2008年06月25日
沖縄アソシエーショニズムへ その3
新川明の反国家とは
5月18日に開催されたシンポジウム「マーカラワジーガ?! 来るべき自己決定権のためにー沖縄・憲法・アジア」セッション1のパネル・ディスカッションにおける質疑応答で、「議論が現実的でない」とのフロアからの声に対し、屋嘉比収は概ね以下のように答えた。
ポスト国民国家を議論するならば、国民国家についての認識を持つことが前提となる。「反復帰論」を現実の社会で再構築する際に、私のような門外漢は当時「反復帰論」が議論されたときに、そこで(国民)国家がどのように語られているかを確認する必要がある。
シンポジウム壇上では、「話すことはない」と、ひたすら自嘲トーンを崩さなかった新川明は、反復帰―反国家―反国民という議論を復帰前夜、つまり「核抜き・本土並み」という世論が形成されていく中で展開していた。
沖縄は日本と異質であるのに、それが復帰によって等質なネーション(国民)にされてしまうことを新川は危惧した。注目すべきは、その日本とは異質であるという「歴史的、地理的の所産」が「国家否認の可能性」としてあらかじめ目されているということだ。
さらに、沖縄人が日本(人)に対して持つ「差意識」が「強靭な思想的可能性を秘めた豊穣な土壌」であるとした新川は、次のように続ける。
沖縄人としての民族性を高めることが、反ヤマトゥ=反国家となるという論理である。ヤマトゥに反する行為として、沖縄人としての「差意識」を保持することが求められる。そのような沖縄の存在が日本という国家を解体させるというように読める。
米軍統治下、本土復帰前の沖縄は、日本という国家の外にある、そして主権がない状態といえる。その状態であればこそ、反国家を掲げることは極めてリアルな正当性を持つ。等質化を迫るヤマトゥに抗し、「差意識」を保持することによって、「日本志向の『復帰』思想を破砕する」という批判精神は鋭い。
だが、それが反ヤマトゥといえたとしても、反国家とまで論理を拡げることに、私は疑問を持つ。新川のいう国家とはヤマトゥを指すに過ぎず、独自の意志を持つ国家そのものの形態を見ていない。沖縄の民族性を高めることが、日本という国家を解体させるというが、私には具体的にそのイメージが浮かばない。この時、もしそのような方向性に向かっていたとすれば、沖縄は本土復帰せずに、アメリカの統治からも解放され、独立国家という形態をとっただろう(それが可能であればの話だが)。それは日本という国家を解体するよりむしろ強固にしただろうし、沖縄も反国家ならぬ不安定な独立国家として、同様に自らを敵対的に編成せざるをえなかっただろう。つまり、民族意識が高揚し、紛争により独立を果たすという、それ自体が国民国家の産物であるような結果となる以外想像ができない。
もっとも、新川は、自説の「反復帰」を、「琉球独立論」という政治運動論として捉える周辺からの評価に対して、「貧困な想像力が反乱している」と無理解を憤っている。
沖縄は、琉球処分以来統合支配されていた日本から、敗戦により分断された。それによって日本の呪縛から解放されたかのようだったが、絶えざる暴力に晒される米軍支配、そしてそれが、対日講和条約により固定化されることへの不安から、反米思想が高揚し、翻って本土復帰を志向した。
その過程で日本という国家へ「身をのめり込ませていく」沖縄人を、新川は批判する。そうではなく、国家を拒否し続ける個の精神志向こそが「反復帰」の意味するところだと。時代を覆った沖縄の本土復帰への「全体主義」に対して、外部(ヤマトゥ)を単に批判するのではなく、沖縄人の内発性に切り込む新川の態度は批評そのものといえる。
と同時に、私は、ここに新川の批判の限界を感じる。新川は、国家に対する概念として個の精神性を重視している。つまり、新川の「反国家」は精神の闘いである。そして、それ以上具体的な運動論を展開していない。
しかしながら、精神の闘いのみで国家は覆せるだろうか?もちろん、否である。それは、容易に覆されないような強固な構造を持っている。そのカラクリを理解すればするほど、それを解消することの困難さもまた理解せざるをえない。にもかかわらず、国家が何であるかを理解した上で、対抗の理論と実践を志向するのが『世界共和国へ』を読むことの意味である。
新川明の反復帰論については、まだまだ評価すべき点があるだろう。何より、「復帰前」というクリティカル・ポイントで「反国家」という言葉を用い、ヤマトゥのみならず沖縄(人)をも批判できたことは大きな意味を持つ。私自身、未だ彼の思想の全体を把捉できていない。沖縄(人)が国家(日本)へと身をのめりこませていった、その精神性ではなく構造について興味がある。
