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2008年08月19日
2008沖縄ドキュメンタリー映画祭
タカマサのきまぐれ時評2から情報をゲットした。
2008沖縄ドキュメンタリー映画祭
映像作家らが「記録映像」もとに沖縄の植民地状況を語る~コロニアル沖縄 研究フォーラム+上映会開催と、上映作品、パネリストなども重複しているようです。
興味のある首都圏の方はどうぞ。
2008沖縄ドキュメンタリー映画祭
映像作家らが「記録映像」もとに沖縄の植民地状況を語る~コロニアル沖縄 研究フォーラム+上映会開催と、上映作品、パネリストなども重複しているようです。
興味のある首都圏の方はどうぞ。
2008年08月18日
素敵なZさん
一昨日は3月にやったハチドリワークショップで出会ったZさんと、プラザハウスのケンタッキーでゆんたくをした。エネルギッシュなZさんが主に喋っていたのだが、話が尽きず楽しい時間を過ごせた。
Zさんは16歳の時に故郷の宮古島から名古屋へ移った。まだパスポートが必要だった時代だ。それから26歳で結婚するまで10年間、本土で生活した。その間いかにひどい差別を受けたか、Zさんは胸のつかえを吐き出すかのように言葉を続けた。「それが私の青春時代だったの」。
「本土の人は本音と建前を使い分ける。建前は立派でやさしそうだが、その本音がいかに差別的であるか」
あまり具体的な話まではしなかったが、彼女の語り方をみて、そのシリアスさは痛いほどこちらにも伝わった。「そんな哀しい顔をしないで・・・」Zさんがそういうくらい、私の顔は情けないものだったのだろう。
Zさんは私を責めているのではない。これまで言い憚っていたそのことを、ただ公然とフツーに誰かに語りたかっただけ、と私には思えた。
2人のお子さんを育て上げ、これから自分のための人生を考え、何かをやりたい。自分と同じような考えをしている人たちと繋がりたい。最近重い病気からも回復し、外へ出たいという欲求が募った。
辻信一さんの著作を読んでいたZさんは、ハチドリワークショップに足を運んだ。エコやらナマケモノやらスローライフといった話を予想していたところに、私の話が始まり、虚を突かれた。
「私がこれまで思っていたこと。でも誰もいおうとしないこと。それをこんなに分かり易い言葉で語っている。こんな人がいたなんて・・・」
Zさんには2つやりたいことがある。1つは8月3日付沖縄タイムス論壇に掲載された「鉄道のない沖縄は差別」という記事に触発され、沖縄島に鉄道を設備するための運動をすること。もう1つは、ドキュメンタリー映画の上映会を定期的にやりたいということ。2つとも、可能な範囲でアドバイスをさせていただいた。
私の年齢を確認すると、「もっと年上かと思っていた」とZさんはいった。年相応の貫禄がない私はたいてい若く見られることが大半なので、やや意外だった。そういうZさんは、この日会うまでの印象と、面と向かって話をしているうちに、だんだん若く見えるように私の目には変化して映った。最後にははっきりと「女」としてZさんを意識している自分がいた。こういう経験も新しいものだった。「話してみて面白かったね」といい、握手の手を差し出すZさん。またひとつ素敵な繋がりが生まれた。
Zさんは16歳の時に故郷の宮古島から名古屋へ移った。まだパスポートが必要だった時代だ。それから26歳で結婚するまで10年間、本土で生活した。その間いかにひどい差別を受けたか、Zさんは胸のつかえを吐き出すかのように言葉を続けた。「それが私の青春時代だったの」。
「本土の人は本音と建前を使い分ける。建前は立派でやさしそうだが、その本音がいかに差別的であるか」
あまり具体的な話まではしなかったが、彼女の語り方をみて、そのシリアスさは痛いほどこちらにも伝わった。「そんな哀しい顔をしないで・・・」Zさんがそういうくらい、私の顔は情けないものだったのだろう。
Zさんは私を責めているのではない。これまで言い憚っていたそのことを、ただ公然とフツーに誰かに語りたかっただけ、と私には思えた。
2人のお子さんを育て上げ、これから自分のための人生を考え、何かをやりたい。自分と同じような考えをしている人たちと繋がりたい。最近重い病気からも回復し、外へ出たいという欲求が募った。
辻信一さんの著作を読んでいたZさんは、ハチドリワークショップに足を運んだ。エコやらナマケモノやらスローライフといった話を予想していたところに、私の話が始まり、虚を突かれた。
「私がこれまで思っていたこと。でも誰もいおうとしないこと。それをこんなに分かり易い言葉で語っている。こんな人がいたなんて・・・」
Zさんには2つやりたいことがある。1つは8月3日付沖縄タイムス論壇に掲載された「鉄道のない沖縄は差別」という記事に触発され、沖縄島に鉄道を設備するための運動をすること。もう1つは、ドキュメンタリー映画の上映会を定期的にやりたいということ。2つとも、可能な範囲でアドバイスをさせていただいた。
私の年齢を確認すると、「もっと年上かと思っていた」とZさんはいった。年相応の貫禄がない私はたいてい若く見られることが大半なので、やや意外だった。そういうZさんは、この日会うまでの印象と、面と向かって話をしているうちに、だんだん若く見えるように私の目には変化して映った。最後にははっきりと「女」としてZさんを意識している自分がいた。こういう経験も新しいものだった。「話してみて面白かったね」といい、握手の手を差し出すZさん。またひとつ素敵な繋がりが生まれた。
