2006年04月30日
星川淳さん講演会&シンポ
昨日は「山内徳信さんを知事にする会」に続き、ビッグイベント。
「憲法講演会シンポジウム」
魂の民主主義 イロコイ連邦・アメリカ建国・日本国憲法
~日本国憲法のルールを探る~講師 星川淳
会場:浦添市産業振興センター結の街三階大研修室
主催:民主党沖縄県総支部連合会
パネリスト:星川淳
琉球大学大学院教授高良鉄美
ダグラス・ラミス
喜納昌吉
コーディネーター:伊高浩昭
午前中にたまたま知ったこの情報には驚いた!
星川さんが来沖してイロコイ連邦についての講演会。
いずれ自分で実現したかった企画だがいつになるやらという感じだったので
とにかく実現できて良かった。
講演に先立ってTBS「ニュース23」での特集を上映。
前半が星川さんの著書『魂の民主主義』を中心としたお話し。
後半はパネラーを交えての憲法談義。
まず星川さんの講演。
前置きとしてご自身のこれまでの経緯を説明。
戦後民主主義の申し子のような生い立ち、SFに興味を持ち、未来から現在を
見つめる視点の学生時代、70年代のカウンターカルチャー、80年代の持続可能
な社会への実践、90年代の先住民族の生き方への興味。

その中でアメリカ先住民族イロコイ連邦の教えが何とアメリカ建国に際し、
憲法立案に多大な影響を与えていたという、これまであまりに語られてこなか
った驚くべき事実に辿り着く。
ここからのお話は『魂の民主主義』に沿っているので詳細は省略する。
読後、書評を書こう書こうと思いサボっていたので、これを機会に近々書くつ
もり。乞うご期待?
ポイントは「民主主義の国」アメリカが、あまりにもその理想から遠のいてい
る現在であるが、そもそも本来の民主主義とは何か?という問いかけである。
その問いかけの中で「実は~」ということで、先住民族の知恵が源であること
が分かったと。インディアンが白人に平和的解決法としての民主主義の教えを
与えていたということ。その後アメリカの独立~フランス革命~そして日本国
憲法へと、その精神は伝播されてきたのだ。
星川さんは静かにしかし強くいう。
イロコイ族の教えは長い長い歴史の中で培われた知恵。それに比べればまだ現
在の民主主義は発展途上。日本国憲法は押し付けではなくプレゼント。本気で
使ってきたことはない(だからそれをどう生かせるかは今後の我々次第)。
後半のシンポジウム。

パネラーそれぞれの個性的な発言が刺激的。
中でもちょうど席を左右に分けるように、星川&高良(護憲派)×昌吉&ラミ
ス(改憲派)というようなフリクションが起こったことは、ここ沖縄という場
所ならではの、起こるべくして起きた出来事といえる。
誤解を招かないために確認するがこの「護憲」「改憲」を巡る「対立」は、も
ちろん対立などではない。民主的な議論だ。
(ラミス)
星川さんからイロコイ連邦の教えがアメリカ建国に与えた影響の話をしていた
だいた。私はイロコイ連邦から「学ばなかったこと」を話したい。
「脱退する」ということを考えると、アメリカは南北戦争でその芽を潰し脱退
できる制度を作れなかった。
明治憲法と日本国憲法の違いは、「朕」から「我々日本国民」へ、「臣民」か
ら「国民」へ代わったことだろう。
ところで日本国憲法の「我々」に、沖縄の人は入っていないのではないか?
復帰運動の時、沖縄の人が恋焦がれたのは、復帰すれば平和憲法の中に入れる、
ということだったはず。その平和憲法が機能していないのなら、その中に残る
必要もないだろう?
新しい憲法を作るということは、あらゆることを白紙にすることなのだから、
「我々」の中に誰が入っているのかを考え直すチャンスではないか。
基本的人権として、脱退するという選択肢も考えるべきではないのか?
