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2018年01月05日

『われら青春の途上にて/青丘の宿』李恢成

『われら青春の途上にて/青丘の宿』李恢成

 著者初期の3作はいずれも仮の宿を求める主人公というモチーフがある。『われら青春の途上にて』は、お上りさんの青年が先に上京している兄を頼りに高円寺駅前に降り立つ場面から始まる。『青丘の宿』の冒頭でも、大学生の主人公が新井薬師で下宿先を探す。『死者の遺したもの』は、主人公が父の葬儀に出席するために東京を発ち飛行機に乗る。妻帯者で東京での定住生活が仄めかされるものの、全体の約4分の1を占める冒頭の飛行機内での回想シーンは、切り捨てたい家族の記憶の霧の中を今なお漂い、その身体すら安定していない。

 これらの「さまよい」に在日朝鮮人としてのアイデンティティー・クライシスを読みとることはわかりやすい。確かにそれはある。ないはずがない。だが、それだけではない。

 たとえば『青丘の宿』の主人公は、路地を歩きながら下宿先を探しだすが、初めて訪れたその宿をいつか見たことがあるという幻覚を伴う。しかもその《得体の知れなさ、その感じが夢の中のセクスに似ていた》。ここで夢=狂気=性という符牒を利用することの安易さを指摘することは容易いが、小説全体はその種のロマン主義的倒錯の内面性を主人公に与えない。それはその他の登場人物との関係性において発する。《つまり、氏は自分の場所を誰にもまして確認しなければならない必要と意志を抱いているのである。自己喪失に酔っている余裕を与えられていないからだ》(『柄谷行人書評集』)。

 「必要」(necessity)はアイデンティティーの自明性をも拓く。

『われら青春の途上にて/青丘の宿』
著者:李恢成
発行:講談社文芸文庫
発行年月:1994年5月10日


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