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2017年09月04日

コミュニケーションにおける闇と超越 國分功一郎 千葉雅也『現代思想 八月号「コミュ障」の時代』より

『現代思想 八月号「コミュ障」の時代』

 エビデンス主義は多様な解釈を許さず、いくつかのパラメータで固定されている。それはメタファーなき時代に向かうことを意味する。メタファーとは、目の前に現れているものが見えていない何かを表すということ。かつては「心の闇」が2ちゃんねるのような空間に一応は隔離されていた。松本卓也がいうように、本来だったら無意識に書き込まれることが今やネットに書き込まれている(千葉)。

 ハンナ・アーレントは「心の特性は闇を必要とするところにある」(『革命について』)といった。フランス革命で、ロベスピエールが革命に向かう人物の動機を明らかにさせようと問い詰めたことへの批判として。面接で会社の志望動機を訊かれ続ける就職活動中の学生は、ロベスピエールに問い詰められる革命家のようなものだ。学生たちは「動機をきちんともたなくてはならない」と信じようとさせられている(國分)。

 動機を言語化できなくてはならないということは、信頼を崩壊させる。だからこそ、「心の闇」が大事。「心の闇」を育むことこそ、コミュニケーションの根本。本当はそこまでいいたくない、もうちょっと静かにしていたいという気持ちが尊重されない。そういうタイプの一部の人たちは、自分を「コミュ障的」と自認する(千葉)。

 コミュニケーションとは人と人のあいだにおこることであるはずなのに、「コミュ障」という言葉によって個人の問題にされてしまっている(國分)。

『現代思想 八月号「コミュ障」の時代』
発行:青土社
発行年月:2017年8月1日


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