2009年05月05日
まだ涙が出ない 500 Miles
オリジナルを凌駕してしまうまでの完成度。冒頭「つ~ぎ~の~」から涙腺をやられる。キヨシローのボーカルがこれほどフィットしたカバーも珍しい。
それをキヨシローの訳詩も含め、アレンジを踏襲し再カバーしているLeyonaもまた見事だ。
Posted by 24wacky at 03:33│Comments(4)
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この記事へのコメント
お久しぶりです。
STです。
連休からずっと一緒に悼んでいます。
まだ何かが決定的に足りない。
悼み足りずに最後は死者の手を取って躍らせてしまうA・ウェスカーの芝居を思い出したりします。
このカバーは初めて聴いたのに、なぜかいつもこの500Milesに舞い戻ってしまうのは、僕もまた田舎出であって、いまもまた訳あって他郷に住んでいる境遇によるためでしょうか。
東京は多摩産の彼が、どうしてこうも見事に出郷・流離の感覚を歌えるのか(ツアーとはわけが違うので)、よく分かりませんが、どうでもいいです。
それはそれとして、初期のRCサクセションから80年代からのロック・スターとして自己規定した忌野清志郎へのつながりが僕の中でうまく説明がつかず、勝手に困っています。
24wackyさんが書いているように、キヨシローは含羞の人だった。その意味で、実に再帰的な「ロック・スター」だったと言えると思います。
このしょうもない、がんじがらめの、ろくでもない日本社会というものの中で、それがどう受け止められるかも知ったうえで、自らの資質との幾ばくかの齟齬も踏まえながら、あえてする「ロック・スター」。
その「あえてする」姿勢にものすごく凛々しさを感じて、僕(ら)は彼を好きになったんじゃないかと思うんです。
その忌野清志郎がどうやってキヨシローになったのか、それを知るための手引きになるような文献をご存知ありませんか。
キヨシローを文字で理解したいなんてとんでもなく野暮な話だとは承知のうえですが、分かりたいということが、悼みたいということと不可分につながっていてしまって、どうしようもありません。
STです。
連休からずっと一緒に悼んでいます。
まだ何かが決定的に足りない。
悼み足りずに最後は死者の手を取って躍らせてしまうA・ウェスカーの芝居を思い出したりします。
このカバーは初めて聴いたのに、なぜかいつもこの500Milesに舞い戻ってしまうのは、僕もまた田舎出であって、いまもまた訳あって他郷に住んでいる境遇によるためでしょうか。
東京は多摩産の彼が、どうしてこうも見事に出郷・流離の感覚を歌えるのか(ツアーとはわけが違うので)、よく分かりませんが、どうでもいいです。
それはそれとして、初期のRCサクセションから80年代からのロック・スターとして自己規定した忌野清志郎へのつながりが僕の中でうまく説明がつかず、勝手に困っています。
24wackyさんが書いているように、キヨシローは含羞の人だった。その意味で、実に再帰的な「ロック・スター」だったと言えると思います。
このしょうもない、がんじがらめの、ろくでもない日本社会というものの中で、それがどう受け止められるかも知ったうえで、自らの資質との幾ばくかの齟齬も踏まえながら、あえてする「ロック・スター」。
その「あえてする」姿勢にものすごく凛々しさを感じて、僕(ら)は彼を好きになったんじゃないかと思うんです。
その忌野清志郎がどうやってキヨシローになったのか、それを知るための手引きになるような文献をご存知ありませんか。
キヨシローを文字で理解したいなんてとんでもなく野暮な話だとは承知のうえですが、分かりたいということが、悼みたいということと不可分につながっていてしまって、どうしようもありません。
Posted by ST at 2009年05月09日 22:52
STさん、お久しぶりです。STさんも清志郎が好きだったのですか・・・とにかくコメントありがとうございます。
STさんの問いは問われるべき問いであると思います。書きたいことがいくつも沸いてきてうまくまとめられませんが、まずは断片的にでも応答してみます。
まずは文献についてですが、この時代の伝記的事実が書かれてあるものを読むことによって、ヒントになるようなことはあると思います。ただ、「この本が」というまでの記憶がかなり曖昧になってしまっていて、申し訳ありませんが具体的に指摘できません(沖縄へ移る際、すべて処分してしまったので)。2,3日前若狭のちはや書房(古書店)に行ったところ、入った正面の目立つところに「忌野旅日記」と「日々の泡立ち―真説RCサクセション」が立てかけてありました。後者はロック評論家でRCを再発見した渋谷陽一によるインタビュー形式になっていて、関連することが書かれてあるかもしれません。
渋谷陽一といえば80年代NHK-FMの「サウンド・ストリート」(この番組へのゲスト出演で既に、寡黙な清志郎の司会泣かせが始まっていた!)。RCがメジャー・シーンに現れ始めた『PLEASE』『BLUE』リリース時の出演ですが、ここで渋谷陽一が問題にしているのは、「どうしてこんな良質のロックバンドを俺は今まで知らなかったのか?」という強烈な改悛、懺悔の念でした。ご存知のように3枚目のアルバム『シングルマン』は廃盤となり、そこから『RHAPSODY』まで長いブランクが生じます。渋谷はこの頃の状況を訊き出そうと試みますが、寡黙な清志郎から核心を突いた答えはなされずに終わってしまいます。
