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2010年01月22日

そして船は行く 新しいアソシエーションのために 13

メディア再考

JanJanのようなインターネット市民メディアは確かにオルタナティブ・メディアである。だが、私が実現したいメディアはそれらとはいささか違うようだ。そのぼんやりしたイメージを、少しでもはっきりさせたい。

市民メディアの独自性は市民記者という制度にある。公共性に関心の高い市民がボランタリーで市民の視点から記事を書く。例えば、「自分の読みたい情報がない」「このニュースは伝えられるべきなのに、伝えるメディアがない」「私ならこうみる」「ならば自分たちが記事を書けばよい」。これは画期的であった。

しかし、編集部は「プロ」が担当する。当然編集権を持つ。ここに編集部(中央)――市民記者(周縁)というヒエラルキーがどうしても存在してしまう。ただでさえそうであるのに、記者と編集部間のコミュニケーションは必要に応じてメールでやりとりするのみ。これを縦方向とすれば、横方向はどうか。残念ながら記者同士のコミュニケーションは制度化されていない。

ここで私がいいたいことは、交流・交通・交換を重視したいということ。これが既存のインターネット市民メディアに欠けている。まずはこれが一点。

この点で興味深い事例を紹介する。カマン!メディアセンターは大阪釜ヶ崎で「みんなが立ち寄る井戸端コミュニケーション」を実践する拠点である。その役割について、こう謳っている。

各種メディアの作成や情報化だけが目的ではありません。交流を育むきっかけとなるような状況をメディアと考え、人々がよりあい、であう場所を目指します。

それにしても、何故に「交流を育むきっかけとなるような状況をメディアと考え」るのだろうか?そう考えさせる場としてのエネルギーが、釜ヶ崎・飛田・新世界の界隈にあるからだ、と想像してみる。人間のエゴやら業やらがむき出しになった、と表象されるその場所だからこその事業。いったん分散された個が交差する、アソシエーションの可能性を孕んだ磁場。

ストリートに設置された「ちゃぶ台ブース」で労働問題を論じていると、その横でおじさんたちが、ビールやワンカップ片手にいっしょになってはなしを聞く。通りがかりのおばちゃんが、「そのみかんちょうだい」とみかんをもって帰るような場。

これをたんに共同体への回帰とみない方がよい。一見そう見えなくもないが、むしろそれへの批評がある。古い意匠をデフォルメし、新しいアクションに跳躍する。彼らは自由だ。次の瞬間おっちゃんたちは悪態をつき、おばちゃんは家路に急ぐ。それでいいのだ。

この企画はNPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)を主宰する上田假奈代さん(とその仲間たち)のものだ。私は昨年Wさんの案内でインフォショップ・カフェココルームを訪れる機会があった。
関西にて4/3

假奈代さんと話をさせていただき、とても魅力的な方だと分かった。なにしろ、そこには実際、おっちゃんがいて、街の噂が聞こえた。そこを生み出したのは、詩人のロマン主義ではない。

いったん分散・分断された個人が繋がり直す現場、それがアートであり、そこで交わされる情報をどう生かすかがメディアにかかわる。私の2006年の事業計画と共通する部分がある。

問題は、このメディアをいかに資本制社会に食い込ませていくか。その理論を求めている。



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