「どうなる普天間移設?~朝まで徹底生激論~」を語る
本家テレ朝「朝生」の演出を、徹底的にパロディといえるほど真似ることにより、同番組への批判が浮き彫りになるという番組スタッフの隠された意図が見事に成功した。むろん地方局にとってキー局の番組をパロディにすることなど、シリアスな力関係からいえば到底考えられないことだ。しかし、それをQAB同番組スタッフは周到に実行した。
では本家への批判としてなにが浮き彫りになったか?それは本家の進行役田原総一朗のそれこそ「偏向した」進行ぶりによってこれまで持ち上げられてきた論客たちが、いかに持ち上げられる価値以下の存在であるかが暴露されたこと。同じく田原により貶められカットされてきた「声」が正等に取り上げられることにより、本来のポジションを得られたこと。
それにはまず、進行を務めたQAB三上キャスターの腹のすわった采配ぶりを挙げなければならない。それにより親米保守(かつての)大物政治家である山崎拓、親米保守軍事論客森本敏のブザマなばかりの精彩の無さ、これまでの家父長的傲慢な態度は鳴りを潜めざるを得なかった。
なんといってもその圧巻は、両者を迎え撃った佐藤学沖国大教授との闘いであった。「グアム移転協定は破棄できる」とする佐藤の言を軽々しく否定してしまった山崎に対し、佐藤はまるで口を挟ませなかった。かつての自民党派閥のドンの口を完膚なきまでにシャットアウトした。
佐藤は森本に対しても同様、終始優勢にディベートを展開した。つい忘れがちだが、佐藤の専門は軍事ではない。しかし、軍事で森本を黙らせた。常にナイフを研ぎ澄ませていたジェネラリスト佐藤の面目躍如全快。この瞬間、これまで沖縄に対して吐かれ続けてきた親米保守軍事の言説は、あっけなく崩壊したといってよい。これからの沖縄は、これらの言説に関わる必要がなくなってしまった。
この後森本は明らかに動揺していた。「佐藤さんもよくご存知の通り・・・」などと弱気のおべっちゃらがつい口を出てしまった。佐藤の存在を認めざるを得なくなったことの証しである。
これに対し、終始建前論のみの玉城デニー、阿部知子両議員の存在感の薄さときたらなかった。二人は、いまここで何が議論されるべきなのかを悲しいほど理解できていない。学者が彼の理性を正当に行使するその圧倒的な倫理観と、それは際立った対照を現前させてしまった。
さらなる圧巻は、2004年沖国大ヘリ墜落事件の生々しいニュース映像から始まるメディアのあり方をめぐる議論で起こった。カメラを遮ろうとする米兵に対し、「You can't do this!」と決死の覚悟で抗うQAB謝花記者の身体表現の美しさに震えがきたその後で。
在沖米軍から発生する問題を報じない中央メディアと、その中央から「左翼偏向メディア」と揶揄される沖縄メディアという対比。三上キャスターは隣に座るテレビ朝日コメンテーター・川村晃司に対し、なぜ中央のメディアは沖縄の基地問題を扱おうとしないのかと直球を投げきった。
これは尋常ではない。ローカル局のキャスターがキー局で一定のポジションにある者に対し、「お前は仕事をしているのか?」といっているのに等しいからだ。窮鼠猫をかむ。 苦虫を噛み潰したような川村のエリートヅラの頬が数センチ震えていたのを私は見逃さない。
さて、三上にしても佐藤にしても、なにが彼らをそうさせたのか。それを直観することがこの番組の全てである。この革命的出来事を折に触れ思い出そう。我々は少なくとも「それ」を目撃した。我々はここから出発しなければならない。
ご覧になれなかった方は
こちらからどうぞ目撃してほしい。
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