デモクラシーを越える無支配のシステム『哲学の起源』柄谷行人
「民主主義ってなんだ?」と問われる前に、柄谷行人はそれに答えていた。哲学に関するいくつかの通説を刺激的に覆し、この間探求を続けてきた資本と国家を超える交換様式と遊動性の理論に強引なまでにつなげるというやり方で。
デモクラシーの語源はdemos(大衆・民衆)とcracy(支配)、すなわち多数決原理による支配である。古代ギリシアの民主主義はアテネ中心主義として語られてきた。しかしその実態として、アテネは市場経済や言論の自由を認めたことで、不平等を生み出した。そのために、富の再分配によって平等化をはかった。他方で、アテネの民主主義は成員の「同質性」にもとづき、異質な者を排除した。さらに、奴隷や寄留外国人を搾取した。他のポリスから収奪した金を、議会に出席する日当として市民に分配した。
アテネの政治は僭主政が続き、その後に本格的な民主政が始まったとされるが、ヘーゲルはそこに近代の政治過程を見出す(『哲学史講義』)。近代の民主主義は、まず封建諸勢力を制圧する絶対王政あるいは開発独裁型の体制を経、つぎにそれを打倒する市民革命を通して実現する。それは一度は権力の集中を経なければ実現されないということであり、デモクラシーが本質的に「支配」の一形態であることを意味する、と。
ここで本書の最大のキーワードであるイソノミアが登場する。イソノミアは無支配という概念であり、「支配」が残るデモクラシーと区別される。その重要性に触れた唯一の知識人がハンナ・アーレントだった(『革命について』)。イソノミアはギリシア全般にあったとするアーレントに対し、柄谷は、イソノミアが氏族的伝統をもたない植民者たちによって都市が形成されたイオニアに存在したはずだと自説を展開するのが本書の読みどころである。
イオニアでは、貨幣経済が発達しているにもかかわらず人々は経済的に平等であった。なぜか。イオニアでは、土地をもたない者は他人の土地で働くのではなく、別の都市に移住し、大土地所有が成立しなかったからだ。ここで「自由」が「平等」をもたらす、遊動性(自由)をもつことが平等をもたらす、というアンチノミーが披露される。
さらに柄谷は交換様式というおなじみの概念へと遊動=誘導する。
交換様式という観点から見ると、イオニアでは、交換様式Aおよび交換様式Bが交換様式Cによって越えられ、その上で、交換様式Aの根元にある遊動性が高次元で回復されたのである。それが交換様式D、すなわち、自由であることが平等であるようなイソノミアである。アテネのデモクラシーが現代の自由民主主義(議会制民主主義)につながっているとすれば、イオニアのイソノミアはそれを越えるようなシステムへの鍵となるはずである。
(42ページ)
『哲学の起源』
著者:柄谷行人
発行:岩波書店
発行年月:2012年11月16日
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