2009年05月10日
まだ涙が出ない 激しい雨
アルバム『夢助』(2006)より。さらに肯定的なキヨシローは、「RCサクセション」を「希望」の別の名で呼ぶに至る。むろんこれはノスタルジーであるはずがない。そうでなければ、遠路はるばるナッシュビルまで出かけ、地元オーディエンスに向かって、まるで素人みたいに日本語で歌いきったりするわけがない。
Posted by 24wacky at 22:06│Comments(8)
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この記事へのコメント
土曜の夜NHK FMで、渋谷陽一解説によるキヨシロー特集をやっていました。
渋谷氏曰く「彼は後ろ向きなセンチメンタリズムを潔しとしなかった人」とキヨシローを評していました。
この曲は、とらえ方によってはRCサクセションを懐かしむセンチメンタリズムに聞こえるんですが(実際私は、最初そう捉えてました)、でも24wackyさんのおっしゃる通り、前向きの現れなんだなぁと気付かされました。
渋谷氏曰く「彼は後ろ向きなセンチメンタリズムを潔しとしなかった人」とキヨシローを評していました。
この曲は、とらえ方によってはRCサクセションを懐かしむセンチメンタリズムに聞こえるんですが(実際私は、最初そう捉えてました)、でも24wackyさんのおっしゃる通り、前向きの現れなんだなぁと気付かされました。
Posted by 和歌之介 at 2009年05月11日 11:17
こういう時、関係者のコメントが多く紹介されますが、あまり興味をもてないのでフォローしないことにしました。ただ一人、音楽評論家としてキヨシローに対してまともなことが言える人、またその権利のある人として渋谷陽一を思い起こし、NHK-FMを中心に一応ラジオ欄はチェックしていたんですけど、見落としてしまいました。聴きたかったな。
昨日のニッポン放送で萩原健太氏(と山田五郎)による特集があることを知り、彼からはロック・ミュージックについて多少の薫陶を受けた者として、是非聴いてみたいと思いました。RBC-iラジオでもしかしたら・・・と期待しましたが、ダメでしたね。
キヨシロー後期(ソロ時代)の肯定的な姿勢に馴染むのに時間を要しました。彼のその態度は、最後の3部作(『KING』『GOD』『夢助』)でさらに突き抜けたように思います。その突き抜け方をみて、「そうか!」と合点がいったところがあります。それは彼が年齢を重ね人間的に落ちついたからという説明より(それもあるでしょうが)、ある種の諦念、あるいは絶望といってもいいかもしれませんが、そのラインを突き抜けていたからではないか。むろんこれは彼を神格化するためにいっているのではなく、だからこそ人間としても音楽家としても清志郎が興味深く、また愛惜しいからなのです。
昨日のニッポン放送で萩原健太氏(と山田五郎)による特集があることを知り、彼からはロック・ミュージックについて多少の薫陶を受けた者として、是非聴いてみたいと思いました。RBC-iラジオでもしかしたら・・・と期待しましたが、ダメでしたね。
キヨシロー後期(ソロ時代)の肯定的な姿勢に馴染むのに時間を要しました。彼のその態度は、最後の3部作(『KING』『GOD』『夢助』)でさらに突き抜けたように思います。その突き抜け方をみて、「そうか!」と合点がいったところがあります。それは彼が年齢を重ね人間的に落ちついたからという説明より(それもあるでしょうが)、ある種の諦念、あるいは絶望といってもいいかもしれませんが、そのラインを突き抜けていたからではないか。むろんこれは彼を神格化するためにいっているのではなく、だからこそ人間としても音楽家としても清志郎が興味深く、また愛惜しいからなのです。
Posted by 24wacky at 2009年05月11日 12:48
>RBC-iラジオでもしかしたら・・・と期待しましたが、ダメでしたね。
舌足らずですね。放送してくれるかと期待したが、放送されなかったという意味。
舌足らずですね。放送してくれるかと期待したが、放送されなかったという意味。
Posted by 24wacky at 2009年05月11日 12:55
初めまして。勝手におじゃましてすみません。
あちこちの彼の追悼ブログを読みつつ、何か納得いかずにずーっとふらふらうろついていて、こちらにたどり着きました。
私はボ・ガンボスの熱狂的なファンでした。どんとが亡くなったときに、やはり24wackyさんのように、もうちょっとやばくなる状態までいき、取り憑かれてしまいました…ので、とてもよくわかります。
渋谷陽一氏の「凄くエモーショナルでセンチメンタルな心を持った男だったけれど、同時にハードで前向きな姿勢を崩さなかった」「後ろ向きなセンチメンタルを潔しとしなかった」というコメントは、さすが渋谷さんだと納得していました。
しかし、それ以上に24wackyさんの「夏目漱石のいうところの「寂しさ」(でしたっけ…ごめんなさいわからなくなってしまって)だという一文に全く、了解できました。
これは、どんとも全く同じものを持っていたから。
きっと、John Lennonも一緒ではないかしら。
私にとっては清志郎は「日本のロック界で初めて、言葉と身体とを獲得してオトナになった男」です。
あちこちの彼の追悼ブログを読みつつ、何か納得いかずにずーっとふらふらうろついていて、こちらにたどり着きました。
私はボ・ガンボスの熱狂的なファンでした。どんとが亡くなったときに、やはり24wackyさんのように、もうちょっとやばくなる状態までいき、取り憑かれてしまいました…ので、とてもよくわかります。
渋谷陽一氏の「凄くエモーショナルでセンチメンタルな心を持った男だったけれど、同時にハードで前向きな姿勢を崩さなかった」「後ろ向きなセンチメンタルを潔しとしなかった」というコメントは、さすが渋谷さんだと納得していました。
しかし、それ以上に24wackyさんの「夏目漱石のいうところの「寂しさ」(でしたっけ…ごめんなさいわからなくなってしまって)だという一文に全く、了解できました。
これは、どんとも全く同じものを持っていたから。
きっと、John Lennonも一緒ではないかしら。
私にとっては清志郎は「日本のロック界で初めて、言葉と身体とを獲得してオトナになった男」です。
Posted by sato at 2009年05月11日 14:02
>satoさん
初めまして、そしてよぉーこそ!