2008年08月17日
「同点になりましたよ」
一昨日、ナカヌヒーの出来事。近所の酒屋へビールを買いに行った。レジで50代後半位の男性店主から「同点になりましたよ」と声をかけられた。「何回ですか?」とオイラ。「八回。リードしていたが追いつかれてしまった」と店主。
ちょうど浦商と慶応の激戦が繰り広げられていたのだ。沖縄では、高校野球で沖縄の試合が始まると、街から人の姿が消える。みな、それぞれの家でテレビ観戦しているのだ。沖縄人としての郷土意識を正々堂々と共有できるのだから。そんな家々から時より喚声やらため息が聞こえるこの時間がオイラは好きだ。
それにしても店主はヤマトーンチュのオイラになぜ浦商の話題をいきなりふってきたのだろうか?沖縄人は自分たちのアイデンティティを確認する符号=高校野球での沖縄試合を、ヤマトーンチュに開くようなことは通常しない。浦商の話題をふるのは、あくまで沖縄人同士の確認作業なのだから。
ところがこの店主は、いかにも自然に、親しみのこもった目つきでオイラに声をかけてきてくれた。
沖縄では、例えば言葉を交わさなくても、オイラのようなヤマトーンチュは、外面的な対象として、第一に「ヤマトーンチュ」であると認識される。面立ち、立ち居振る舞いなどで判断されるのだろう。あるいはそれ以上に「ヤマトゥ臭」みたいのものを発しているのかもしれない。
もしかしたら、5年の生活を経て、オイラの「ヤマトゥ臭」も少しは弱まってきたのかもしれない。それが店主の警戒を解いたのであるとしたら。そんな勝手な夢想をしてみた。でももし本当にそうだとしたら、これほど嬉しいことはない。他人からみたらほんのささいな出来事に違いないが、オイラにとっては忘れえぬ一瞬であった。
さて、準決勝のプレイボールだ。
ちょうど浦商と慶応の激戦が繰り広げられていたのだ。沖縄では、高校野球で沖縄の試合が始まると、街から人の姿が消える。みな、それぞれの家でテレビ観戦しているのだ。沖縄人としての郷土意識を正々堂々と共有できるのだから。そんな家々から時より喚声やらため息が聞こえるこの時間がオイラは好きだ。
それにしても店主はヤマトーンチュのオイラになぜ浦商の話題をいきなりふってきたのだろうか?沖縄人は自分たちのアイデンティティを確認する符号=高校野球での沖縄試合を、ヤマトーンチュに開くようなことは通常しない。浦商の話題をふるのは、あくまで沖縄人同士の確認作業なのだから。
ところがこの店主は、いかにも自然に、親しみのこもった目つきでオイラに声をかけてきてくれた。
沖縄では、例えば言葉を交わさなくても、オイラのようなヤマトーンチュは、外面的な対象として、第一に「ヤマトーンチュ」であると認識される。面立ち、立ち居振る舞いなどで判断されるのだろう。あるいはそれ以上に「ヤマトゥ臭」みたいのものを発しているのかもしれない。
もしかしたら、5年の生活を経て、オイラの「ヤマトゥ臭」も少しは弱まってきたのかもしれない。それが店主の警戒を解いたのであるとしたら。そんな勝手な夢想をしてみた。でももし本当にそうだとしたら、これほど嬉しいことはない。他人からみたらほんのささいな出来事に違いないが、オイラにとっては忘れえぬ一瞬であった。
さて、準決勝のプレイボールだ。
2008年08月01日
東京あしあとその4
28日。
羽田へ向かう前に少し時間がとれたので国分寺のカフェスローへ行く。新生カフェスローへ向かいながら、妙にドキドキしていた。相変わらずの中央線の車内で確かにドキドキしていた。
駅から近くなったカフェスローは、オープンして日が浅いためか、初々しく、少し浮き足立った印象を与える。しかし、店内に入ると、当然別の新しい店なのだが、どこか懐かしい、前のカフェスローの匂いがする。
ユリカが、間宮さんが笑顔で迎えてくれた。久方振りの会話を交わすのだが、どこかもどかしい。5年という月日は意外と長い。
こみあげてくるものがあるが、うまく書けそうもない。
「屋根裏に住んでいた男」ということで、カフェスロー・スタッフの間では伝説となっているらしいオイラ。次回はいつ行けるのだろう・・・

どこか懐かしい店内

ギャラリー 只今吉岡ちえちゃんの辺野古インスタレーション展示中!

すっかりカフェ店長らしい間宮さんとカフェスローの太母ユリカ
羽田へ向かう前に少し時間がとれたので国分寺のカフェスローへ行く。新生カフェスローへ向かいながら、妙にドキドキしていた。相変わらずの中央線の車内で確かにドキドキしていた。
駅から近くなったカフェスローは、オープンして日が浅いためか、初々しく、少し浮き足立った印象を与える。しかし、店内に入ると、当然別の新しい店なのだが、どこか懐かしい、前のカフェスローの匂いがする。
ユリカが、間宮さんが笑顔で迎えてくれた。久方振りの会話を交わすのだが、どこかもどかしい。5年という月日は意外と長い。
こみあげてくるものがあるが、うまく書けそうもない。
「屋根裏に住んでいた男」ということで、カフェスロー・スタッフの間では伝説となっているらしいオイラ。次回はいつ行けるのだろう・・・

どこか懐かしい店内

ギャラリー 只今吉岡ちえちゃんの辺野古インスタレーション展示中!

すっかりカフェ店長らしい間宮さんとカフェスローの太母ユリカ





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