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2008年12月31日

農耕が先か定住が先か?

「『世界共和国へ』に関するノート」のためのメモ その10

「『世界共和国へ』に関するノート(4) 国家の起源」では、農耕と牧畜により定住生活が始まったという人類史の定説に対し、定住が農耕以前に存在するという異論から始まる。四百万年以上遊動生活を送ってきた人類が急激に定住するようになったのは農耕のためではない。西田正規によれば、それは気候の温暖化による食料の備蓄・保存のためである(『人類史のための定住革命』講談社学術文庫)。
  
さて、その定住化だが、人類にとって決して望ましいものではなかった。それは社会を大きく変えた。その困難には内的なものと外的なものとに区別できる。まず内的な困難から。備蓄によって人口が増加した。それに応じて対人的な葛藤が生じた。これは遊動生活ではたいした問題ではなかったはず。いやならそこから出て行けばよかったのだから。だが、定住生活ではそれをなんとかやりくりしなければならない。そこで、多数の家族や氏族を統合する原理が必要となる。血縁(リニージ)とはそのようなものだ。

さらに別の困難について述べる柄谷には驚かされる。

ところで、定住によって蓄積されるのは、食料や生産手段だけではない。廃棄物もそうである。そして、その中でも、最大の廃棄物は死者である。アニミズムでは、一般に、死者は生者を恨む、と考えられている。遊動生活においては、死者を埋葬して立ち去ればよかった。しかし、定住すると、死者の傍らで共存しなければならない。それが死者への観念、および死の観念そのものを変える。さらに共同体はリニージにもとづき、死者を先祖神として仰ぐ組織として再編される。


まず、備蓄されるものとして廃棄物に注目し、その最大のものが死者(死体)であると指摘する。さらに、その死者との共存が、死者から恨まれないために、死者を先祖神として仰ぐようになるとする。つまり、血縁によって先祖を仰ぐ、敬うという行為が人間の本性というより、定住生活によって生まれた制度であるというのだから。

ところで、定住した狩猟採集民の中には、日本列島の縄文人やアイヌ人のように、農耕をやっている人たちがいた。しかしそれらはあくまで副次的なものにすぎなかった。彼らは長年の遊動生活をそう易々と手放すはずがない。

彼らは、遊動生活から維持してきた互酬の原理を手放さなかったのである。定住の結果、さまざまな不都合が生じた。たとえば、テスタールがいうように、このような定住―蓄積がはじまるにつれて、不平等と階級差が生じた。にもかかわらず、それは階級社会も国家ももたらさなかった。というのは、共同体の内部で、再分配がなされたからである。


ここでも交換様式によって国家の発生(の不発)をみるという独自の視点が用いられる。互酬制が国家の発生をとどめていた。互酬制から国家は生まれない。

繰り返せば、西田がいうように、農耕から定住が始まるのではなく、定住から農耕が始まる。では、それはどのようにして始まるのか?


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