実に存在しないということ。歴史的には、普遍宗教(世界宗教)というかたちで現れた。

宗教は呪術から発展したと考えられているが、呪術とは、超越的・超感性的な何かへの互酬的な関係だ。預言者宗教は呪術を否定するが、この互酬的な関係は強く残る。

神の力は国家の力に比例する。宗教の普遍化は、国家の普遍化、つまり、世界帝国の形成に随伴する現象だといえる。

呪術から宗教へ移行する時に預言者の果たした役割がある。預言者は、民族にとって望ましくない敗北や苦難を神の言葉として告げた。このことは、呪術的な神と人との互酬的な関係、対照的な関係を否定することを意味する。それによって宗教から呪術が廃棄された。

預言者には次の特徴がある。第一に、祭祀階級に属さず、国家機構に対立していること、第二に、都市に基盤を持ち、そこでのみ広がったこと。普遍宗教が農業共同体ではなく都市に始まるということは重要だ。



アソシエーションというよく分からない概念が出てきて、それがいきなり宗教と結び付けられ、さらに現実には存在しないといわれた日には!ここで読むことを放棄する人が出るのではと悪い予感が・・・アソシエーショニズムについては最後の方で出てきます。なにを隠そうこれこそが資本、国家、ネーションに対抗する理念なのですから。

  

2008年05月27日

押しつけられた常識を覆すー経済の視点から

ということで31日の案内です。

ティーチ・イン「押しつけられた常識を覆すー経済の視点から」
「いまこそ発想の転換を!」実行委員会主催
委員長:宮里政玄・沖縄対外問題研究会代表

開催日は、5月31日(土)午後3時から午後6時まで。
場所は、沖縄県立博物館・美術館講堂。

開催の趣旨
当実行委員会が4月27日に開催したシンポジウムのなかで、経済の視 点から“常識”を問い直すべきではないかとの声に応えて、会場への参加を含めた討論会を開催することにしました。今回は、参加者同士が学びあう、教えあうことを通じて、自らを縛ってきた思い込みを排しようとする試みです。当実行委員会は、同じ土俵での議論をすすめるために、「豊かさとは何か」「依存とは何か」「米軍基地は沖縄を豊かにするのか」「独立で食っていけるのか」などを論点として、これらの問題のありかを研究してきた専門家を招き、そこから多くの人が考え、また専門家に知恵を出してもらう知的空間をめざしています。


報告者と司会は、次の通り。
司会=星野英一(琉球大学教授)

シンポジウム  1500-1800
開会の挨拶 宮里政玄  1500-1505
基調報告 平 恒次   1505-11525
コメント 来間泰男   1525-1535
     仲地 博   1535-1545
     大城 肇   1545-1555
討論

休憩  10分ないし15分
全体討論          -1800

入場無料(資料代500円)
懇親会  1800-1900(カフェにて、予定)
  

Posted by 24wacky at 20:14Comments(0)TrackBack(0)イベント情報

2008年05月27日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その12

5 国家・貨幣・交易

カール・ポランニーは、古代から遠隔地交易が国家によってなされたと指摘しているが、なぜそうなったかといえば、交易に伴う危険から、国家の軍事力に守られる必要があったからだ。

国家の交易は「身分動機」といわれ名誉ある行為とみなされ、「利潤動機」から交易する商人は軽蔑された。

商人資本は価値体系の差異から利潤を得る。農業共同体から見れば、共同体の間を行き来する商人は、いかがわしい異邦人として存在する。彼らは商人を必要とし、同時に軽蔑する。

都市が自立し商業が発展したのは、文明の周辺にあり集権的な国家をもてなかった西ヨーロッパの封建制においてだ。それを可能にさせたのは、共同体や国家を超えて通用する貨幣の力だといってよい。その拡大の結果、封建制が崩壊し、絶対主義主権国家が誕生する。忘れてならないのが、この時初めて、常備軍と官僚・警察機構を備えた強力な国家が成立したということ。そして、交換様式BとCに根ざした、国家と資本の相互依存的な接合がなされたこと。


