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2008年05月31日

『世界共和国へ』を読むためのメモ その22

5 資本の限界

イギリスでは、毛織物産業の需要から羊を増産するため、領主が農民を追い出し耕地を牧草地に変えた。これが「囲い込み」だ。その結果生まれたのがプロレタリアだが、マルクスはそれを「二重の意味で自由な」人々と呼んだ。それは第一に、生産手段を持たない(free from) 、第二に共同体の拘束から自由であるという意味で。そしてこの2つは切り離せない。

たとえていうと、農民は共同体に住んでいれば互酬的なやり取りで何とか生きていける。その代わり、共同体ならでわの拘束に縛られる。都市の職人にしても、徒弟制的な共同体(ギルド)に属し、資本制的な賃労働を嫌う。これらに比べると、産業プロレタリアは、互酬的な共同体の原理から自由である。

といってもこのようなプロレタリアが急激に増えたかというとそうでもない。近年にいたるまで、世界の人口の大部分は農民か、都市の貧民であった。この人たちは商品交換の世界に晒されているが、互酬の原理で生きている。よくいえば平等主義的で相互扶助的、悪くいえば「怠惰」で他人の足を引っ張る。このような共同体の原理とは、経済的な停滞の原因であると同時に資本主義化に抵抗する基盤でもありえた。

産業資本における労働力と土地は、実は資本が自ら作り得ないものである。労働力商品といっても、需要がないからといって即廃棄するわけにはいかないし、不足したからといって増産することもできない(移民で補充しても後で不要になって追い出すわけにはいかない)。まさに労働力商品こそ、資本にとって内在的な危機をもたらす。

また資本の限界は、自然を商品化したことにもある。それによって致命的な環境破壊を招く。しかし、資本の自己増殖運動は止まらない。


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