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2009年02月02日

『チェ 39歳別れの手紙』

前編に引き続き、山岳地帯でのゲリラ戦の地味な描写が続く。というかそれがほとんどすべてといってよい。そこには「起承転結」も都合の良い希望も無い。

『チェ 39歳別れの手紙』そこには「革命戦士」への英雄視も無い。資本主義超大国への直接的な批判も無い。ましては「急展開のクライマックス」など無い。

繰り返すが、資本と国家に対する批判が必要である。個人を英雄視するのではなく、批判するのでもなく、「革命か、でなければ死か」と決意した彼が対したものが何であったのか?この映画を観た者は、そこから思考を始めるべきである。



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この記事へのコメント
チェ・ゲバラって,柄谷さんがずいぶん馬鹿にしてたんですよね〜〜。単なるロマンティスト、みたいな。

曲がりなりにも国を経営し続けたカストロの方がずっと偉い,とか。

僕はキューバの歴史とかあまり知らないし,あんまり興味もないのでいいのですが。分かりやすいゲバラより,かなり複雑なカストロの方が興味はあります。
Posted by asawa at 2009年02月07日 10:59
同感です。「唯一生き残った」社会主義国の都市農業、医療体制などを報告した吉田太郎による報告の衝撃、その後別の報告者による冷静な現場報告などに触れ、多少はこの国の成功と挫折を知りましたが、そういった興味の方が大きいです。
Posted by 24wacky at 2009年02月07日 11:23
僕はこう思っています、”カストロがいてゲバラがいた、ゲバラがいてカストロがいる”。
カストロは一度失敗した武装蜂起のあと、亡命先のメキシコでゲバラと出会ったが、会わなくてもキューバへもどったのはまちがいないし、彼は生きのこるべくして生き残ったのも間違いないでしょう。またゲバラはグアテマラの革命の最後に落胆していたけれども、やはりカストロに会わなくてもラテンアメリカの人々の解放のための革命に人生を投じたと信じます。その上で、この二人の出会いとお互いのリスペクトが今のキューバの始まりであることは間違いは無いでしょう。ゲバラは最後までカストロに思いをはせていたし、カストロも最後までゲバラを見捨てなかった。ゲバラの最後の日記を読むとこのふたりはおたがいにロマンチストであり、わかりやすい人間であるということがわかります。ぜひ読んでほしいです。
僕は映画はまだ観ていないし、キューバに行ったことは無いけど〈吉田太郎さんの本は読みました。すばらしいです〉、
キューバの成功と挫折、というものを考える上で、誤解を恐れずに言えば、この二人の「役割」は全く同等です。
思いだけでつらつらと長くなりました。すみません。
Posted by だいご at 2009年02月10日 00:44
まずぼくは暴力革命自体を支持しないので、それが「成功」しようがしまいが、それを判断基準にしてカストロであれゲバラであれ他の誰それであれ(暴力革命そのものはキューバ革命に限らず現在まで無数にある)個人を評価するという立場をとりません。むろん彼あるいは彼女がロマンチストであるかリアリストであるかも意味を持たない。

それよりむしろ、革命後現在まで社会主義国家を維持しているキューバという国家とその元首カストロには興味があります。

もちろん「革命に人生を投じた」者はゲバラ一人ではないし、他にも名も無く死んでいった無数の人々がいる。いわゆる「テロリスト」と名指しされる人たちもそうでしょう。そのひとたちとゲバラの違いはなんでしょう?ぼくはなにもないと思います。要するに、ゲバラを過大評価も過小評価もしない、という立場です。
Posted by 24wacky at 2009年02月10日 19:47
 
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