「国家と資本の相互依存的な接合」を従来の社会運動はじゅうぶん見極めてこなかった。それだけでなく柄谷のユニークなところは、さらに「交換様式」がそこに根ざすことを指摘しえた点にある。

この観点から90年代以降のグローバリズムについて、渡辺治一橋大学社会学部教授が分かり易い解説をしている。
    ↓
なぜ安倍政権は憲法改正を急ぐのか(上)

安倍政権の「画期的性格」も元を糾せば絶対主義主権国家の誕生まで遡る。グローバリズムという言葉は今では誰もが使うほど流行っているが、その性格が全て90年代以降突如現れたかのようにみなすのは錯覚である。

沖縄の反基地運動、あるいは言論の場においても、資本(経済)を見る点、そしてそれが国家と接合している点をじゅうぶん指摘しえたとはいえないだろう。『押しつけられた常識を覆す』第一回のシンポで、島袋純は「ここに経済の専門家がいなければならない」と指摘した。その点を踏まえ31日には第二回目のティーチ・イン『押しつけられた常識を覆すーー経済の視点から』が開催される。経済を単体として語るのではなく、国家との接合という視点があるのかないのか。さらにイリノイ大学名誉教授平恒次氏が語るであろう琉球独立論がその議論にどう関わっていくのか。興味は尽きない。
  

2008年05月26日

カフェスロー第一幕終了

カフェスローが移転のため7年間の現店舗での営業を昨日終えた。移転の話を耳にした時には愕然としたが、それからあっというまにその日を迎えてしまった。

ナマケモノ倶楽部MLで代表の吉岡さんが「予期せず最後の挨拶で胸を詰まらせ、涙をもらしてしまいました」と書いているのを読み、こちらももらい泣きしてしまった。と同時に個人的な思い出の数々がふいにフラッシュバックして甦った。

2001年春、参加して間もないNAMという社会運動組織の中で、国分寺にあるユニークなカフェの噂が出ていた。当時隣の国立市に住んでいた私は興味を覚え、ある日仕事帰りに自転車でそのオープンして間もない店を訪ねた。

広々と感じさせる店内のデザイン、噂のストローベイル、初めて耳にしたフェアトレードという言葉、コーヒーのやさしい味。二つとない個性的な魅力を感じた。

当時NAM環境系の連絡責任者をしていた私は、企画していた読書会をここでやりたいと思った。環境というテーマで共通するのだから、NAM以外の繋がりができるのではないかと期待して。

NAMの中でカフェスローを利用したのは環境系に限らなかった。その中でもやはり地域通貨Qを介しての繋がりが大きかった。事業者として最初に参加してくれたのがカフェスローだった。支払いの一部に地域通貨が実際使えるというのはとてつもなく画期的だった。

NAMのメンバー数人がナマケモノ倶楽部に入るというので、私も負けじと入会した。NAM=マッチョ、ナマケモノ倶楽部=若い女の子ワンサカという好対照な両団体だが、地域通貨を介してとにかく繋がった。私自身はこの両極に属することで、自分の中のバランスをとっていたところがある。

その後も家が近い私は、NAMの活動に限らず、この居心地の良い空間に足繁く通った。毎週火曜日の夜にやっていたキャンドルナイト。当時のブッシュ政権の原子力政策に対抗して、電気を使わずろうそくの灯りで暗闇を楽しもうという企画。それに盲目のバイオリニストの生演奏がつく。

やり始めた当時は認知度もなく、とにかくお客さんが来なかった。吉岡さんからサクラを頼まれたことも一度ではない。演奏終了後、吉岡さんがバイオリニストに申し訳無さそうに謝礼を渡す場面を、この文章を書きながら思い出してしまった。

しかし継続は力なりとはよくいうもので、口コミが着実に広がり徐々に暗闇を埋める人たちが増えていった。そのプロセスをずーっと見てきた私は多くのことを学ばせてもらった。この企画はその後カフェスローから広がり、環境省をも巻き込んだ大きなムーブメントになるのは皆さんご存知の通り。でも私にとってカフェスローのあの親密な暗闇のひと時こそがキャンドルナイトだ。