5月18日に開催されたシンポジウム「マーカラワジーガ?! 来るべき自己決定権のためにー沖縄・憲法・アジア」セッション1のパネル・ディスカッションにおける質疑応答で、「議論が現実的でない」とのフロアからの声に対し、屋嘉比収は概ね以下のように答えた。川満信一の「琉球共和社会憲法C私(試)案」その「第十一条 共和社会人民の資格」「琉球共和社会の人民は・・・この憲法理念に賛同し、遵守する意志のある者は、人種、民族、性別、国籍いかんを問わず、その所在地において資格を認められる。」について、上野千鶴子はこう述べている。「これはたんなる夢想だろうか?仮にこのような統治共同体の主張が、国家主権とならんで認められるならば、個人は帰属を移転することで、兵役を避けることもできる。(中略)私の生命と財産は、国家に属さない。私と国家との双務契約は包括的な契約ではなく、限定的、部分的契約に過ぎないという考え方は、徴兵拒否の権利にもつながるし、『慰安婦』訴訟における個人賠償権の論理にもつながる。」(『生き延びるための思想』)
川満は今の国民国家体制の困難さ(*乗り越える困難さという意味か)を踏まえた上で、それとは違う国民主権の在り方、独立の在り方を議論している。ポスト国民国家ということを議論する時に、(川満のように)リアリティとしてそこに踏み込もうとする人たちがいる。一方では、沖縄社会の中で「反復帰論」に対してリアリティを感じない人たちが確実にいる。そこはわれわれ「反復帰論」を接木する世代が考えなければいけない。「反復帰論」を現実の社会でリアリティをもったかたちで再構築する。それが次の問題として提起される。
ポスト国民国家を議論するならば、国民国家についての認識を持つことが前提となる。「反復帰論」を現実の社会で再構築する際に、私のような門外漢は当時「反復帰論」が議論されたときに、そこで(国民)国家がどのように語られているかを確認する必要がある。
シンポジウム壇上では、「話すことはない」と、ひたすら自嘲トーンを崩さなかった新川明は、反復帰―反国家―反国民という議論を復帰前夜、つまり「核抜き・本土並み」という世論が形成されていく中で展開していた。
なぜならば、「復帰」とは、すなわち日本同化の志向に根ざして、日本と沖縄を等質なネーションとして溶解していくということにほかならず、沖縄のわたしたちが、日本人といささかの差別もない同等の国民としての資格付与をねがう心情でしかないからである。そしてその限りにおいて、その志向するところからは、沖縄が日本に対して所有している歴史的、地理的の所産としての、国家否認の可能性は生まれでることはないばかりか、むしろ国家幻想によってその萌芽は扼殺される以外にないからである。
(「『非国民』の思想と論理」)
沖縄は日本と異質であるのに、それが復帰によって等質なネーション(国民)にされてしまうことを新川は危惧した。注目すべきは、その日本とは異質であるという「歴史的、地理的の所産」が「国家否認の可能性」としてあらかじめ目されているということだ。
さらに、沖縄人が日本(人)に対して持つ「差意識」が「強靭な思想的可能性を秘めた豊穣な土壌」であるとした新川は、次のように続ける。
わたしたちはこの土壌を丹念に耕し、掘り起こすことによって、そこに反ヤマトゥ=反国家の強固な堡塁を築き、それによって日本志向の「復帰」思想を破砕することができる。そして日本同一化をねがう「復帰」思想を打ち砕くことによって、反国家の拠点としての沖縄の存在を確保し、その沖縄の存在をして〈国家としての日本〉を撃つ、つまり国家解体の爆薬として日本の喉元を扼すことができるだろうと考える。
沖縄人としての民族性を高めることが、反ヤマトゥ=反国家となるという論理である。ヤマトゥに反する行為として、沖縄人としての「差意識」を保持することが求められる。そのような沖縄の存在が日本という国家を解体させるというように読める。
米軍統治下、本土復帰前の沖縄は、日本という国家の外にある、そして主権がない状態といえる。その状態であればこそ、反国家を掲げることは極めてリアルな正当性を持つ。等質化を迫るヤマトゥに抗し、「差意識」を保持することによって、「日本志向の『復帰』思想を破砕する」という批判精神は鋭い。
だが、それが反ヤマトゥといえたとしても、反国家とまで論理を拡げることに、私は疑問を持つ。新川のいう国家とはヤマトゥを指すに過ぎず、独自の意志を持つ国家そのものの形態を見ていない。沖縄の民族性を高めることが、日本という国家を解体させるというが、私には具体的にそのイメージが浮かばない。この時、もしそのような方向性に向かっていたとすれば、沖縄は本土復帰せずに、アメリカの統治からも解放され、独立国家という形態をとっただろう(それが可能であればの話だが)。それは日本という国家を解体するよりむしろ強固にしただろうし、沖縄も反国家ならぬ不安定な独立国家として、同様に自らを敵対的に編成せざるをえなかっただろう。つまり、民族意識が高揚し、紛争により独立を果たすという、それ自体が国民国家の産物であるような結果となる以外想像ができない。
もっとも、新川は、自説の「反復帰」を、「琉球独立論」という政治運動論として捉える周辺からの評価に対して、「貧困な想像力が反乱している」と無理解を憤っている。
