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2006年11月23日

『現代生協改革の展望』③

現代生協改革の展望
21世紀生協理論研究会編
大月書店 (2000.5)
通常1-3週間以内に発送します。




3 資本のシステムの自己批判


株式会社の意義


かつての共同体では共同所有が当たり前だったが、
共同体から切り離された人間は、「独立した人格を
私的所有という意思関係行為によって根拠づけている」、
つまり、「贈与=お返し」とか物々交換ではなく、
貨幣を用いた商品交換=私的所有という行為に自らを
アイデンティファイさせる、安心させる。

次のステップがこうだ。


資本の蓄積運動は大規模な社会的生産力を形成することなしには達成されないが、社会的生産力を可能とするような生産手段を構成するには私的 ( 個人的 ) 資本はあまりにも狭隘である。


個人的資本、つまり個人事業主のような形態だと
お金の蓄積&増殖が進まない。

個人的生産力ではなく社会的生産力を実現する蓄積運動と
私的所有の狭隘性との矛盾を解決したのが会社形態であり、
その最も発展した形が株式会社だ。


株式会社は、私的所有の形態としては私的所有者の結合という社会的能動的な人格の相互承認関係を形成しつつ、生産においては資本の価値増殖運動と蓄積運動を貫いているのであり、株式会社においては私的所有という人格のシステムと価値増殖運動という物象のシステムとが矛盾・対立しつつ解決している。

これはどういうことかというと、
お金を持っている人たちがお金を集めて資本とし、
生産活動をした方がお金を増やし易い。
個人的にお金を持っていることと社会的生産(みんなのため?)
とが矛盾しない、という意味かな?



所有と機能の分離


株式会社は私的所有者である株主によって構成されている。生産手段の存在を安定化し資本の永続的な価値増殖運動を貫くために、譲渡自由な等額株式制、確定資本金制と永続制、社員の有限責任制の制度化によって株主の直接の処分権を否定している。だから、株主にとっては自己の所有と指揮権とが分離されているのだ。


どうしてこの「所有と機能の分離」をいったかというと、
上で述べた私的所有と資本の矛盾を明らかにしてくれるから。

それはこういうことだ。


交換過程では、資本家と労働者の間で労働市場での私的所有者として自由な人格同土の対等な契約当事者としての関係が貫かれていた。しかし生産過程にいったん入れば、資本の源泉は初めは資本家が準備したものであるとしても、不断の再生産のもとでは結局は労働者の不払労働とその生産物の取得となることが明白となる。そして、労働者の側では自分自身の生産物を取得することが不可能となる。つまり、資本家と労働者の間での自由な人格同士による商品生産の所有法則は蓄積過程において資本主義的取得法則に転回する。すなわち、株式会社は私的所有の形態として自己を正当化する一方で、不払労働の搾取によって不断に私的所有を否定することとなる。


ムズカシーですねえ。

われわれが仕事を探して、見つけて、面接して、条件を確認して、
会社側とお互い合意して、合格して、働く。
「自由な人格同士の対等な契約当事者としての関係」なわけだ。
給料と労働力を交換している。
お互い合意しているんだから詐欺じゃないよね。
これが「交換過程」だ。

お金を持っている人がそれを基にして何かを作って売ろうとした。
作る作業は面倒くさいから他人にやってもらった。
いくら払うからと約束して。
モノが出来て売れた。
売上から約束の金を作業してくれた人に渡して残りが儲けとなる。
メデタシメデタシ。

でもちょっと待って。
最初にお金を持っている人はなーんもしてないのに金儲けができたんだよ。
作業したひとは自分が働いて作ったものの売上はもらえず、
しかも作ったものはあくまで最初にお金を持っている人の持ち物だ。
自分が作ったのに自分のものといえず、その儲けも自分に入らない。
確かに約束の金は貰ったけど、売上はもっと多かったはず。
あれ?でも最初に合意した条件は間違ってないから文句いえないか・・・
これが生産過程。

こういう矛盾があるんだから株式会社も問題有り、っていうことだね。


共同体の解体により社会的生産共同体から切り離されることによって生産関係から疎外された反面で、人間は商品交換における私的所有者として法的・抽象的な自由な人格を得るのである。そして法的・抽象的ではあってもそれは意識的・能動的なものであり、人間は自由な人格として自覚的な社会形成の主体となることができる。しかし、資本のシステムは私的所有を否定し労働者の抽象的な自由を否定することによって、労働者の自由な人格とその社会性を陶冶することになる。今や労働者の自由な人格は抽象的・外面的な側面を克服するために、資本の正当化の破綻により客観的になった社会的労働・社会的生産を自己の根拠である実在的なものとして自己統一を果たそうとする。