東京脱出を試みた私は、アパートを引き払い約2ヶ月間の旅に出た。東京から西へ、南は宮古島まで、居場所を求めるあてのない旅。旅自体はそれまでの経験に無いほどとても楽しいものだったが、結局居場所は見つからなかった。それからどうしようか計画性の無い私は思案した。その時「カフェスローの屋根裏でよければしばらく居ていいよ」と吉岡さんはいってくれた。

屋根裏にはその年の秋から冬にかけて約半年間いさせてもらった。冬は寒いなんていうものではない。死ぬかと思った・・・

その半年の間に、カフェスローがさらによく見えてきた。経営者としての吉岡さんの苦悩、ユリカのカフェスローへの愛情、コーヒーの開発を深夜まで続けるキヨちゃんの情熱。その他にも言い尽くせないたくさんの人の思いが、その場所に集まり、交差し、仲違いし、仲直りしていた。閉店後、誰も居なくなった店内には、それらの「気」がまだ残っているような、濃密な暗闇があった。

どういう理由だか分からないが、吉岡さんは私を気に入ってくれていたようで、店長をしないかと言っていただいたこともある。代表と店長を兼ねるハードさ、若い世代とのコミュニケーションの難しさなど、困難ばかりだったろう。

2003年春、私はカフェスローを離れ、そして沖縄へ来た。カフェスローはその後も順調に続き、そして突然の移転話。

スタッフの皆さんに対しては心から慰労の言葉を捧げたい。

新生カフェスローは6月中旬から新たなスタートをきる。どうにか機会を作り、その心地よい空間に行ってみたいものだ。



  

Posted by 24wacky at 21:31Comments(3)TrackBack(0)イロイロ

2008年05月26日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その11

4 商人資本と金貸し資本

商品交換は合意に基づく対等な世界である。しかし同時に、貨幣と商品という非対称な関係を伴う。貨幣を持てばいつでもどんなものとも交換できるが、商品は売れなければ価値が無い。そこから人が貨幣を貯めこむ倒錯が生じる。

マルクスが守銭奴に言及したことは重要だ。守銭奴はいつでもどんなものとも交換できる権利を蓄積するのに忙しく、それを実際に使うことには興味が無い。

それに対し、商人資本は、貨幣→商品→貨幣+α、つまりM-C-M’という過程を通した貨幣の自己増殖運動だ。資本家は合理的な守銭奴といえる。それが動機付けているのは、守銭奴の蓄積衝動と同じ。違うのは、資本家は資本を増殖するためにあえて流通の中に跳びこむ点。

剰余価値は、安く買って高く売ることで生まれる。古来これを詐欺だという非難があったが、果たしてそうだろうか?貨幣は、それ自体を含む全商品の等価関係(価値関係)の体系において存在する。ある商品の価格は、それと貨幣が等しい位置にあるだけでなく、それを通じて関係する全ての商品との関係で決まる。だから同じ商品でも場所が変わり価値体系が異なれば価格は変わる。だから詐欺ではないのだ。

商品は売れなければ交換価値も使用価値もない。後は廃棄されるのみ。マルクスは、商品が貨幣と交換されるかどうかを「命がけの飛躍」と呼んだ。商品→貨幣(C-M’)の部分がそうだ。

この危険を避けるのが「信用」、つまり約束手形の発行、決済にあたる。信用制度は資本の運動の回転を加速し永続化する。M-C-M’という過程の終りまで待つ必要が無いので、資本家はさらに投資ができる。

このように資本主義について考えるためには、商人資本と金貸し資本まで遡る必要がある。
  

2008年05月25日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その10

2章 貨幣と市場


1 商品交換とは何か

交換様式C(商品交換)には固有の形式がある。第一に、それは共同体と共同体の間に始まる。第二に、商品交換は国家の支配下でしか成立しない。なぜならば、暴力を独占することによって他の暴力を禁じる国家と法がなければ略取が生じるため、商品交換は成立しないから。

つまり、商品交換自体は古来からあったのだが、互酬や略取・再分配の交換様式の陰に隠れていた。それが近代国家の誕生によって成長したというわけ。それによって市場経済が発展し共同体は崩壊していく。



