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2017年08月22日

「夢の記録」『悲しみについて 津島佑子コレクション』より

『悲しみについて 津島佑子コレクション』

 急死した息子ダアが夢に現れる。夢の中なので一人称のわたしも周囲の誰もそれがおかしいとは思わない。ダアの裸体を抱きしめる欲望でさえも。それら断片が記録的でもあり創作的でもある文体で記されている。それ自体が作者の奸計であることは確かだろう。「これは本当に夢の記録か?」「いや、それを装った虚構に違いない」というように。しかしながら、夢の記録にしてから「現実」=ノンフィクションではないではないか…

 そう、夢の記録は「現実」ではない。次に、「夢の記録」という装置は虚構よりもリアルさを露光させる。それは「現実」よりもリアルである。

 さらに、「その2」では、「娘がこんな夢をみた」というように、娘の夢に現れるダアが記述される。さらに悪どいはかりごとではないか。これは「わたし」からみた娘の「内面」ではない。うまくいえないが、「わたし」と娘との関係性が可能にさせる、あるエモーションの表出といったものである。それは、『悲しみについて』と題された今回配本のコレクションにまとめられたその他の作品において、関係者を拡大させながら臆面なく展開される。だから「夢の記録」はその序章ともいえる。

『悲しみについて 津島佑子コレクション』
著者:津島佑子
発行:人文書院
発行年月:2017年6月30日


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