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2009年12月17日

協同組合のアソシエーション

「『世界共和国へ』に関するノート」のためのメモ その41

前回は株式会社の協同組合化について述べたが、実はこれも簡単な話でない。もし個々の企業がこれを実行すれば、たちまち資本制企業の競争に飲み込まれ敗北することを余儀なくされるから。たとえば、資本制企業はリストラをする。その一方で優秀な人材を厚遇する。協同組合にこの真似は難しい。そもそもそんなことをしたら、協同組合が協同組合でなくなる。一言でいえば、「資本」を揚棄できなくなる。だからそうするためには、国家的な規模で、法制度を変えるというようなレベルの話になってくる。

そこでマルクスは、これを実現するために、一時的に国家権力を握るべきだと考えた。とはいっても、それはラッサールがいったように「国家によって協同組合的生産を保護育成する」ことではない。ここが重要であるが、マルクスは、国家によって協同組合を育成するのではなく、資本主義的株式会社を協同組合的に組み替えるといっているのだ。〈マルクスにとって、コミュニズムとは、「アソシエーションのアソシエーション」つまり、協同組合の連合体にほかならない〉。

ところが、株式会社の協同組合化は一企業のみではできない。さらにいえば、一国のレベルで行うこともまた難しい。なぜならば、他の国家・資本が存在するから。それらの干渉、介入にさらされざるを得ないのだ。

しつこいようだが、国家は他の国家に対して国家である。ほとんどの国家論は、国家をその内部でのみ論じている。たとえば、ルソーの人民主権論では、国家をその内部、つまり国民から見ている。その場合、王政を倒せば国家の超越性は消え、国民に選ばれた政府だけが残るように見える。これに対し、プルードンは、主権者が人民に代わっても、それは真の主権者ではないといったが、その批判は正しい。

だがそのプルードンにしても、国家をその内部で見ている点では同じである。彼の信用銀行や代替貨幣は、一国や一地域で考えれば可能だろう。しかし、いざ国際的な交易となると、やはり貨幣は必要といわざるをえない。貨幣・資本の揚棄も一国だけの問題ではないのだ。

国家は他の国家に対して国家である。資本の揚棄は一国だけでは不可能である。このことを認識したマルクスは「世界同時革命」という困難な問いに直面した。

「『世界共和国へ』に関するノート(13) 社会主義と協同組合」はここまで。



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