2017年08月19日
『哲学の誕生 ソクラテスとは何者か』納富信留

わたし(たち)が知っているソクラテスとはプラトンの著作に登場する「哲学者」のイメージとしてある。わたしはソクラテスに関心があるが、その関心の根拠を知りたく本書を手にした。そこでネックになるのがソクラテスはどこまでがソクラテスでどこからがプラトンの創造なのかという問題である。プラトン作は初期・中期・後期と後の研究者によって分別され、初期の対話篇に登場するソクラテスが史実に近く、中期以降になるとプラトンが独自の哲学をソクラテスに語らせるようになっていった、という理解がオーソドックスである。私もそんなものだと思い、初期の対話篇に価値を置いていた。たとえば、このような理解こそ、思い込み(ドクサ)であることが本書によって解明される。
本書によれば、プラトン著作の性格は、同時代の「ソクラテス文学」を理解して初めて明らかとなる。「ソクラテス文学」とは、ソクラテスの弟子たち、すなわちソクラテス派がソクラテスの死刑後、その信用を回復するために、ソクラテスについての各自の記憶を掘り起こして書いた数々の書を指す。その多くが現存しないため、残されたプラトンやプラトンに比べれば少ないがクセノフォンの著作のみから、われわれはソクラテスについて知ることができるしかない。
「ソクラテス文学」というジャンルの中で、弟子たちは互いに対抗意識を持って、独自の「ソクラテス像」を描いていた。「禁欲的、快楽的、教育的、論争的、恋愛的、皮肉的」といった多様なソクラテス像は、単に各自に異なった姿が現れたという事実だけを意味するものではない。実在のソクラテスの記憶から発した著作形式は、やがて間テキスト的な関係をもつうじて「ソクラテス文学」という独自の世界を自律的に展開していったのである。
(114ページ)
たとえばクセノフォンが思い出すソクラテスとは偉大な教育者、道徳家としての理想のモデルとしてある。一方で、プラトンのソクラテスは、ひたすら問うことをやめない妥協なき偏屈男として登場する。その倫理的姿勢に、プラトンの著作のなかでソクラテスから問われるあらゆる者が、プラトンは言わずもがな、テクスト上のソフィストやソクラテスの弟子たちのみならず、時を超えてわたしたち現代の読者までもが、「哲学」の誕生に立ち会うのだ、と著者はいう。プラトンの対話篇とはそのような魔力を秘めているというのだから、古典のお勉強レベルではすまされない。
『哲学の誕生 ソクラテスとは何者か』
著者:納富信留
発行:ちくま学芸文庫
発行年月:2017年4月10日
2017/02/09
この20年とは、かつての文学批評の仕事をやめて哲学的なそれへ移る時期に重なる。しかし、その「変遷」が時系列でグラデーションのように読み取れる、というわけにはいかない。それが本書の魅力といえる。 ところで私が柄谷行人を読み始めたのは、記憶に間違えがなければ、当時住んでいた田無の図書館で借りた…
Posted by 24wacky at 18:36│Comments(0)
│今日は一日本を読んで暮らした