(高良)
大事な時にみんなで決めよう、というのが憲法だ。
日本国憲法を作る際、政府案は前の明治憲法を踏襲する内容で、GHQはこれを良
しとしなかった。前の年に作成した民間案を参考に作成した。
その作成の間、窓の外は一面瓦礫の山。その光景を見て、どんな憲法をつくる
のかを思案したのだろう。
(星川)
イロコイは争いの絶えなかった5つの部族が集まり、white pine の根本を全
員で掘り、その中に武器を投げ入れ、埋めた。武器を捨てた。アメリカは捨て
られなかった。終戦後の日本も武器を捨てようと思った。イロコイと戦後日本
はその意味で共通している。人間は対等・平等であることが当たり前だとする
先住民族の世界に共感する。
一方で日本が捨てられなかったものがある。天皇制、戦争放棄、「沖縄放棄」
の3つがそうだ。
(伊高)
立憲主義を立て直すには?
(喜納)
国家単位で物事をつくるのでは今や追いつかない。地球単位、人類単位でなく
てはできない。
沖縄は日本にとって「地球上で一番近い異民族」。それでいいでしょう。

(ラミス)
2ついいたい。
1つは、あらゆることを白紙にすれば(沖縄が日本から脱退するといえば?)、
かなりの影響力があるのではないか。
2つは、冷戦時代、アメリカの外交官ケナン?が日本に来てマッカーサーに尋
ねた、「なぜ日本が軍隊を持たせるようにしないのか?」と。いくつかの理由
を述べたがその内の1つが「沖縄に米軍基地があるから」だったという。
護憲運動の裏には、沖縄に米軍基地を残すということがある。だから沖縄の護
憲運動は本土のそれと違うのだ。そのことを含めて憲法をどうするかを考えね
ばならない。
(高良)
私が何故帽子を被り続けているのか?
帽子を被っては国会の中に入れないんですね。女性がスカーフをしていても、
杖をついていても、国会には入れません。この決まりは明治憲法から来ていま
す。なんでそんなことをするのでしょう?中へ入りたい人を排除するのでしょ
う?その中で行われていることを知らされたくないからです。我々は情報を止
められているのです。あの中で行われていることを、国民に判るようにしなけ
ればならない。そういう抵抗で私は帽子を被っています。
(喜納)
平和憲法は日本にとって重いものではないか。日本にとって負担になる、いら
ないというのなら沖縄がそれを貰う。イロコイ連邦のワン・マインドをいうの
なら、それがワン・マインドだ。そういう意味で改憲をいっている。
(星川)
喜納さんのいう「想像的(想像的?)改憲」を否定してはいない。民主党内で
もどんどん議論すればいい。私が改憲ではなく護憲をいうのは、改憲が悪い方
に利用され流されていってしまう現状に於いて、改憲というのは戦略的に間違
っている、ということ。
(高良)
県知事を選ぶとかそういったことは選挙で選べばよい。でも人権を犯すような
ことは多数決で決めてはいけない。それは民主主義でできることではない。
(念のためおことわりするが、以上の議論はあくまで聞いたことをまとめたも
ので、文責は私にある。一元一句言葉通りのことを発言されたわけではない。
参加者のご指摘・訂正を歓迎する)
議論についてはこの位にしておこう。
特に印象に残った言葉がある。アメリカ先住民族の貢献について触れる中で星
川さんが語った、
「お互いを治める」という言葉。
お互いを治める。
新鮮で懐かしい言葉ではないか。
心の師と(勝手に)仰いでいる星川さんとは2002年の旅以来の再会。
終了後、短い挨拶ができた。
屋久島を離れグリーン・ピース・ジャパン事務局長就任につき東京での仮住ま
い、というニュースには驚いたと声をかけると、「めちゃくちゃ忙しくなって
しまった」とこぼしていた。それにしてもあの静けさの内の微笑みは全く変わ
っていなかった。連絡をしてくれと最後に言っていただいたのが嬉しい。
それ以来気分が更新されたような気がする。
充実した生を吹き込まれたようだ。
なにしろやたらと気分がいい。
関連記事:
今晩星川淳さんがテレビ出演
昌吉×ラミス『反戦平和の手帖』
「常識」を疑う知恵~『反戦平和の手帖』を読む
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~日本国憲法のルールを探る~講師 星川淳
会場:浦添市産業振興センター結の街三階大研修室
主催:民主党沖縄県総支部連合会
パネリスト:星川淳
琉球大学大学院教授高良鉄美
ダグラス・ラミス
喜納昌吉
コーディネーター:伊高浩昭
午前中にたまたま知ったこの情報には驚いた!
