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2009年05月21日

サウンドストリート ゲスト忌野清志郎

まだ涙が出ない 500 MilesでSTさんは「初期のRCサクセションから80年代からのロック・スターとして自己規定した忌野清志郎へのつながり」が「うまく説明がつか」ないとコメントした。それに対し、私は80年代に放送されたNHK-FM「サウンド・ストリート」での渋谷陽一によるキヨシローへのインタビュー内容を紹介した。

これが青春ラジカセで聴くことができる(実はこのサイトのスタッフから音源提供のオファーを受けたことがある。その時はバタバタしていて応答できず失礼してしまった)。私が紹介したのは1981.07.10.OAの方で、もう一つの1981.03.19.OAは今回初めて聴くことができた。著作権の関係で選曲が冒頭部分のみなのが残念だが、いずれも貴重なコンテンツである。

この中でSTさんの問いかけに関わるやりとりがなされている。

渋谷:『RHAPSODY』で音の外見が変わったが、これはどうして
    ですか?
忌野:やっぱりベスト・メンバーが揃ったからだと思いますね。
渋谷:自分自身で音の変化というのは考えていたんですか?
忌野:今みたいにやりたかったから、ずっと。
渋谷:ずっと?なぜできなかった?
忌野:うーん・・・謙遜していたんじゃないかな。できなかったです 
    ねえ。
渋谷:今現在のタイトなロックンロールのスタイルは
    『RHAPSODY』の時にできあがったのか?
忌野:(『RHAPSODY』が)出る前の、ライブハウスでやっている
    頃から。
渋谷:自分の中で人格の変化が訪れたとか、そういうことはない
    ですか?
忌野:そういうことは全然・・・
渋谷:まあ、流れの中で・・・
忌野:うん。

まさしく渋谷も同じ問題意識からしつこく問うているが、「ベスト・メンバーが揃ったから」という以外、キヨシローから明確な答えは導き出せない。これ以上訊いても無駄だとあきらめた渋谷が話題を変えることで、興味深いやり取りは終わってしまう。渋谷にとってはここでの問いが宙に浮いてしまったことが、その後もRCサクセションへの興味をいや増しにさせる事態を招いたと、もしかしたらいえるかもしれない。

「今みたいにやりたかったから、ずっと」。にもかかわらずできなかった初期のアコースティック・スタイルは、なにしろデビュー当時の時代の要請であり、「これが売れる」というレコード会社の計算もあっただろう(その読みは見事に外れるのだが)。

1976年
1月にシングル『スローバラード』発売。しかし当時は全く売れなかった。4月、アルバム『シングル・マン』発売。後に名盤として高い評価を受けるこのアルバムも、この時点での評価は低く、発売後間もなく廃盤。10月、シングル『わかってもらえるさ』発売。
ライブ活動は、矢沢永吉、井上陽水らの前座を務める程度にとどまる。
オフィシャル・サイト地味変より

「初期のRCサクセションから80年代からのロック・スターとして自己規定」する移行期に『分かってもらえるさ』がシングル・カットされたこと。これこそキヨシローにとって、RCサクセションにとって、いやむしろ日本のロック・ミュージックの歴史にとってひとつの臨界点ではなかったか。「分かってもらえない」=商業的にヒットしない=売れないことの申告を、シングル・カットとして世に出す=売る立場に立つ、つまり売れそうにない商品を売るという、およそありえない生産活動とはいったい何か?レコード会社はどのような経緯でこんな曲をシングル・カットしてしまったのか、正気の沙汰とは思えない。

1976.12.1とクレジットされたこのライブのレイドバックされたパフォーマンスから、その後のゲスト出演でのキヨシローの「不応答ぶり」を、私は現在というパースペクティブから認知するしかない。




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Posted by 24wacky at 14:48│Comments(2)YouTube
この記事へのコメント
STです。

サウンド・ストリート、2回とも聴いてみました。
僕が思い違いをしていた部分と、やはりそうかという部分があって、とても触発されました。
渋谷氏は、言わずもがなですが、実に優秀な音楽ジャーナリストで、作法としてそう聞いていくしかないだろうという線で畳みかけていくわけですが、これに対するキヨシローの韜晦、はぐらかしは、不誠実ではなく誠実に起因するもので、むしろ語られない残余の響きに多く真実があった類のインタビューだったと思います。

さて、すみません。エントリー違いではありますが、過日の「お国は…」シンポについてです。
キヨシローの肉声にいざなわれて、と言い訳しますが。
僕の感想は「アラフォーもまだまだ、全然アカンなあ」という感じです。
以下、断片的に。

①世代間抗争を試みるなら、心を鬼にしてでも、「前世代は馬鹿ばっかだ」という激烈な提示法をとらない限り認知されないものだが、前世代へのリスペクトが深すぎるためか、遠慮のためか、切っ先が丸まってしまっていて、何が言いたいのか分からない。

②相変わらず国家・反国家の入り口で低廻していて、その先に進まない。もしかすると復帰の頃から攻守ところを代えたリターンマッチをし続けているだけなのかもしれない。思想の問題としては根本なのだから繰り返しやればいいんだ、という立場もとれるだろうが、いまこの島を生きている137万人は今日や明日の生活、また日々直面する政治的・経済的・社会的な選択をどうしたらいいのだろうか。

③(僕を含む)アラフォーの教養が低すぎる。事前の告知記事でも気になったところだが、上野千鶴子氏に「左翼」を代表させるというのは、80年代より前を本当に知らないんじゃないかと疑わせてしまう。せめて小熊英二氏が書いている程度の戦後思想史の教養は、議論の前提として必要だと思う。

④冒頭の「笑い」を巡る反応のギャップは、「再帰性」を巡る断絶ととらえられる。世代論を構えるより、復帰前からの歴史を自らの経験として生きている場合と、復帰後の沖縄を所与として育ち、その分だけ反省的に突き放して見たり、あえて伝統に同一化する振る舞いをする場合の違いとして主題化した方が、思想の問題としてもより普遍的な議論になったのではないか。

また長くなってごめんなさい。
Posted by ST at 2009年05月23日 23:18
「お国は…」シンポについて書くつもりでいるのですが、バタバタといろんなことが重なり今日に至ってしまいました。余裕があれば改めて書くつもりなので、ここでは簡単なレスを。

世代間抗争を設定したかったのは、前嵩西氏のみであった。世代間抗争というとき、それは(沖縄の)という括弧がつくはずだが、萱野、渡辺両氏はそれを論じられない(STさんのいう「教養がない」ということに関わるか)。知念ウシ氏はそもそも問題意識が別。

というような要素が議論を混沌としたものにしたのではないか、というのが全体的な印象です。見方を変えればその混沌ぶりが、前半では冒頭の「笑い」を巡る緊張感と相まって興味深く作用していた、後半は混沌したまま終始した。
Posted by 24wacky at 2009年05月24日 11:46
 
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