2009年01月22日
商品の価値
「『世界共和国へ』に関するノート」のためのメモ その25
商品交換Cから生じる貨幣の力とは、「購買力」のことだ。貨幣の所有者は権力を握ることができる。人々は貨幣を求め、蓄積しようとする。それが貨幣の自己増殖としての資本の活動(M-C-M’)の始まりである。では、なぜ貨幣にそのような力があるのか?
アダム・スミスは、商品には使用価値と交換価値があると考えた。交換価値とは、他の商品を購買する「力」である。それは、各商品はそれぞれ貨幣だという意味である。だが、それは違う。貨幣となるような商品だけがそれをもつわけだから。
各商品にはもともと価値はない。それは売買(貨幣との交換)がなされたのちに、はじめて存在するといえる。生産物が売れなければ、いかに労働が費やされたとしても、使用価値さえない。それは廃棄されるだけだ。商品は他の商品と等置されることによって、初めてその価値をもつ。ところが、金銀のような商品には、他の商品を買う権利がある。特定の商品になぜそのような力があるのか?それは、素材の力でもなく、生産に費やされた労働によるものでもなく、商品と商品の交換過程からのみ生じるのである。
商品交換Cから生じる貨幣の力とは、「購買力」のことだ。貨幣の所有者は権力を握ることができる。人々は貨幣を求め、蓄積しようとする。それが貨幣の自己増殖としての資本の活動(M-C-M’)の始まりである。では、なぜ貨幣にそのような力があるのか?
アダム・スミスは、商品には使用価値と交換価値があると考えた。交換価値とは、他の商品を購買する「力」である。それは、各商品はそれぞれ貨幣だという意味である。だが、それは違う。貨幣となるような商品だけがそれをもつわけだから。
各商品にはもともと価値はない。それは売買(貨幣との交換)がなされたのちに、はじめて存在するといえる。生産物が売れなければ、いかに労働が費やされたとしても、使用価値さえない。それは廃棄されるだけだ。商品は他の商品と等置されることによって、初めてその価値をもつ。ところが、金銀のような商品には、他の商品を買う権利がある。特定の商品になぜそのような力があるのか?それは、素材の力でもなく、生産に費やされた労働によるものでもなく、商品と商品の交換過程からのみ生じるのである。
Posted by 24wacky at 19:41│Comments(0)
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生き物たちの供養_泡瀬干潟1/25【リーフチェッカーさめの日記】at 2009年01月26日 02:20