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2018年10月09日

『世に棲む患者』中井久夫コレクション

『世に棲む患者』中井久夫コレクション

 統合失調症を病む者の寛解期初期の状態を、著者は角を出しはじめた蝸牛にみたてる。社会の中に座を占めようとするその行動を探索行動と表現する。医師や家族そして支援者、いや、社会は、彼ら個々の行動の成否を性急に判断したり、説教したりすることに慎重になるべきだ、と。

 そこから著者には次の問いが生まれる。「働くこと」あるいはそれへの促しはつねに治療的だろうか、と。治療の後半から始まるリハビリテーション段階では、「働くこと」が治療目標と同義と捉えられたり、「働くこと」が「治ったこと」と同じにみなされる傾向にある。しかし、それは「服薬しないこと」と「治癒」を同義とみなすことと並んで誤りであり、その結果、無益な焦りが生じたり、性急と挫折に陥る。本人も家族も支援者も「働き」「働かせ」たがるとき、治療者こそ冷静にあるべきだ、と。「働かざるもの食うべからず」というイデオロギーを内面化し焦る患者に対し、著者は治療こそ大仕事なのだと、彼らの自尊心を擁護する。

 さらには著者の労働論に展開する。非患者の労働では、たとえば忙しそうにみえるサラリーマンでも、合間にタバコを一服し、お茶を飲み、軽口を叩き、トイレに立ち、その帰りに別の課に廻り道をするなど、小刻みに休みを入れている。ところが患者はこれが苦手のようだ。彼らは休憩時間も仕事のあとも緊張が続いている。彼らは休息が不得手で、むしろそのために結果的に働けないという方が当たっているのだ、と。

 そんな彼らに対し、「小刻みに小休止を入れましょう」と声かけするだけでは、彼らは休めないということが、私には経験上いえる。彼らにそうさせるためには、そもそも非患者であるかもしれない私(たち)の徹底的に資本主義化された精神と身体を、そこから逃避させる必要がありはしないか。

『世に棲む患者』
著者:中井久夫
発行:ちくま学芸文庫
発行年月:2011年3月10日


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