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2016年10月27日

第10章 Another World Is Possible 『可能なる革命』概要 その11

あまちゃん

 『あまちゃん』の「夏(祖母)━━春子(母)━━アキ」という三代の女は、ちょうど日本の戦後史の3つのフェーズ「理想の時代/虚構の時代/不可能性の時代」に対応している。各世代は前の世代から活力や決断のための勇気を与えられる。

 かつての東京での生活ではまったくやる気のなかったアキが初めて見出した生きがいが、北三陸の袖が浜で「海女になること」である。それでは、アキがもともと袖が浜で生まれ育っていたら、同じように海女になることに生きがいを感じただろうか。東京での生活は、アキにとって要らぬ回り道だったということか。

 おそらく、その答えはノーであろう。つまり袖が浜が彼女の文字通りの「地元」だったとしたら、彼女は「海女になること」に特に魅力を感じることはなかったであろう。母親の春子は袖が浜で生まれ海女になることを期待されたが、アイドルになるといって北三陸鉄道が開通したその日に東京に発っていった。夏をみているだけで海女になることに魅力を感じたとしたら、春子は喜んで海女になっていただろう。アキにも同様のことがいえる。

 それでは何が違うというのか。東京で育ったアキにとって、海女は魅惑的な欲望対象であり、人生の理想のモデルである。かといって、アキが最初から袖が浜に生まれ育っていたとしたら、海女にそれほど魅力を感じなかったであろう。それは単に遠くのものに憧れるといったことではない。《違いは、古典的な「故郷」(春子にとっての北三陸)と〈地元〉(アキにとっての北三陸)の差異に対応している。前者に結びついている海女にはたいした魅力はなかったが、後者と結びついたとき、海女は輝きを獲得する》(307ページ)。

 同じような疑問をもうひとつ。アキは海女を経験した後、東京でスカウトされアイドルにある。それならば、最初から東京でアイドルになれなかったのか。それもおそらく不可能だっただろう。アキは東京で何ごとかをなすために、一度は〈地元〉を経由する必要があったのだ。つまりは、一方で、アキが〈地元〉で海女として活躍するためには東京という媒介が必要であり、他方で、東京でアイドルとして成功するためには、〈地元〉という迂回路が必要であった。この二重の媒介の鍵は〈地元〉にある。

 『あまちゃん』では鉄道、北三陸鉄道が重要な役割を担い、要所では象徴的ですらある。鉄道がオタクにとって愛着の対象となるのは、普遍的空間のイメージを喚起するからである。オタクは、特殊な領域の中の繊細な差異、些細な情報的な差異を見いだすことに情熱を傾ける。しかし、この表面的な特徴に騙されてはいけない。オタクの本質とは、普遍的なものUへの関心が、きわめて特殊なものPへの常軌を逸した愛着として現れるという反転にあるのだから。

 その反転の原因は、普遍的な価値を「本ものでない」「欺瞞がある」と感じることにある。かつての理想の時代における「戦後民主主義」「豊かな社会」などといった理想に対する違和感がかれらにはある。だとしたら、それへの充足感「余剰的同一性X」が回収されないとき、逆に、普遍性をあからさまに拒否している対象、つまり特殊な主題Pの方がむしろ「本もの」であるとする転倒した感覚をもつことになる。このオタクの類型を『あまちゃん』における〈地元〉という問題に重ねるとどうなるか。

 もはや東京に魅力を感じない若者たちは、〈地元〉指向へと反転する。しかし〈地元〉は、何か積極的な魅力をもつがゆえに指向されているわけではない。それは、東京への失望、東京の否定の表現である。若者たちのこの〈地元〉指向は、オタクが特殊な主題Pへと執着するときに効いている機制とよく似ている。

 アキにとって北三陸は、余剰的同一性Xへの自覚を解き放つような〈地元〉、余剰的同一性Xの直接的な表現であるような〈地元〉である。アキにとって、「(私の居場所は)東京でない」という違和の感覚を、境界を越えて移動しようという積極的な意志へと転換する触媒となっているのだ。彼女は嫌いだった東京へと向かいアイドルを目指すが、東京はゴールではないので、3・11の後、さらにもう一度境界を越えて北三陸にやってくる。

 〈地元〉の〈特異性〉が〈普遍性〉への通路を開いている。『あまちやん』が描く〈地元〉に、不可能性の時代を打開する革命へのかすかな暗示を読み取れないだろうか。最後のシーンで、アキとアイドルユニット「潮騒のメモリーズ」を結成したユイが、線路の先のトンネルの奥へ行ってみないかと誘い、アキは「じぇじぇ?」と驚く。トンネルはユイにとって3・11の大地震を経験した場所だったからだ。二人はかすかな光に向かってトンネルの中を走る。東京に憧れていたユイが〈地元〉に根をおろすと決めたとたんに越えることができたトンネル。それは〈地元〉と〈越境〉とが、つまり〈根をもつこと〉と〈翼をもつこと〉とが、完全に重なった瞬間である。そのメッセージは「もうひとつの世界は可能である Another world is possible」。

『可能なる革命』
著者:大澤真幸
発行所:太田出版
発行:2016年10月9日



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