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2008年06月22日

沖縄アソシエーショニズムへ その1

はじめに

柄谷行人著『世界共和国へ』(2006年)を沖縄で読む。それは次のような個人的状況からそうする。東京時代のNAMの運動と解散、そこから遠く離れた沖縄での5年間のアリバイ、そしてこれからの試行を明確にするため。それはこのブログの「オキナワからヤマトを、ヤマトからオキナワを読む、そこはひんやり静かなアンビエント空間だ。」という究極的に孤独な場所の滞在延長許可を得る作業とも相関関係にある。

さらにいえば、これは最近開かれた沖縄にとって極めて重要な2つのシンポジウム「押しつけられた常識を覆す」「マーカラワジーガ?!」への応答にもなるだろう。これらの催しが行われたのは、まったなしの沖縄の今が要請させたものだといってよい。

まったなしの沖縄の今と、『世界共和国へ』を読むことは、どれほどの接点があるだろうか?私は『世界共和国へ』を読むことで、沖縄の今を批判(吟味)し、沖縄の今を吟味することによって、できうるならば来るべき沖縄でのアソシエーションの実践に繫げたい。

資本と国家に対抗する運動NAM(New Associationist Movement)は2000年に始まり、2003年に解散した。私は2001年春にNAMに参加、解散時の混乱を見届け、東京を離れ、沖縄に移動した。活動に没頭していた私にとってNAMの解散はショッキングな出来事であったが、組織はなくなっても「NAM的なもの」の実践をするのみだ、と自分に言いきかせた。

沖縄での生活を始めてほどなく気がついたことは、何かを始めようとすると、きまって「本土のやり方をそのまま持ってきても沖縄ではうまくいかない」という拒絶の言葉に出くわすことだった。「別に『本土のやり方』をしているわけではないのに」と、私は困惑した。

しかしほどなく私は気づいた。私の「やり方」に限らず、立ち居振る舞い、見た目、存在自体が、沖縄の人々にとって異質であることを。そのことに気づいていないのは私の方であることを。
以来私は東京でやってきたこと、ネットワークなどを行李に収めることにした。それらから遠く離れることにした。そしてとにかく沖縄に馴染むことに専念した、じわじわと、ふつふつと、たんたんと。

沖縄アソシエーショニズムへ その1沖縄の米軍基地問題は日本の植民地政策である。私を含む日本人は沖縄(人)にとって加害者である。それに対して沖縄で生活するヤマトーンチュとして、なにを、いかにすべきか?
私は、ときに反基地運動の現場に立ち、時に本土のメジャーメディアが伝えようとしない情報を、自らがメディアとなって伝えるなどしてきた。

こういった運動に足を突っ込みながら、沖縄の運動にとってNAMの理論・実践は有効だろうか、あるいは沖縄の運動にとってNAMはどのように異質なのか、そんな思いを巡らすことが多々あった。果たして両者に接点はあるだろうか?


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この記事へのコメント
沖縄の米軍基地問題は日本の植民地政策である―この認識は重い。ぼくには国家の運動を浮き上がらせていく力があると感じられます。
Posted by ゴロー at 2008年06月23日 09:57
ゴローさん、コメントありがとうございます。

沖縄で「国家」をいかに認識するのか、という問いから始めようと思っています。

これまでは東京での活動を「」に入れてきましたが、今度は沖縄での現実対応の諸々を「」に入れることになります。これが難しい。
Posted by 24wacky24wacky at 2008年06月23日 10:33
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