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2009年10月12日

遺骨収集 具志堅さん

昨日はじゅげむさんにお願いして、ガマフヤーの具志堅さんが行っている遺骨収集を見学させていただいた。本来ならボランティア参加すべきなのだが、週日の仕事で持病の腰痛が悪化しておりそれがままならず、見るだけというのも気がひけるのであきらめかけたものの、この活動については以前から興味があったので、このチャンスを逃すのももったいないと、結局じゅげむさんについて行った。それは正解だった。

遺骨収集ガマフヤーと困窮者支援のNPOプロミスキーパーズのジョイントについてご存じない方ははこちらを。
    ↓
困窮者支援の遺骨収集開始 那覇市真嘉比

プロミスキーパーズの古紙回収事業にはささやかながら協力させていただいていて、こちらの活動も注目している。同じような生活困窮者が遺骨収集に従事するというのは、いかにも沖縄らしい助けあいの精神が感じられる。真嘉比の現場を訪れると、休日であるためプロミスキーパーズの作業員たちは休まれていたが。

現場は真嘉比の山の上。330を堺にして、向こう側におもろまちの繁華街が見渡せる。いずれこの地も開発され、同じような風景が続いていくのだろうか。ここが沖縄戦の激戦地であったことを、この日ここに立ったことを忘れないようにしよう。

具志堅さんに従い、続いて西原町幸地へ移動。西原町幸地の遺骨収集についてはこちらを。
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名入り万年筆回収 日本兵遺骨から5本/西原の壕跡

壕の中に並べられた4体の遺体はうつ伏せで発見された。「皆、腰に傷を負っているので、うつ伏せにしたのか。そうであればその時まだ生きていたことになる。」具志堅さんは推測する。

「行政の遺骨収集は効率性を求められる。自分たちのやり方はここに遺骨が眠っているということを知ることが目的」と、裸足で現場に立つ具志堅さん。「この方々が英霊として祀られることを果たして願うだろうか?」

具志堅さんについては、新聞等でその活動を知り、その人となりに興味があった。実際お会いし、現場の説明をしていただき、訥々としたその語りを聴くにつけ、その人物にさらに興味が湧いた。諦念と不変の希望を持つ人。具志堅さんにお会いし、そんな印象を持った。帰り際に握手した際、「がんばって下さい」と声をかけていただいた。こちらがいうべきだが同時に、いうにはばかる言葉をあっさりと言われた。懐かしい人に再会した、そんな錯覚をしてしまった。

貴重な経験をさせていただいたじゅげむさんに感謝します。



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Posted by 24wacky at 23:04│Comments(0)イロイロ
 
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