2 未開社会と原始社会

国家の起源を未開社会から考えるべきではない。未開社会は外部から身を隔離することによって成立したシステムだから、共同体と共同体の間に発生する国家を説明できない。同じことが貨幣についてもいえる。

商品交換は共同体と共同体の間で生まれる。よって未開社会に商品交換は存在しない。部族間の交換はあるが、共同体の外に出るものではない。

国家と商品交換は相補的である。「すなわち、一方で、一つの共同体が他の多数の共同体を支配するようになるとき、他方で、多数の共同体の間での生産物交換が無事になされるわけです」。このように、商品交換は国家の保護なしには成立しない。


15,16世紀の琉球の歴史に照らすと、一方で、中国という国家が他の多数の共同体を支配し、他方で、琉球は多数の共同体の間で生産物交換を無事に行うことができたといえる。暴力を独占した中国という国家の保護なしに琉球貿易は成立しなかった。



3 貨幣の起源

アダム・スミスは、商品には使用価値と交換価値があるといった。交換価値とは他の商品を購買する力のこと。つまり各商品はそれぞれ貨幣だということ。

しかしこれは間違っていて、商品の価値は、他の商品の使用価値で表現されるといい代えるべきだ。一商品の価値は、他の商品との等価形態、いいかえれば「価値形態」において生じる。

とすると、貨幣が出現するためには、一商品のみが他の全ての商品と交換可能となるときという条件が必要となってくる。「たとえば、金や銀が一般的な等価形態の位置を占め、他のすべての物は相対的価値形態におかれるとき、金や銀は貨幣です。」

しかし、ここで転倒が生じる。金や銀がそこにあるから貨幣であるのではなく、それらが特別だから貨幣であると捉えられようになってしまう。
  

2008年05月25日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その9

5 亜周辺のゆくえ

教科書的な理解では、封建制を倒してブルジョア社会(市民社会)が到来したことになっているが、ある意味で、ブルジョア社会をはぐくんだ自由都市を生み出したのが封建制といえる。前近代的なものをすべて「封建制」と呼ぶのは間違い。さらに封建制は西洋に固有のものではない。これまで述べたように、ギリシャはエジプトなどオリエントの帝国の亜周辺に位置していた。西ヨーロッパはローマ帝国の周辺に位置していた。このように、中核、周辺、亜周辺という位置関係をみることが重要だ。

ウィットフォーゲルは『オリエンタル・デスポティズム』の中で、日本の封建制を中国の帝国に対して亜周辺に位置していたことから論じた。帝国の文明を選択的に受け入れ、それに従属しないというその特徴は、日本固有というより亜周辺に特徴的だといった方がよい。

これらを世界史としてまとめると次のようになる。

中央集権的な帝国が西アジア、東アジアに成立
    ↓
その亜周辺には、中核の文明、制度を受け入れつつ、集権的原理は受け入れない古典古代的な都市国家と帝国が発達
    ↓
さらにその亜周辺に封建制が発達
    ↓
中央集権的な国家が形成(15,16世紀)

最後の中央集権的な国家は常備軍と官僚制を備えた絶対主義国家なのだが、ある意味アジア的国家に似ている。だから、国家について考える時、東洋的専制国家に注目する必要がある
。 

ウィットフォーゲル『オリエンタル・デスポティズム』は未だ読んでいない。これを読んだ上で、世界史における琉球の位置を確認したい。それは例えば「貿易で栄えた非武の島」といったロマン主義を吟味する上でも有効な気がする。
  

2008年05月25日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その8

4 封建制と自由都市

いわゆる封建制は、ローマ帝国の亜周辺であるゲルマンの部族社会において成立したといえる。これについても、支配階級の共同体と被支配階級の共同体の両方から見よう。支配者のレベルでいうと、封建制は、主君と家臣の双務的な契約関係で成り立っている。主君は家臣に封土を与え、養い、家臣は主君に忠誠を誓う。この「交換」は絶対的なものというより双務的なもので、主人が義務を果たさなければ家臣は契約を破棄できる。

