2017年03月11日
『〈繋がる力〉の手渡し方 離陸の思想、着地の思想』野本三吉

本書は「暮らしのノート」という個人誌の最新版をまとめたものである。もともとは若き著者が日本列島放浪の旅の後、横浜市寿町で生活相談の職についた1972年30歳の時に「生活者」というタイトルで創刊された。それ以降、児童相談所のケースワーカー、横浜市立大学教授と歴任し、同時に、執筆と発行、そして書籍化が継続されてきた。2002年60歳を節目として沖縄大学教員として沖縄へ転居、2010年から同大学学長の役職につき、病気を理由に2014年に大学を退くまで大役を務めた。その間10年あまり出していなかった同人誌を2013年4月に復活させ現在まで継続させている。本書は沖縄から横浜市田谷に拠点を移してから2016年までの記録である。
著者の活動のキーワードを思いつくまま挙げてみる。「地域」「暮らし」「共同体」「子ども」「繋がり」「沖縄」。これらは著者のこの間の仕事を、書籍や実際の活動に触れ目にしてきた者にとっては、馴染み深い実践の言葉としてあるだろう。一方、本書で新しく加えられ目につくのは「老い」そして「地域学校」がある。
実家の田谷での新しい生活が微笑ましい。61年ぶりのクラス会、そして老人クラブや町内会への参加を通し、「地域」との「繋がり」を初々しく実行し、次のような感慨を抱く。「ぼくは仕事をやめ退職し、どこか人間として生きる権利を獲得したような自由さを感じている。自分のもっている、知恵や経験、技術を自由に駆使して生きていけるなァと実感している」(161ページ)。同時に、「老い」の当事者の視点から「共同体」の変化を見つめる。かつての田園地帯に予定される環状道路建設に対し、「暮らし」への影響を憂慮するというように。
「地域学校」については自主講座、自由大学として、さっそく実行に移される。横浜市立大学、沖縄大学での経験を生かすように、地元で学びの場を設けたいとの著者の思いに支持者が集まり、2016年5月に「泰山塾」という名前で開塾した。その基本姿勢は「た問自答」だという。
「〈た問自答〉の〈た〉とは〈多〉くの問いであり、また〈他の人間の問い〉でもあります。
複眼的な視野を持ち〈多く〉の諸問題から目をそらさずに自分の答えを見つけること、そして〈他人の問題〉を自分のことのように捉え、そのひとつひとつに自分たちのできる範囲で答(応え)ていくという意味でもあります。我々個々人が持つ問題は同時に我々の共通の課題であり、それは翻ってこの国の問題でもあるはずだと感じたからでもあります」
(事務局長須田大輔さんの開塾宣言より)
さて、私には個人的な関心から本書を興味深く読んだ。まず、沖縄生活の期間と沖縄から「地元」へ移るタイミングが著者のそれとほぼ重なることが挙げられる。「着地の思想」について、私も「地元」に移り3年弱が経過するが、果たしてそれが「着地」といえるかは甚だ怪しい。
言葉を換えれば、私は「地元」に「根を下ろす」ということについて、この間考え続けてきた。その際「地元」とは何を指すのか。それを生まれ育った故郷として無前提に据えることには疑問が残る。
かつて私は生まれ育った東京という「共同体」を離れ、沖縄という場所で生活した。そして東京へ「帰還」した。しかし、いったん「共同体」を離れた私にとって、再度そこへ戻ったとしても、そこでの生活は以前の「共同体」のそれとは異なる。私自身が変わったのだ。時間が経過し生活環境が変わった、地元の商店街がシャッター街になった、自分も歳をとった、というようなことではない。当然それらの変化は敏感に感じているが、いったん「共同体」を離れ、そして「帰還」した私自身が変わったことと生活環境が変わったことは区別されるべきである。
さらに、そのことと「沖縄」との関わりについて述べる必要がある。すなわち、「地元」に「根を下ろす」ことと、「沖縄」との「繋がり」を、いかに両立させるかという課題についてである。
私は沖縄を離れる際、「沖縄は自分にとってライフワークである。東京に移ってもそれは続ける」と自他に誓った。しかし、その具体案については定かでなく、しばらく模索することになるだろうと予想し、実際その通りになって今に至る。確かなことは、沖縄時代にやっていたことの延長はできない、それは実際面においても倫理的な姿勢においても、である。実際面において、「沖縄を伝える」ということは、沖縄で生活していてこそのリアリティがやはりある。倫理的な姿勢とは、当事者性の問題をさす。沖縄に身体があれば「沖縄を伝える」ことは純粋に主体として成立したが、沖縄を「沖縄問題」化させている東京に身体がある当事者として、もはや「沖縄を伝える」などという生ぬるい作業を行うわけにはいかない。これは一定期間沖縄で生活してきたからこそいえる背理といえるが。
本書に戻る。横浜の実家に「着地」した著者とて、この間「沖縄」を忘れたわけではさらさらなく、活動や「繋がり」は続いているし、その思いは本書でもことあるごとに綴られている。
「泰山塾」は当初、「沖縄大学関東分校」という装いを予定していたが、正式の分校と紛らわしいという理由で沖縄大学側からクレームがついたという。その経緯は定かでなく措いておく。しかし「沖縄大学の卒業生や関係者だけでなく、もっと自由に学びたい人に開かれたものにしたいという意見もあり」、基本的な思いはそのままに、学びと交流の場にすることになったと記されている(188ページ)。そのコンセプトとして、自主講座、コミュニティ、シェルターがあると。
「もっと自由に学びたい人に開かれたものに」するとき、「沖縄」はどのように位置付けられるのか。「沖縄も福島も根っこの問題は同じ」などと軽々に「普遍化」させる愚は避けるべきであろう。また、個々人共通の課題を国の問題だと捉えるときに、議論の飛躍がないように、そしてわかりやすい答えの出し方をする誘惑に陥らずに、丁寧に「自分の答えを見つけること」は可能か。
アイヒマン裁判から「悪の凡庸さ」を見出したハンナ・アーレントは、その原因を、考えるという営みを放棄することだと結論づけ、それに陥らないために3つの道徳法則を立てた。自己愛の否定、他者の立場に立つ想像力の重視、自己のうちのパートナーをある種の「手本」として選択する、という。
泰山塾の〈た問自答〉はどうだろうか。私も参加して実践してみたい。
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加藤新学長になってからの沖大の方向性がみえるシンポジウム(もちろんこの分野はこれまでも充実していた)。教育・福祉問題を基地問題と関連させて捉えるという沖縄独自の視点を私も共有したい。日本中を駆け回る保坂さんと沖縄側の掛け合いも興味深いぞ。
『〈繋がる力〉の手渡し方 離陸の思想、着地の思想』
著者:野本三吉
発行所:現代書館
発行年月:2017年1月31日
Posted by 24wacky at 20:30│Comments(0)
│今日は一日本を読んで暮らした