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2009年03月19日

沖縄アソシエーショニズムへ その12

沖縄アソシエーショニズム7では『琉球の朝貢貿易』(邊土名朝有著)に書かれた、明国の2種類の朝貢制度について述べた。朝貢国国王から明皇帝への進貢、それに対するお返しの回賜というバーター交換と、国王を含めた主に役人たちが銅銭を決済通貨として使う貨幣交換の2つがそうだ。

川勝守は『日本近世と東アジア世界』の中で、後者の貨幣交換に関して、明帝国を頂点とした朝貢制度が前提の経済圏を形成していたといっている。

明帝国に遣使朝貢する冊封国に対して、明帝国はその恩恵の一として銅銭を給与する。銅銭は国を回り地域間に流通し、方物を収買するのに使用されること、前項に琉球国と日本国の関係に見た通りである。その銅銭には明の永楽通宝と歴代通貨がある。(中略)一四世紀後半から一七世紀前半に至る明代、環中国海(東海・南海)の地域間交流、通商貿易がモノとモノの物物交換ではなく、中国明銭を決済通貨、国際通貨とする貨幣経済であり、国際市場が成立した。ただし、この国際市場は当然のことながら、自由市場ではない。明帝国への進貢関係を前提として、琉球国は自己に割り当てられた進貢物品を調達するために、地域間交流、通商貿易が要請されたと言えるのである。この時期の琉球王国は中継貿易が盛んであったとか、その利益をポルトガル等のヨーロッパ諸国のアジア貿易に奪われた、ということがよく言われる。しかしその言い方は、再考すべきである。琉球の海上交易は明帝国の冊封体制内の公認された東アジアの原理に基づいて行われたのに対し、ポルトガル等はアジアの原理を破壊しようとするものであった。アジアの原理は明帝国を中心とする冊封国、朝貢国によって構成された東アジアないし環中国海の通商国連合であり、冊封関係という規制、しばりが機能していた。それに対し、ポルトガル、スペイン、オランダ等はアジア圏内の中継貿易に市場原理を持ち込んで規制緩和を目指す。
(p.51)

ここでのポイントは3つある。1つ目はこの国際市場が自由市場ではないということ。2つ目は琉球の貿易はその「市場」の要請に応じてなされたということ。3つ目はその「市場」とヨーロッパの市場では異なる原理をもつということ。2つ目については琉球の主体性という問題にも関わり、さらなる精査が必要であるため、現段階では保留にしよう。それよりも、明帝国と各朝貢国との間で成立した朝貢=冊封制度の原理と、ヨーロッパの市場原理を分けた点が重要である。






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