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2009年07月10日

沖縄アソシエーショニズムへ 28

個別社会、中間勢力が滅ぼされた日本では、公共性に関心がない「私化」した個人が生み出されてしまった。しかし例外があると柄谷はいう。それが沖縄だ。私の知る限り、柄谷が沖縄について具体的に言及するのはこれが始めてである。ということもあり、講演の要約とは別枠で、当該箇所を以下に引用する。


 
 最後に、そのことに関して、日本では一つの例外としてあった沖縄のことを言いたいと思います。イラク戦争のときも、沖縄では大きなデモがあった。沖縄には米軍基地があるのだから、これは当然です。内地の日本人が呑気に考えているのとは別なのです。同時に、米軍基地も含めて、沖縄は明治以降、日本国家から不当な扱いを受けてきました。しかし、彼らがデモをするのは、たんにそれだけではないですね。
 琉球が日本の支配下に入ったのは明治以降です。つまり、沖縄にはいわば「徳川時代」がなかったのです。沖縄には、自立的な共同体が生き残った。現在でも、もやい(頼母子講)のような信用制度がまだ生きている。また、沖縄はたくさんの島からなっていて、それぞれの島がほかの島を嫌っている。日本本土に対してのみ、沖縄人となるけれども、ふだんは違う。が、このように、人びとが「掟を持った自律的な社会」である個別社会に属することが、個々人としての強さをもたらしているのではないか、と思います。
(255ページ)

前半にいっていることは、沖縄に関してある程度の認識を持つ者であれば常識的に言いうることである。しかし後半については柄谷らしく《たんにそれだけではない》のだ。通常沖縄の自立的な共同体、模合などが論じられるとき、「日本人の忘れられた懐かしい原初」としてノスタルジックに投影されるのが常である。それが「癒しの島」として政治=文化的に転用され、さらに《不当な扱い》が更新される。柄谷が独自なのは、まずはそこに個別社会をみていること。さらにそもそもシマンチュ同士が敵対的であること(柄谷は「島」を文字通りアイランドの島という意味でいっているが、沖縄でいう「シマ」がそもそもこの説に当て嵌まると思われるので「シマンチュ」とした)、ウチナーンチュというアイデンティティがヤマトーンチュに対する「想像された共同体」としてある、つまりアプリオリにあるのではないということ。この2つの構造を明らかにした上で、シマンチュ同士が敵対的であることを認め、一方各々が個別社会の成員であることが個々人に強さをもたらすとしている。

敵対的であるというとネガティブなイメージのみを持つ人がいるかもしれない。《嫌っている》といいきってしまうとやや語弊がある、というか当っていなくもないだけに感情的な反撥を喰らう(笑)。私なりに補足すれば、これには両義的なニュアンスが含まれる。プラスもマイナスもあるということである。ここでいっていることは、古い共同体に対する近代主義的な常識、つまり閉鎖的で排他的で非合理的であるに過ぎない、よって解消すべしという考え方を再考せよということだ。沖縄の共同体にはユイマール(の精神)、模合など「掟を持った自律的な社会」が残っている。後で触れたいが沖縄島北部を中心として広がった共同売店による地域自治の仕組みなどは、まさにこれに当て嵌まる。これらが「掟を持った自律的な社会」(中間組織)であり、その内部で連帯的である。他方で外部の社会(中間組織)とは敵対的である。しかしそもそもこの2つは矛盾しない。

ところが、例えば「イチャリバチョーデー」といったときに、現在の文脈では、沖縄人全体がみな気が優しく、等質に助け合っているというイメージがある。本来「掟を持った自律的な社会」内部の交換様式であったものが、ワッターウチナーンチュの「自然」=本質
natureであるかのように想像されてしまう。それはなによ「ヤマトーンチュというカウンターパーツに対峙することによって、事後的にせり出してきたはずであるのに。しかし、そのことは忘れられ、気が優しく、争いを好まぬ、いつも助け合っているのがウチナーンチュであると、自分たちをアイデンティファイする。

次回に続く



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