2005年09月27日

ウソとホントの戦争論

『ウソとホントの戦争論 ゴーマニズムをのりこえる』
高嶋伸欣著 学習の友社 1999年
の読後メモ。


ウソとホントの戦争論―ゴーマニズムをのりこえる


小林よしのり『戦争論」1998年の反響を受け、内在的に読む企て。
この内在的批判の分かりやすさは推奨されるべき。
ここでも「公」について述べられています。


  小林さんは「個人」の次は「国家」ということで、間の中間的
 なとらえ方がありません。
  社会学では、個人の次はいわゆる「小集団」、運命的に所属が
 決まっているものを言います。もっとも一般的には「家族」です。
 それから今度はさらに、自分の意志で入ることを選べる、しかも
 規模も家族よりも大きい集団としての「中間集団」、企業や学校
 など、さまざまなタイプの集団への所属があります。それには地
 方自治体も含まれると思います。そして、もっとも広く集まった
 ものとして「国家」を想定します。それが世界における人間集団
 の現在の区分として、もっとも一般的だと言われています。
  日本も近代国家になってそれにあてはまるようになったはずで 
 す。そのなかで、明治国家のもとでは、頂点に立つ国家が、天皇
 からピラミッド状にぴたっと家族から個人まで、忠良な臣民とし
 て組み込み、役割を負わせていました。そして天皇のために身も
 心も捧げなさいという考え方に染めぬいたわけです。
  しかし、戦後はそうではないはずです。個人の尊厳が認められ、
 個人が国家を頂点にむすびつけられることはないのだということ
 になっているはずです。それなのに小林さんはエゴイズムの「私」
 に日本は傾斜しすぎているから、もっと公共心をもて、もっと公
 に比重を移せ、公とは国家だと、中間集団などさまざまな人間集
 団があることを飛び越え、国家のために死ねる人間になれるか、
 といったことを言っているわけです。(95~96ページ)



小林よしのり氏の場合、国家といっても近代国民国家の形成の認識
などない、というかどうでもよいのでは。彼にあるのは、これも分
かりやすいといえば非常に分かりやすい、ナショナリズム=ナルシ
シズムでしょう。愛国の「国」には、資本と国家の結婚など不純だ
し姿を現さない。そして価値となるのはその純度のようなもので、
保守政治家も天皇制護持の右翼もまだまだ不純ということになる。


同じカテゴリー(今日は一日本を読んで暮らした)の記事
2019年 本ベスト10
2019年 本ベスト10(2019-12-23 21:08)


※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。