ぼくもRCほどではないですが、ボ・ガンボスは好きでした。彼らのデビューPVを初めて観たとき、「RCっぽいなあ」が第一印象でした。どんとの死もやはりショックでした。
漱石の「淋しい(さむしい)」は、「さびしい」でも「さみしい」でもない。彼は決して太宰のように孤独を謳いませんでしたが、この語を使う文体そのものから漱石のさむしさを感じます。
「日本のロック界で初めて、言葉と身体とを獲得してオトナになった男」。これには驚きました!ズバリと感覚的に(もちろんいい意味で)言い当てていますね。同時に女性ならではの捉え方という印象をもちます。「言葉と身体とを獲得して」で終わるところを「オトナになった男」としめる。ここがミソですね。いや~、すごいですね。もうこの一文で、終わってしまっていいような気がします。うーむ。とにかく、素敵な言葉をありがとうございます!
初めまして、そしてよぉーこそ!
ぼくもRCほどではないですが、ボ・ガンボスは好きでした。彼らのデビューPVを初めて観たとき、「RCっぽいなあ」が第一印象でした。どんとの死もやはりショックでした。
漱石の「淋しい(さむしい)」は、「さびしい」でも「さみしい」でもない。彼は決して太宰のように孤独を謳いませんでしたが、この語を使う文体そのものから漱石のさむしさを感じます。
「日本のロック界で初めて、言葉と身体とを獲得してオトナになった男」。これには驚きました!ズバリと感覚的に(もちろんいい意味で)言い当てていますね。同時に女性ならではの捉え方という印象をもちます。「言葉と身体とを獲得して」で終わるところを「オトナになった男」としめる。ここがミソですね。いや~、すごいですね。もうこの一文で、終わってしまっていいような気がします。うーむ。とにかく、素敵な言葉をありがとうございます!
Posted by 24wacky at 2009年05月11日 20:15
ありがとうございます。
24wackyさんに同意していただける、ということは、的外れではなかったのですね。よかった…:)
私たちは、彼の前には全く、「年を取っていくロッカー」のロールがいませんでした。それこそ、それより上の世代は細野さんくらい?どんとやフィッシュマンズ佐藤君ですら夭折し、そうでなければアケミや砂川のように壊れ、または誰かのように商業主義になったり…本当に「ロック」のまま、成熟するとことがどういうことか、誰もわからず、手探りだったと思うのです。
向こうで言えば、ボブ・ディランあたりになるのでしょうか。
私は「少年のような男というのは『いつまでも少年でいたい男』をいうのではなく「いつまでも『いいオトナになりたいと思い続けている男』のことだ」と思っているのですが、それが清志郎だと思うし、その姿に続く民生や真心たち、斉藤和義…だと思っています。
「さむしい」、とはまさしく、Bluesですね。「ホットなナンバー そらにとけてった」
この感覚に尽きる、気がします。
すみません、ながながと…ありがとうございました!またあそびにきます!:)
24wackyさんに同意していただける、ということは、的外れではなかったのですね。よかった…:)
私たちは、彼の前には全く、「年を取っていくロッカー」のロールがいませんでした。それこそ、それより上の世代は細野さんくらい?どんとやフィッシュマンズ佐藤君ですら夭折し、そうでなければアケミや砂川のように壊れ、または誰かのように商業主義になったり…本当に「ロック」のまま、成熟するとことがどういうことか、誰もわからず、手探りだったと思うのです。
向こうで言えば、ボブ・ディランあたりになるのでしょうか。
私は「少年のような男というのは『いつまでも少年でいたい男』をいうのではなく「いつまでも『いいオトナになりたいと思い続けている男』のことだ」と思っているのですが、それが清志郎だと思うし、その姿に続く民生や真心たち、斉藤和義…だと思っています。
「さむしい」、とはまさしく、Bluesですね。「ホットなナンバー そらにとけてった」
この感覚に尽きる、気がします。
すみません、ながながと…ありがとうございました!またあそびにきます!:)
Posted by sato at 2009年05月11日 23:18
