てぃーだブログ › 「癒しの島」から「冷やしの島」へ › 2002年旅日記 › 2002年旅日記その9

2006年01月12日

2002年旅日記その9

●ばっしらいん宮古 9/3~9/9


鹿児島空港~那覇空港~宮古空港と乗り継ぐ。窓から見える宮古島は見事なまでに真平ら。きたきたきた!この暑さ、でゅお~んとした空気。これだよこれ。やっぱり沖縄だね。この高揚感は沖縄を訪れるたびに訪れる。何だろうね、これ。

さっそくSに紹介してもらったゲストハウスへ。この宿がどうもいけなかった。ハズレってこと。なにせオーナーはじめ長期滞在者のほとんどが関西人なのだ。スキューバ関係の若者ばかりでそいつらがよってたかって関西弁。おれは、あの、相手を包み込むようなぐにゃ~っとしたシマコトバに飢えているんだ、それを聞きたくてきたんだ、それがどうしてよりによって沖縄で関西弁にまみれなきゃならないんだ!

とりあえず自転車を借りて近くの海へ。それから遠出して風力発電所を見にいく。宮古島は自然エネルギーのモデル地域になっている。離島での環境政策にも興味があった。そのあたりを見ておきたかった。

沖縄地方に台風16号が接近しているという情報は屋久島にいるときから知っていた。やれやれ、あんな宿で何日も閉じ込められてはたまったもんじゃない。ということで他の宿を探す。

それにしてもその夜の星空といったら。沖縄の星空は何度も見てきたが、宮古のはこれまでで間違いなく一番だろう。星の数がとにかく夥しい。嘘みたいにリアルだ。


4日、空港近くの宿に移る。静かにすごせそうで一安心。



早過ぎる桜が咲き乱れる直前、3月の終わり、唯一の友を突然亡くした。

かけがえのない、友と呼べる友を。

変わらぬ日常の時間、確実にそいつのいない時間。

異なった二つの時間の同時進行にそれ以来混乱し続けてきた。

途方に暮れてきた。

その穴埋めはできない。

したくもない。

でも、この日常というやつは得体が知れない。


こいつがいなくなったのなら、もう何をしても同じことだ
こいつがいなくなったのなら、もう何をしてもいいのだ



そう。

これからはそうするのだ。

だから宮古島出身のそいつの生まれ育った場所に行く。

全部すっ飛ばして行く。

これまでのおれはチャラにする。

そうしないと何も始まらない。

いや、そうしたからといって何が始まるわけでもないかもしれない。

だがそこに辿り着かないと。

そうしないわけにはいかない。


東京~宮古は直行便が出ている。

3時間ちょっと、あっという間。

だけどそんな簡単に行くわけにはいかない。

もっとゆっくり、じわじわと近づくのがふさわしい。

自転車で行こうという無謀な計画も、せめて自分の肉体を痛めつけてやろう、

という、やつに対するセンチメンタルな罪滅ぼしの情がなかったとも言えない。



そいつの街に近づく。

このあたりのはずだ。

数年前に沖縄本島に居を移したご両親に電話をかける。


「おかあさん、まだちゃんと家は残っていますよ」

「残っていますか…、そうですか」



台風16号は本島、久米島付近で停滞していた。とにかく進まない。閉じ込められた宿のテレビは被害の大きさを伝えていた。

5日、6日、7日と長期化していたが、宿の中でふさわしくすごす。



さて、どうしようか。これからどうしようか。


同じカテゴリー(2002年旅日記)の記事
2002年旅日記その11
2002年旅日記その11(2006-01-14 17:17)

2002年旅日記その10
2002年旅日記その10(2006-01-13 22:39)

2002年旅日記その8
2002年旅日記その8(2006-01-11 11:30)

2002年旅日記その7
2002年旅日記その7(2006-01-10 09:27)

2002年旅日記その6
2002年旅日記その6(2006-01-09 10:13)

2002年旅日記その5
2002年旅日記その5(2006-01-08 10:28)


Posted by 24wacky at 18:04│Comments(0)2002年旅日記
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。