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2009年12月15日

雇われるのではない働きの場 協同組合

「『世界共和国へ』に関するノート」のためのメモ その39

プルードンのいう「所有は盗みだ」という主張は、イギリスでは既にリカード派社会主義者によりいわれていた。その理論にもとづき二つの運動が発展した。一つは労働組合であり、二つが協同組合である。


労働組合は、労働者が団結し、不払い労働の分を資本家に要求するものである。しかし、資本家からすれば、自分たちが設備を準備したり労働者を組織したり、指示を出したりしたからこそ、「集合力」が生まれ、剰余が発生したのだといいたくなる。

このことからいえることは、労働組合の運動というのは、資本に対して闘争的であるが、資本主義的蓄積を否定するものではないということだ。労働組合がいかに闘争しても、企業が倒産してしまえば何もならない。〈労働者への利潤の分配は、そもそも資本の利潤がどの程度確保されるかによって制限される。労働組合運動は、資本家との闘争の中で、賃金、労働時間、労働条件を改善する。しかし、それは資本制生産そのものを廃棄することではない。むしろ、それは「労働市場」を安定化する役目を果たす。だから、資本のほうも労働組合を承認するようになる〉。

もう一つの運動、協同組合とは、資本が労働を結合(combine)するのではなく、労働者自身が労働を連合(associate)するもの。利潤は労働者自身に分配される。これは画期的である。もはや資本制生産ではないのだから。しかしながら問題もある。利潤を分配するといっても、様々に異なる労働に対して、どのように平等に分配できるかという。

協同組合を創始したのは、ロバート・オーウェン。彼はイギリスやアメリカに協同社会を作ろうと試みた。労働時間説にもとづいて貨幣に代わる労働紙幣を考案した。だが、それは失敗する。

その教訓をうけて、協同社会を最初から作るのではなく、まず、日用品の共同購入から初めて、徐々に共同性を広げていくという戦略に変えたのが、ロッチデールの消費組合である(1844年)。その原則は①加入自由、②一人一票の民主的運営、③出資金への配当の制限、④剰余金の組合員への組合利用高に応じた分配というもの。

労働組合は資本制の中での対抗運動であり、協同組合は資本制の外へ出ようとする対抗運動である。この二つは現在分離している。

さらに、1850年代には「生産者協同組合」(協同組合工場)もつぎつぎと設立された。そこでは労働者自身が経営者であるから、賃労働は存在しない。そのことをマルクスは評価した。ただここで注意したいのは、賃労働が存在しないとしても、賃金の平等化はなされないということ。なぜなら、労働には種類があり、それに応じて賃金の差は生じざるを得ないから。

しかし、大事なのは、貨幣――商品とう関係にもとづく、支配――被支配関係がもはや存在しないということである。人々が監督指揮者に従うとしても、後者に雇われたからではない。彼ら自身が選任した者に従うだけである。ここでは、労働する者たちが主権者なのである。ルソーがいうような人民主権が名目的であるのとは違って、これは現実的である。

とはいえ、問題はこの先にある。



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