このブランク期間について、確か『ROCK STEADY』というマイナーな季刊雑誌のRC特集に書かれてあった記憶が残っています。どこかにも書きましたが、バンド活動は休止、清志郎は福生(米軍基地がある)にこもり、ドラッグもやりつつ、隠遁生活に甘んじていたらしいです。井上陽水のベストセラーアルバム『氷の世界』への曲提供によって、印税が入ってきたようです。
ここでようやくSTさんの問いに近づきますが、この隠遁生活で清志郎は、売れないことの惨めさを思い知らされ、落ちるところまで落ちたかもしれないし、逆に今度は、売れるためにはどうすればよいか、という普遍的な課題をとことん考え抜いたのではないだろうか、と推測します。
その時点でフォーク・ブームは去っていましたし、長いブランクの後、改めてアコースティックでやる戦略的意味はあまり無かったのではないでしょうか。
とりあえず、いったんこのあたりで止めます。
STさんの問いは問われるべき問いであると思います。書きたいことがいくつも沸いてきてうまくまとめられませんが、まずは断片的にでも応答してみます。
まずは文献についてですが、この時代の伝記的事実が書かれてあるものを読むことによって、ヒントになるようなことはあると思います。ただ、「この本が」というまでの記憶がかなり曖昧になってしまっていて、申し訳ありませんが具体的に指摘できません(沖縄へ移る際、すべて処分してしまったので)。2,3日前若狭のちはや書房(古書店)に行ったところ、入った正面の目立つところに「忌野旅日記」と「日々の泡立ち―真説RCサクセション」が立てかけてありました。後者はロック評論家でRCを再発見した渋谷陽一によるインタビュー形式になっていて、関連することが書かれてあるかもしれません。
渋谷陽一といえば80年代NHK-FMの「サウンド・ストリート」(この番組へのゲスト出演で既に、寡黙な清志郎の司会泣かせが始まっていた!)。RCがメジャー・シーンに現れ始めた『PLEASE』『BLUE』リリース時の出演ですが、ここで渋谷陽一が問題にしているのは、「どうしてこんな良質のロックバンドを俺は今まで知らなかったのか?」という強烈な改悛、懺悔の念でした。ご存知のように3枚目のアルバム『シングルマン』は廃盤となり、そこから『RHAPSODY』まで長いブランクが生じます。渋谷はこの頃の状況を訊き出そうと試みますが、寡黙な清志郎から核心を突いた答えはなされずに終わってしまいます。
このブランク期間について、確か『ROCK STEADY』というマイナーな季刊雑誌のRC特集に書かれてあった記憶が残っています。どこかにも書きましたが、バンド活動は休止、清志郎は福生(米軍基地がある)にこもり、ドラッグもやりつつ、隠遁生活に甘んじていたらしいです。井上陽水のベストセラーアルバム『氷の世界』への曲提供によって、印税が入ってきたようです。
ここでようやくSTさんの問いに近づきますが、この隠遁生活で清志郎は、売れないことの惨めさを思い知らされ、落ちるところまで落ちたかもしれないし、逆に今度は、売れるためにはどうすればよいか、という普遍的な課題をとことん考え抜いたのではないだろうか、と推測します。
その時点でフォーク・ブームは去っていましたし、長いブランクの後、改めてアコースティックでやる戦略的意味はあまり無かったのではないでしょうか。
とりあえず、いったんこのあたりで止めます。
Posted by 24wacky at 2009年05月10日 01:49
STです。
ありがとうございました。
週明けにも、ちはや書房に寄ってみます。
僕は24wackyさんほどキヨシローのよい聴き手であったわけではありませんが、それでもそう長くはない来し方のうちで彼の歌に背中を押されたことが何度もあり、忘れられない恩義を感じています。
彼の初期から中期への跳躍に、いわば認識論的「切断」を見ることができるのではないか(存在論上の「転回」ではなく)、と漠然と考えていたところを、彼の寡黙な言葉と断片的なエピソード群から確かめてみたいと思います。
ありがとうございました。
週明けにも、ちはや書房に寄ってみます。
僕は24wackyさんほどキヨシローのよい聴き手であったわけではありませんが、それでもそう長くはない来し方のうちで彼の歌に背中を押されたことが何度もあり、忘れられない恩義を感じています。
彼の初期から中期への跳躍に、いわば認識論的「切断」を見ることができるのではないか(存在論上の「転回」ではなく)、と漠然と考えていたところを、彼の寡黙な言葉と断片的なエピソード群から確かめてみたいと思います。
Posted by ST at 2009年05月10日 21:47
>その「あえてする」姿勢にものすごく凛々しさを感じて、僕(ら)は彼を好きになったんじゃないかと思うんです。
的を射た表現ですね。そこいらの「ロック・スター」に人が求めるものは、陶酔・熱狂・そしてその忘却だとしたら、キヨシローとの交換としては、あえて誤解を与える語彙を用いれば、ファンはそこに「人生を見る」というか、「あえてする」実践の気配を感じる、というようなことがあるのでは。
古本屋だから月曜は休みかもと思ってチェックしたら、やっぱりそうでした。
↓
ちはや書房
http://chihayabooks.ti-da.net/
的を射た表現ですね。そこいらの「ロック・スター」に人が求めるものは、陶酔・熱狂・そしてその忘却だとしたら、キヨシローとの交換としては、あえて誤解を与える語彙を用いれば、ファンはそこに「人生を見る」というか、「あえてする」実践の気配を感じる、というようなことがあるのでは。
古本屋だから月曜は休みかもと思ってチェックしたら、やっぱりそうでした。
↓
ちはや書房
http://chihayabooks.ti-da.net/
Posted by 24wacky at 2009年05月10日 22:54