この互酬原理によって、集権化が起きず、絶えず戦争体制となった。この次の15,16世紀になると、王が絶対的な主権を握り、封建制を解体し、常備軍と官僚機構を確立した。

西ヨーロッパの自由都市を可能にしたのが、帝国の集権制の弱さにある。ヨーロッパ南部フィレンツェはコムーネ(自由な都市)を宣言したが、それを支えたのは毛織物業などの商工業者のギルド(同業組合)であった。ヨーロッパ北部では、ケルンの大司教が新しい城壁内の住民が参加する自由都市(コミューン)を公認した。自由都市の成立によって、商工業者はブルジョアという身分を獲得した。

自由都市は1871年のパリ・コミューンまで、資本主義を超える運動(コミュニズム)の母体でもあった。それは商品交換の原理で形成された共同体であった。「そこでは、一方で、資本主義の利益を追求するドライブがあり、他方で、それがもたらす経済的格差に対して、互酬原理にもとづく相互扶助的な共同体を回復しようとするドライブが対抗的に存在した」。


封建的社会構成体では、主君と家臣の交換は互酬原理に基づく。そのため集権化が起きず、絶えざる戦争体制におかれる。帝国が集権化できないことが、自由都市を興隆させた。自由都市は商品交換を原理とするが、これは以降起きるコミュニズム(資本主義を超える運動)の母体である。  

2008年05月24日

市民メディアセンター MediR

市民メディアセンター「MediR」オープン

MediR

こういうのを沖縄で誰かいっしょにやらんかえ?  

Posted by 24wacky at 13:05Comments(0)TrackBack(0)NEWSを知りたい

2008年05月24日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その7

3 アジアの専制国家とギリシア・ローマ

国家の諸形態は、支配者と被支配者双方の共同体を見る必要がある。アジア的な国家では、専制的な皇帝と官僚機構・常備軍があることによって、支配者の共同体は消え、中央集権化が可能となる。その一方で、被支配者の共同体はそのまま残る。支配者が共同体全体を上から支配し、かつ共同体とその互酬原理が無傷のまま残っているこのような状態を「東洋的専制国家」という。

その最初の例が、エジプト、メソポタミア、中国で、国家がほとんど完成した形態を示している。農業共同体からの賦役貢納に基づき、保護と服従という「交換」によって周辺国家を支配下におき、範囲を広げて「帝国」になった。そこでは官僚層が支配階級だった。

一方、共同体の互酬原理が残ったことで独自の国家形態を形成したのがギリシアだ。素朴な戦士=農民共同体であるギリシア人は、集権的国家を作ることを妨げた。

ところでアテネの民主主義は西洋に固有の原理として賞賛されるが、近代国家の代議制民主主義とはそもそも異質だ。それは支配者共同体、つまり非市民の奴隷を支配する共同体である。アテネの民主主義は議会にあるのではなく、くじ引きによって決めることにある。そこには誰かが特権的な地位を占めることを極力避けようとする平等主義が貫かれているが、これは共同体の互酬制に基づいている。例えばそれは、北アメリカの先住民族イロコイ族の直接的民主主義にも見出されるが、それは後にアメリカ合衆国建国の模範になった。

ローマはというと、皇帝支配と元老院支配の二重システムが残った。そして異民族を「ローマ市民」として包摂し、領土を拡張し帝国を作った。だが、ギリシア同様奴隷制に基づいていたため、たえず奴隷を獲得する征服戦争を必要とした。ローマ帝国が滅びたのはそのため。


ここでのポイントは2つ。アジア的な国家は、官僚制に基づく中央集権国家と、共同体の互酬原理という2面があり、その2つが共存できたということと、その両者には略取=再分配の交換があったということが1つ目。

2つ目は互酬制と民主主義の関係について。アテネにおいては民主主義=代議制ではなく、くじ引きであり、それは共同体の互酬制に基づいているということ。
2つに共通するのは、互酬制が残り続けるという点だ。

イロコイ族の直接民主主義については、星川淳『魂の民主主義』を柄谷が読んでいることは間違いないだろう。