共同体の時代にはそんな矛盾はなかったんだろうね。
でも共同体って資本制の商品交換みたいに自由な個人がないよね。
ならば資本のシステムもその辺の自己批判をやって、
社会的労働・社会的生産のいいところも取り入れようじゃないか。

それはこいうことだ。


自由で独立した個人が資本のシステム内部に生まれた社会的・共同的な生産過程を自覚的に編成するようになることである。資本のシステムによって否定された私的所有の内実を社会的・共同的な意識的管理によって奪い返すといってもよい。


「自由で独立した個人」が共同体に帰るのではなくて、資本のシステム内で共同的なことをやっていこうぜ、というところがポイント。



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この記事へのコメント
>株式会社は、私的所有の形態としては私的所有者の結合という社会的能動的な人格の相互承認関係を形成しつつ、生産においては資本の価値増殖運動と蓄積運動を貫いているのであり、株式会社においては私的所有という人格のシステムと価値増殖運動という物象のシステムとが矛盾・対立しつつ解決している。

ここの部分は分けて考えるといいと思います。

たくさんの私人 → 私的所有としての資金 → 集合 → 株主総体

で、この株主総体までは、あくまで私人レベルですが、この総体が所有する「資本金」という抽象的なものが「法人」というあくまで法律上でしか存在しない主体をけいせいする、ということではないでしょうか。

その証拠に株主総体というものは、株式を売り買いして、いつでもその私人の構成が変化しますが、「法人」という「もの」は存在し続けます。

要するに、私人→ 法人 → 取締役 → 被雇用者

であり、途中に「法人」というものが入ることによって、その資本増殖という目的を変えることができなくなっている・・・違うかな?
Posted by at 2006年11月24日 14:21
>最初にお金を持っている人はなーんもしてないのに金儲けができたんだよ。

いや、そんなことはないですよ。

投資したお金で行った事業が失敗したら、金がなくなる、というリスクを負っています。

例えば、株の投資をしたら、どうなるか?上がっているときはいいですが、ふとほりえもんが逮捕されたら、一気に株券はごみになります。

だから、どこに投資すればいいか、必死で頭をめぐらせて考えなくてはいけません。

経営者も、どうやって事業を行っていくか、必死で考え、リスクを追っていかねばなりません。

もちろん、労働者を首にするとか、お役人や暴力団と組んであくどいことをやったり、そういうこともあるんですが、基本は非常な創造性を要求される大変な仕事ですよ。

それに比べれば、労働者なんて楽なもんだ(?・・・)

私はすべての人を労働者にしようとしていた、今までの社会主義に反対です。

すべての人が投資家で経営者になるようになるのが、次のアソシエーションという世界でしょう。小栗さんもそういうことを言ってるのではないかなあ・・・地域経済学の創造的な地域政治経済システム、というのもそういうものですね。例えば、例に挙げられるイタリアのボローニャとか、金沢とかは、起業率の非常に高い地域ですね。
Posted by あさわ at 2006年11月24日 14:35
あさわさん、しっかりと答えていただき感謝します!


>で、この株主総体までは、あくまで私人レベルですが、この総体が所有する「資本金」という抽象的なものが「法人」というあくまで法律上でしか存在しない主体をけいせいする、ということではないでしょうか。

「資本金」が抽象的だという意味は、最初は400万なら400万実際に用意するけど、それは株だし、その後増減するから、という意味でしょうか?


>であり、途中に「法人」というものが入ることによって、その資本増殖という目的を変えることができなくなっている・・・違うかな?

げ!そんな意味なんだ!
ううむ、イマイチ理解できん・・・
Posted by 24wacky at 2006年11月24日 22:55
>投資したお金で行った事業が失敗したら~
~それに比べれば、労働者なんて楽なもんだ(?・・・)

うん、分かります。


>すべての人が投資家で経営者になるようになるのが、次のアソシエーションという世界でしょう。

投資については不勉強ですが、その世界に例えば市民バンクのような取り組みはどう関わっていくのだろうか?
Posted by 24wacky at 2006年11月24日 23:07
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