ぼくはロック・ミュージック自体を聴かなくなって久しいので、satoさんのコメントを読んで、逆にそのような視点から見るべきだし、きちんと言及する人が必要だということに今更ながら気づかされました。「年を取っていくロッカー」のロールというテーマは重要ですね。
例えば、そのことにこだわることを自他共に認めている「ロッカー」に内田裕也、矢沢永吉らが思い浮かびます。いくつになってもkeep on rockin'という自負が。それに対して、「あんなのはロックじゃねえよ」というロック・ファンもいるでしょう。この二項対立って、実は対立になっていないじゃないかと思います。なぜならば、彼らはそれぞれのロック像というものを恐らく持っていてそう主張する。でもその主張というのはまったく彼らの思い込み(独善)であって、それらは噛み合うはずがないのです(ぼくは思い込み・独善が悪いといっているのではありません)。つまり、議論が噛み合うためのdiciplineがそこには無いのです。
ぼくなりの勝手な解釈では、satoさんの見る清志郎にはそのdiciplineがあるのではないか。「いやいや、そんな理屈っぽいことと関係ないのがロッカーだよ」という人もいるかもしれませんが、ぼくはこの一週間にわたり考えてきたこと=書いてきたことと、satoさんのコメントを読んで、そう思いたくなりました。
じゃあ、清志郎のdiciplineって何だよっていうことになると、satoさんの卓見「少年のような男というのはいつまでも『いいオトナになりたいと思い続けている男』のことだ」かもしれないし、ぼくが他の記事で少し触れた、無垢と経験の世界に関わることだったりするのかもしれません。
>またあそびにきます!:)
楽しくて意義深いやり取りができたことに感謝しています。ふだん書いているのは、音楽やキヨシローに関係のないことがほとんどです。先にあやまっておきます!
例えば、そのことにこだわることを自他共に認めている「ロッカー」に内田裕也、矢沢永吉らが思い浮かびます。いくつになってもkeep on rockin'という自負が。それに対して、「あんなのはロックじゃねえよ」というロック・ファンもいるでしょう。この二項対立って、実は対立になっていないじゃないかと思います。なぜならば、彼らはそれぞれのロック像というものを恐らく持っていてそう主張する。でもその主張というのはまったく彼らの思い込み(独善)であって、それらは噛み合うはずがないのです(ぼくは思い込み・独善が悪いといっているのではありません)。つまり、議論が噛み合うためのdiciplineがそこには無いのです。
ぼくなりの勝手な解釈では、satoさんの見る清志郎にはそのdiciplineがあるのではないか。「いやいや、そんな理屈っぽいことと関係ないのがロッカーだよ」という人もいるかもしれませんが、ぼくはこの一週間にわたり考えてきたこと=書いてきたことと、satoさんのコメントを読んで、そう思いたくなりました。
じゃあ、清志郎のdiciplineって何だよっていうことになると、satoさんの卓見「少年のような男というのはいつまでも『いいオトナになりたいと思い続けている男』のことだ」かもしれないし、ぼくが他の記事で少し触れた、無垢と経験の世界に関わることだったりするのかもしれません。
>またあそびにきます!:)
楽しくて意義深いやり取りができたことに感謝しています。ふだん書いているのは、音楽やキヨシローに関係のないことがほとんどです。先にあやまっておきます!
Posted by 24wacky at 2009年05月12日 00:42
おはようございます。丁寧なレスいただいて…(拙宅にも来ていただいてありがとうございます。自分のところではまだあまり上手く書けずにとにかく何か、と思った途中経過で、そこで止まってしまっていました。申し訳ないです)
discipline,無垢と経験、そうだと思います。それが誰でも持っている根本的なBluesで、清志郎はとっても自覚的だったと思います…。
また、ちょっと整理ができたら、自分のところにまとめてみたいと思います。ありがとうございました!:D
discipline,無垢と経験、そうだと思います。それが誰でも持っている根本的なBluesで、清志郎はとっても自覚的だったと思います…。
また、ちょっと整理ができたら、自分のところにまとめてみたいと思います。ありがとうございました!:D
Posted by sato at 2009年05月12日 09:15