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2010年02月28日

世界同時革命と永遠平和

「『世界共和国へ』に関するノート」のためのメモ その42

季刊『atプラス』連載「『世界共和国へ』に関するノート(14)」(柄谷行人著)はいよいよ最終回で「世界同時革命」と題される。



資本主義経済は海外との交易によって成り立つ。それゆえ、たとえ一国内で国家と資本を揚棄する社会主義革命を起こしたとしても、それはたちまち他国の干渉や制裁にあう破目に陥る。それに対して防衛しようとすれば、自ら強力な国家とならざるを得ない。つまり、国家を一国内で揚棄することはできない。

マルクスやバクーニンはこの問題に対し、世界同時革命を唱えた。しかし、そもそも各国の運動は利害や目標に差がある。それらがいかに緊密に連携しても、国家権力を握っていない限り無力であり、国家間の対立によって分断されざるを得ない。さらに、一国ないし数国で社会主義政権ができると、この種の分断は避けられるかもしれないが、国家権力を握った者とそうでない者という別の分断をもたらす。ゆえに、国内の運動を世界的に連合させようとするやり方は必ず挫折する。

カントは社会主義革命について考えていたわけではないが、一国だけの市民革命が挫折することを知っていた。平和論として読まれてきたカントの「永遠平和」は、たんに戦争がない状態をいうのではなく、「一切の敵意が終わる」という意味である。そこではもはや国家は存在しないということを読みとるべきだ。

カントは「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱う」という道徳法則から実現される社会を「目的の国」と名づけた。それは資本主義が揚棄された状態である。しかし、もしその「目的の国」が一国内で実現できたとしても、他国を目的として扱っていたら、つまり収奪していたとしたら、それは「目的の国」とはいえない。したがって「目的の国が実現されるとしたら、それは必然的に「世界共和国」とならなければならない。

ここでカントとホッブスの違いを指摘する。カントもホッブス同様、「自然状態」という前提から出発する。《自然状態は、むしろ戦争状態である。言いかえれば、それはたと敵対行為がつねに生じている状態ではないにしても、敵対行為によってたえず脅かされている状態である。それゆえ、平和状態は、創設されなければならない》(『永遠平和のために』)。ここで、いかにして平和状態を創設するのかという点で、カントはホッブスと異なる。

ホッブスのいうことはこういうことだ。人間社会とは常にほうっておくと争ってばかりいる。戦争が絶えない。それが「自然状態」なのだ。ならばすべての権力をただ一人に明け渡せばよい。その暴力を独占した主権者がいる状態こそ平和なのであり、すなわちそれが国家であると。

だがこの考え方は一国内での話だ。同じ考えで、国家と国家の間の自然状態を克服しようとすると、世界国家としての主権者を想定することになる。カントはそれに反対した。確かにそれは「戦争の不在」をもたらすかもしれないが、「永遠平和」をもたらさないから。カントのいう平和状態を創設するとは、国家を揚棄することであり、そこが国家を前提としたホッブスとの決定的な違いである。









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この記事へのコメント
地震、お互いだいじょうぶなようでヨカッタです(*゚ー゚*)

ところで、
先日、セスナでつっこんだ人の遺書の和訳読んで
http://ytaka2011.blog105.fc2.com/blog-entry-163.html

革命、近し?なんて感じました(=^・ェ・^=)

星の位置的に6/26のグランドクロスターゲット論に同意してます^^;
Posted by yuko at 2010年02月28日 18:15
>yukoさん

億ション最上階は微動だにしなかったようですね、なによりです。しかし夜となると定期的に局所的にガッタガッタ揺れるという噂が・・・エー塩梅でお願いします。

リンク先は途中まで読んで挫折してしまいました、すみません。
Posted by 24wacky at 2010年02月28日 19:17
 
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