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2010年01月16日

『キャピタリズム~マネーは踊る~』

シネマパレットで『キャピタリズム~マネーは踊る~』を観る。

アメリカのマネーの行方がごく一部の富裕層に集まり、残りの大多数は貧困に喘ぐ。いったい資本主義は誰のため?という内容を、マイケル・ムーアが相変わらずの調子で描く。

『キャピタリズム~マネーは踊る~』

後半がピープルへのエンパワーメントで満ちている。住宅ローン延滞により家を立ち退かされた家族をみるにみかね、近所の人たちが不動産屋の許可無く封鎖を解き、家族を家に戻す。まもなく業者や警察が来るが、「空き家が増えて治安が悪くなる。ずっと住んできたんだ。家にもどしてやれ」と家の前をどかない。警察はしぶしぶ退去せざるを得ない。コミュニティーの勝利だ。

パン工場で働く労働者たちが突然大量解雇された。「これまで仲間たちとせっせと働いてきた自分たちだ。こんな仕打ちをされる覚えはない」。労働者たちは立ち上がり、工場に立てこもる。メディアも味方し、経営者側が折れる。労働者の女性は、「もともとここは自分たちのもの。協同組合のようなかたちで運営できないだろうか」と希望を語る。

まさに現在連載している「そして船は行く 新しいアソシエーションのために」で書いていることそのものが描かれていて、タイムリーかつとても興味深い。

そうであるがゆえに、この映画の最大の問題点を指摘しなければならない。それは資本主義についての認識である。資本主義が一部の守銭奴たちの仕業であり、一般国民は搾取されているという。それはこの映画が鋭く描いていている通り現象として正しいのだが、それだけでは結局一部の悪人がいなくなれば、あるいは改心しこれまでの悪行を改めれば、平等な世の中になる、世界は平和になるということになってしまう。事実、そのように考える平和主義者は多い。

『キャピタリズム~マネーは踊る~』の致命的な欠点は、資本主義の謎を描いていないことにある。資本主義の弊害は、一部の経営者や投機家や権力者が狡賢いから起こるのではない。資本そのものに「欲動」があるからそうなる(らしい)。それは一部の「守銭奴」の人間性に原因を求める思考では解消できない。だからこそ、私は無謀にもアソシエーションを呼びかけている。


















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