だから、少なくとも私が、「反復帰」という時の「復帰」とは、分断されている日本と沖縄が領土的、制度的に再統合するという外的な現象を指しているのではなく、それはいわば、沖縄人がみずからすすんで〈国家〉の方へと身をのめり込ませていく、内発的な思想の営為をさす。その意味で「反復帰」とは、すなわち個の位相で〈国家〉への合一化を、あくまで拒否し続ける精神志向と言いかえて差し支えはない。さらに言葉をかえていえば、反復帰すなわち反国家であり、反国民志向である。非国民として自己を位置づけてやまないみずからの内に向けたマニフェストである。
(〈反国家の兇区〉としての沖縄)
沖縄は、琉球処分以来統合支配されていた日本から、敗戦により分断された。それによって日本の呪縛から解放されたかのようだったが、絶えざる暴力に晒される米軍支配、そしてそれが、対日講和条約により固定化されることへの不安から、反米思想が高揚し、翻って本土復帰を志向した。
その過程で日本という国家へ「身をのめり込ませていく」沖縄人を、新川は批判する。そうではなく、国家を拒否し続ける個の精神志向こそが「反復帰」の意味するところだと。時代を覆った沖縄の本土復帰への「全体主義」に対して、外部(ヤマトゥ)を単に批判するのではなく、沖縄人の内発性に切り込む新川の態度は批評そのものといえる。
と同時に、私は、ここに新川の批判の限界を感じる。新川は、国家に対する概念として個の精神性を重視している。つまり、新川の「反国家」は精神の闘いである。そして、それ以上具体的な運動論を展開していない。
しかしながら、精神の闘いのみで国家は覆せるだろうか?もちろん、否である。それは、容易に覆されないような強固な構造を持っている。そのカラクリを理解すればするほど、それを解消することの困難さもまた理解せざるをえない。にもかかわらず、国家が何であるかを理解した上で、対抗の理論と実践を志向するのが『世界共和国へ』を読むことの意味である。
新川明の反復帰論については、まだまだ評価すべき点があるだろう。何より、「復帰前」というクリティカル・ポイントで「反国家」という言葉を用い、ヤマトゥのみならず沖縄(人)をも批判できたことは大きな意味を持つ。私自身、未だ彼の思想の全体を把捉できていない。沖縄(人)が国家(日本)へと身をのめりこませていった、その精神性ではなく構造について興味がある。
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この記事へのコメント
世界システム内で国家を考えるときウイットフォーゲルの亜周辺という概念が非常に参考になります。国家の完成体ともいうべき帝国の支配をよそに何故たとえばイギリスが世界の中心になりえたか。周辺の国家は帝国の中央集権的な官僚制統治を採用せざるをえないが、亜周辺に位置する国家は帝国の文明を取捨選択して取り入れ、なおかつ中央集権的な支配は採用しないという選択が成り立つ。このことは日本にも当てはまると思います。中華帝国の亜周辺として、周辺の朝鮮とは全く異なる歴史を持ちえたのだと思います。日本には封建制が発達しましたが、これは亜周辺のめざましい特長です。封建制から近代の絶対主義国家が生まれた過程は昔「トランスクリティーク」で勉強しましたよね(笑)
前置きが長くなりましたが、新川さんが言っておられることは、「復帰」に「周辺」化を見、「亜周辺」の可能性が閉ざされると警鐘を鳴らしたと考えてみると建設的だと思います。今の日本の「文明」を取捨選択しながら取り入れ、なおかつその中央集権的な支配体制は採用しない、というあり方が「復帰」では消えてしまう。
前置きが長くなりましたが、新川さんが言っておられることは、「復帰」に「周辺」化を見、「亜周辺」の可能性が閉ざされると警鐘を鳴らしたと考えてみると建設的だと思います。今の日本の「文明」を取捨選択しながら取り入れ、なおかつその中央集権的な支配体制は採用しない、というあり方が「復帰」では消えてしまう。
Posted by ゴロー at 2008年06月27日 15:20
ウィットフォーゲルは図書館で借りてパラパラと読んでみたものの、ギブアップしました。また、チャレンジします。
そうして、明(中国)の冊封・進貢体制の交換様式を探りたい。琉球への優遇措置についても。
そうすればゴローさんの新川明への評価も理解できるかな。
そうして、明(中国)の冊封・進貢体制の交換様式を探りたい。琉球への優遇措置についても。
そうすればゴローさんの新川明への評価も理解できるかな。
Posted by 24wacky
at 2008年06月27日 22:06
at 2008年06月27日 22:06※このエントリーではブログ管理者の設定により、ブログ管理者に承認されるまでコメントは反映されません






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