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2009年04月17日

アトミックサンシャインの中へ in 沖縄

話題のアトミックサンシャインの中へ in 沖縄を観てきた。「話題」を括弧にいれじっくり観るために、雨降りの平日昼間は適していた。

入り口から入場するな否や足止めをくらう。そこにある照屋勇賢のインスタレーション、アメリカンデポの物品提供・協力による、戦後沖縄のアメリカ文化受容=需要への批評に不意をつかれたのだ。北谷町美浜・アメリカン・ヴィレッジのコジャレたショップを想起させる展示を、アメリカンデポというまさにそのものの企業からの商材を使用する。実際のアメリカンデポのショップとこの空間に存す差異の微妙さに立ち止まらざるを得ない。

次に、山城知佳子の映像からの過剰な音声が、白い展示通路、そして開放的な自然光が差し込む片側窓に響く。

中央の部屋では両サイドに石川真生、比嘉豊光、この性質の悪い2人がモノクロのドスを仕込んで待ち構えている。この2人に挟まれた中央のオノ・ヨーコ作品はあまりにも分が悪い。もっとも、観る者によっては、普遍的なpeaceを中央に、アジアのヴァナキュラーなオキナワが周縁として補完するなどと位置づけるのかもしれない。が、ここではそれは許されない。

その後の山城知佳子の「アーサ女」をカーテンで仕切られた暗闇で1人で観る。この寒々とした経験を何と表現すればよいか。圧巻の稀有な時空間である。

沖縄の作家とそれ以外の作家を分ける二元論を当て嵌めるのは安易である。にもかかわらず、特にこのテーマにおいてそれは不可避である。「それ以外の作家」の作品もそれぞれ個別に評価されるべきであり、実際目を止めるものも多い。しかし、圧倒的に「沖縄」の情動が強すぎるのだ。

今回の沖縄巡回展のタイトルは「In to the Atomic Sunshine in Okinawa」ではなく、「In to the Atomic Sunshine excluding Okinawa」が正しい。表現されたものの持つ力が恐ろしいのは、それが理屈ではなく、赤裸々な事実であることをなによりも現前させてしまうこと。この美術展はそれを教えてくれる。一言でいえば、「日本国平和憲法九条下における」という自明のフレーズを瓦解させる沖縄の作家たちの作品群の批評性ということ。

ところで「話題」をまだ知らない人は、以下の記事を読んでほしい。

天皇題材の作品外す 県立美術館「九条」展

表現侵害か教育配慮か 県立美術館・非展示/識者「県民に理由説明を」

「天皇モチーフ作品」外す 憲法9条企画展

「表現の自由」めぐり波紋 県立美術館の一部作品除外

企画展はまだ始まったばかり。このままただ終わるわけにはいかないだろう。関連企画、佐喜眞美術館でのサテライト展なども目が離せない。大浦信行展も控えている。また、こちらからは一部の作品をみることができる。

関連記事:
おもろまちを歩けば~Atomic Sunshine

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