星川さんが来沖してイロコイ連邦についての講演会。
いずれ自分で実現したかった企画だがいつになるやらという感じだったので
とにかく実現できて良かった。
講演に先立ってTBS「ニュース23」での特集を上映。
前半が星川さんの著書『魂の民主主義』を中心としたお話し。
後半はパネラーを交えての憲法談義。
まず星川さんの講演。
前置きとしてご自身のこれまでの経緯を説明。
戦後民主主義の申し子のような生い立ち、SFに興味を持ち、未来から現在を
見つめる視点の学生時代、70年代のカウンターカルチャー、80年代の持続可能
な社会への実践、90年代の先住民族の生き方への興味。

その中でアメリカ先住民族イロコイ連邦の教えが何とアメリカ建国に際し、
憲法立案に多大な影響を与えていたという、これまであまりに語られてこなか
った驚くべき事実に辿り着く。
ここからのお話は『魂の民主主義』に沿っているので詳細は省略する。
読後、書評を書こう書こうと思いサボっていたので、これを機会に近々書くつ
もり。乞うご期待?
ポイントは「民主主義の国」アメリカが、あまりにもその理想から遠のいてい
る現在であるが、そもそも本来の民主主義とは何か?という問いかけである。
その問いかけの中で「実は~」ということで、先住民族の知恵が源であること
が分かったと。インディアンが白人に平和的解決法としての民主主義の教えを
与えていたということ。その後アメリカの独立~フランス革命~そして日本国
憲法へと、その精神は伝播されてきたのだ。
星川さんは静かにしかし強くいう。
イロコイ族の教えは長い長い歴史の中で培われた知恵。それに比べればまだ現
在の民主主義は発展途上。日本国憲法は押し付けではなくプレゼント。本気で
使ってきたことはない(だからそれをどう生かせるかは今後の我々次第)。
後半のシンポジウム。

パネラーそれぞれの個性的な発言が刺激的。
中でもちょうど席を左右に分けるように、星川&高良(護憲派)×昌吉&ラミ
ス(改憲派)というようなフリクションが起こったことは、ここ沖縄という場
所ならではの、起こるべくして起きた出来事といえる。
誤解を招かないために確認するがこの「護憲」「改憲」を巡る「対立」は、も
ちろん対立などではない。民主的な議論だ。
(ラミス)
星川さんからイロコイ連邦の教えがアメリカ建国に与えた影響の話をしていた
だいた。私はイロコイ連邦から「学ばなかったこと」を話したい。
「脱退する」ということを考えると、アメリカは南北戦争でその芽を潰し脱退
できる制度を作れなかった。
明治憲法と日本国憲法の違いは、「朕」から「我々日本国民」へ、「臣民」か
ら「国民」へ代わったことだろう。
ところで日本国憲法の「我々」に、沖縄の人は入っていないのではないか?
復帰運動の時、沖縄の人が恋焦がれたのは、復帰すれば平和憲法の中に入れる、
ということだったはず。その平和憲法が機能していないのなら、その中に残る
必要もないだろう?
新しい憲法を作るということは、あらゆることを白紙にすることなのだから、
「我々」の中に誰が入っているのかを考え直すチャンスではないか。
基本的人権として、脱退するという選択肢も考えるべきではないのか?
