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2005年12月08日

『沖縄・共同体の夢 自治のルーツを訪ねて』

『沖縄・共同体の夢 自治のルーツを訪ねて』
安里英子著 榕樹書林


沖縄・共同体の夢
安里 英子著
榕樹書林 (2002.8)
通常1-3週間以内に発送します。





全般的な基調が沖縄版「懐かしい未来」(ラダック)といえばよいか。古き沖
縄の共同体、自治のあり方に、グローバリズムに蹂躙される現代を生きる鍵を
見出そうという視点。

私が知る限り、一般書で共同店について書かれた唯一の書。著者も主に字誌
『奥の歩み』(1986年・国頭村奥区事務所)に拠っている。現在の関心から
「第二章シマのくらし」「一 沖縄の近代と共同店」に絞って論じる。

奥共同店の創設者は「脱清人」であった。脱清人とは、明治政府による琉球処
分の前後、琉球を救ってくれと清国に訴えに危険を冒して渡航した者たちのこ
とをいう。この行動と共同店創設を直接結び付けてるわけではないが、と留保
しつつも著者はこう述べる。

 共同店が単に村落共同体の中から自然発生的に生まれたものではなく、琉球
 の救国を訴えて北京まで行った島袋光輝と糸満盛邦が、共同店の設立を通し
 て新しい共同体のありかたを模索したのではないかということである。
                            (51ページ)


私が注目したいのはそれぞれ島袋は那覇、糸満は首里出身、つまりはヨソモノ
であったという事実だ。来年で100周年を迎えるというかつての「陸の孤島」に
イメージしがちなのは、ひたすら古い共同体の誇りが被った閉鎖性といったも
のであるが、そもそもはヨソモノの手により革新的に誕生したものらしい。

改めてその経緯を確認しよう。
土地私有における私的財産制度が確立され始めた時代。私的利潤追求という概
念が人々の心に芽生えだした頃。奥にも商売人が入り込み、シマの住民には反
感を抱くものもいたという。私的利潤追求に対する嫌悪感、反発。そこから商
業の共同化ということで共同の利益を求める気運が確認され、そこにヨソモノ
二人が新しいスタイルを提案した、ということらしい。
 
盛邦氏は自らの商業資本を部落に譲り、銀行からの融資と合わせて資本とした。
そして、「山原船を購入して那覇から日用雑貨を積み込み与那原から船を出し
て奥の共同店におさめ、帰りの船で砂糖樽用のくり船をつんで、那覇で砂糖樽
製造業者に販売した」(48ページ)。商業資本主義経済である。

世代わりに新しい可能性を提案するヨソモノ。
差し出された資本。
共同体を維持したい部落民。

このなかでいったいどのように合意がなされたのだろうか?見たこともないカ
ネの威力は、資本家の力がやはり強かったのだろうか?いや、始めから共同の
思想で団結したのだろうか?字誌『奥の歩み』を紐解けばその辺りも触れられ
ているだろうか?

奥共同店の組織運営については、沖縄国際大学南島文化研究所による本格的な
調査・研究があるので、今回は触れない。

現在の課題と未来について。
ムラの暮らしが変わり、共同店に対するムラのひとのニーズが変化し、消費欲
求も多様化し、さらに車社会によって外来者の需要が増えたので、彼らが求め
るものをも提供しなければならない。ムラの人々が欲しいのは自給できない食
品や日用雑貨だが、外来者が欲しいのは地元の生産物などである。
これらの課題を解決する糸口は?

  世界ではすでに「ローカル・マネー」の試みもなされている。ローカル・
 マネーとは、ある限定された地域でのみ使用される貨幣のことで、あまりに
 グローバル化した経済システムへの反省から生み出されたものである。共同
 店とローカル・マネーの理念はそれぞれの発生時の時代背景はちがうが、共
 通するものがある。
                             (65ページ)


共同店と地域通貨。その「共通するもの」とは何か?これからさらに吟味を進
めていこう。


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