2009年10月18日
悲しくてやりきれない
「悲しくて 悲しくて とてもやりきれない」の「やりきれない」がすごい。ポップソングでそこまでは書けない。自己韜晦と「都会的センス」の合間で作者はやりきれなかったこともあろうが、そんなことにはおかまいなく「悲しくてやりきれない」は普遍性を備え、他者から他者へ伝えられる。
おおたか静流カヴァーは周防正行の出世作『しこふんじゃった』で効果的に使われた(このニューウェイブ作品に対する関心を私に喚起してくれたのはこれも今は亡き唯独りの友であった)。土手の「風景」と相俟って印象に強く残っている。それは「悲しくてやりきれない」感情の吐露を無為に吸い取ってくれるようで。
合掌・・・とひとまず書いてみるが、他人事では済まされない澱みを残される。
Posted by 24wacky at 12:58│Comments(2)
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この記事へのコメント
すっかりフルコーラスで2本のVTRを視聴してしまいました。
今日は辺野古の計画に揺れる中で抵抗の集会を続ける瀬嵩の満月祭り会場と高江の座り込み現場をツアーしてきましたがあっちもこっちも悲しさややりきれなさが充満しているはずの地なのですが、何処か都会で感じるようなその種のものとは違うように思う。なんて事を感想に持つのは、生きるとは旅をする事で、今は旅の途中だ、的な人生観が自分の半分を占めているからだろうか?
今日は辺野古の計画に揺れる中で抵抗の集会を続ける瀬嵩の満月祭り会場と高江の座り込み現場をツアーしてきましたがあっちもこっちも悲しさややりきれなさが充満しているはずの地なのですが、何処か都会で感じるようなその種のものとは違うように思う。なんて事を感想に持つのは、生きるとは旅をする事で、今は旅の途中だ、的な人生観が自分の半分を占めているからだろうか?
Posted by 豊見城吉子 at 2009年10月18日 22:32
>豊見城吉子さん
はじめまして。
辺野古にしても高江にしても、人が集まる場となり、それがある種のヴァイブレーションを惹き起こしているのではないでしょうか。同時にそこに行くことを選んだ自分自身も変わっている。それが旅に似ているのかもしれませんね。
はじめまして。
辺野古にしても高江にしても、人が集まる場となり、それがある種のヴァイブレーションを惹き起こしているのではないでしょうか。同時にそこに行くことを選んだ自分自身も変わっている。それが旅に似ているのかもしれませんね。
Posted by 24wacky at 2009年10月19日 23:07