『物語の体操』大塚英志

24wacky

2019年05月20日 20:24



 小説を書くという特権行為を、それが「秘儀」ではなく、誰に対しても開かれたものにするという企て。

 「第四講 村上龍になりきって小説を書く」において、著者は村上龍の創作技術を「サブ・カル的な手口」と評する。それをテレビゲームに喩えて次のようにいっている。主人公はテレビゲーム一回ごとにプレイヤーによって入力された名前である。プレイヤーを代行するこのキャラクターがプログラムされたゲームの中(世界観)でクエストを解決していく。この一回分のプレイが村上龍の小説では一作分の物語に相当する。

 「世界観」とはプログラムされたゲーム内世界の全てを指す。プレイヤーはプログラムされた「世界」の中でその約束事に従う限りプレイが可能となる。

 ここで注意したいのは、「世界観」と物語は別だということである。「世界観」は事前に緻密に設計される土台のようなものであり、物語はその上を走らせるものである。一度「世界観」を設計すれば、ゲームをプレイするようにいくらでも物語をつくることができる。

 著者は次のようにまとめる。「世界観」を特化させ、小説やまんがといった表面上のストーリーとは別に構築しておくことは、メディアミックスという物語表現を取り巻く資本の要請に応えるには不可欠な要素である。コミックからゲーム、ゲームからアニメというように一つの物語を他ジャンルに移す際に「世界観」の設計がきちんとされていると作業がはかどる。共通した「世界観」という場の上に、そのメディアにふさわしいストーリーを成立させればよい。村上龍は一つの素材を小説と映画という異なる領域で商品化することを自分に課してきた。だからその「手口」から学べるはずだ、と。

 身も蓋をない言い方のようでもあるが、「資本の要請に応える」その手法にもよるかもしれないが、この認識はエンターテインメントということを考えるとき、きっちり押さえておくべき認識である。

 ところで、私にはいまだに「世界観」がよくわからない。誰か教えてくれないか。

『物語の体操 物語るための基礎体力を身につける6つの実践的レッスン』
著者:大塚英志
発行:星海社
発行年月:2013年8月22日


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