(高良)
大事な時にみんなで決めよう、というのが憲法だ。
日本国憲法を作る際、政府案は前の明治憲法を踏襲する内容で、GHQはこれを良
しとしなかった。前の年に作成した民間案を参考に作成した。
その作成の間、窓の外は一面瓦礫の山。その光景を見て、どんな憲法をつくる
のかを思案したのだろう。
(星川)
イロコイは争いの絶えなかった5つの部族が集まり、white pine の根本を全
員で掘り、その中に武器を投げ入れ、埋めた。武器を捨てた。アメリカは捨て
られなかった。終戦後の日本も武器を捨てようと思った。イロコイと戦後日本
はその意味で共通している。人間は対等・平等であることが当たり前だとする
先住民族の世界に共感する。
一方で日本が捨てられなかったものがある。天皇制、戦争放棄、「沖縄放棄」
の3つがそうだ。
(伊高)
立憲主義を立て直すには?
(喜納)
国家単位で物事をつくるのでは今や追いつかない。地球単位、人類単位でなく
てはできない。
沖縄は日本にとって「地球上で一番近い異民族」。それでいいでしょう。

(ラミス)
2ついいたい。
1つは、あらゆることを白紙にすれば(沖縄が日本から脱退するといえば?)、
かなりの影響力があるのではないか。
2つは、冷戦時代、アメリカの外交官ケナン?が日本に来てマッカーサーに尋
ねた、「なぜ日本が軍隊を持たせるようにしないのか?」と。いくつかの理由
を述べたがその内の1つが「沖縄に米軍基地があるから」だったという。
護憲運動の裏には、沖縄に米軍基地を残すということがある。だから沖縄の護
憲運動は本土のそれと違うのだ。そのことを含めて憲法をどうするかを考えね
ばならない。
(高良)
私が何故帽子を被り続けているのか?
帽子を被っては国会の中に入れないんですね。女性がスカーフをしていても、
杖をついていても、国会には入れません。この決まりは明治憲法から来ていま
す。なんでそんなことをするのでしょう?中へ入りたい人を排除するのでしょ
う?その中で行われていることを知らされたくないからです。我々は情報を止
められているのです。あの中で行われていることを、国民に判るようにしなけ
ればならない。そういう抵抗で私は帽子を被っています。
(喜納)
平和憲法は日本にとって重いものではないか。日本にとって負担になる、いら
ないというのなら沖縄がそれを貰う。イロコイ連邦のワン・マインドをいうの
なら、それがワン・マインドだ。そういう意味で改憲をいっている。
(星川)
喜納さんのいう「想像的(想像的?)改憲」を否定してはいない。民主党内で
もどんどん議論すればいい。私が改憲ではなく護憲をいうのは、改憲が悪い方
に利用され流されていってしまう現状に於いて、改憲というのは戦略的に間違
っている、ということ。
(高良)
県知事を選ぶとかそういったことは選挙で選べばよい。でも人権を犯すような
ことは多数決で決めてはいけない。それは民主主義でできることではない。
(念のためおことわりするが、以上の議論はあくまで聞いたことをまとめたも
ので、文責は私にある。一元一句言葉通りのことを発言されたわけではない。
参加者のご指摘・訂正を歓迎する)
議論についてはこの位にしておこう。
特に印象に残った言葉がある。アメリカ先住民族の貢献について触れる中で星
川さんが語った、
「お互いを治める」という言葉。
お互いを治める。
新鮮で懐かしい言葉ではないか。
心の師と(勝手に)仰いでいる星川さんとは2002年の旅以来の再会。
終了後、短い挨拶ができた。
屋久島を離れグリーン・ピース・ジャパン事務局長就任につき東京での仮住ま
い、というニュースには驚いたと声をかけると、「めちゃくちゃ忙しくなって
しまった」とこぼしていた。それにしてもあの静けさの内の微笑みは全く変わ
っていなかった。連絡をしてくれと最後に言っていただいたのが嬉しい。
それ以来気分が更新されたような気がする。
充実した生を吹き込まれたようだ。
なにしろやたらと気分がいい。
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昌吉×ラミス『反戦平和の手帖』
「常識」を疑う知恵~『反戦平和の手帖』を読む
Posted by 24wacky at 21:26│Comments(0)
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