2011年04月06日

旧友との思わぬ再会

NAM時代の友人Tさんと8年以上ぶりの再会をした。現在宇都宮在住のTさんは東日本大震災から沖縄へ家族で避難してきた。奥さん、3歳の娘さん、そして奥さんのお腹の中には2人目の子どもが。Tさんは仕事があるため来週にも単身宇都宮に戻るという。

Tさんから現地の状況を聞くにつけ、久々の再会で旧交を温めようなどと思っていたこちらが甘かったことに気づかされた。Tさんの言葉を借りれば「エゴイスティックに逃げてきてしまった」者として、まだ現地に残っている知人たちへの悔悛の念、危機的状況を伝えようとすればするほど変人扱いされる雰囲気への恐怖感、精神的にかなり不安定な奥さんとのアンバランス・・・。

「これまでしてきた自分の仕事がなんの役にも立たないことが分かった」と、学問の世界に生きる者として苦々しく語るTさんの表情が特に印象的だった。

前回まで転載したNAM環境系MLメールにもあったように、当時我々は原発に変わる再生可能エネルギーの市民発電をプロジェクト化するため、共に学び、議論していた。そのTさんとこんなかたちで沖縄で再会することになるとは想像だにしなかったことだ。



同じカテゴリー(いい事ばかりはありゃしない)の記事
最期に
最期に(2012-09-22 23:16)

ある集いで・・・
ある集いで・・・(2011-02-14 00:26)

ただただありがたい
ただただありがたい(2011-01-05 01:56)


この記事へのコメント
私の考えでは、Tさんが自分の仕事(学問)を否定しているのは、間違っています。
東日本大震災、大津波、そして福島原発の事故は確かに深刻で、被害も大きい。今後出てくる健康被害も甚大でしょう。しかし、だからといって、人間の営みが無意味になることなどあり得ない。
もっとひどい惨禍、例えば第二次世界大戦なども考えることができるでしょうが、強制収容所以降も、原爆投下以降も、人間は生きているし、学問の営み(思考するということ)を続けています。それらは確かな意味を持つ。それが、何かの外的な災害や事故(人災)などでなくなってしまう、などということはない。少なくとも私はそう思います。
Posted by 攝津正 at 2011年04月07日 00:01
Tさんがいわんとしたこと、複雑な思いはこの短い文章からはほとんど伝わりません。伝え切れなかったことはこちらの責任です。

そのような記事をかいてからいうのもなんですが、「この短いブログ記事では書けないような複雑な思いが実際はあるだろうなあ」という慮りを働かせることがネット上でのコミュニケーションでは特に必要だと思っています。

私は摂津さんの意見に同意します。その通りでしょう。Tさんもその程度のことは認識しているでしょう。そうだけれども、今回の事態はその考えを棍棒で殴りつけられたように壊された、そのくらい動揺している思いの発露だと捉えています。

まずはその思いを酌むことが実際相対した者としての対応であると思っています。それをたんに理屈でもって頭から否定しても、Tさんにはとほとんどなにも伝わらないでしょう。
Posted by 24wacky at 2011年04月07日 10:13
超人攝津正です。
西脇さんのおっしゃるのはその通りなのだろう。異論は無い。TさんはNAMで奥さんはRAMで知っている。Tさんほど才能に溢れる人も珍しいと思っている。その彼が、絶望とも取れる表現をせずにはいられなかったというところに、現在の状況の深刻さがあるのだろうか。
もし原子炉に万一があっても、仮に逃げたいと思っても逃げられない状況になりつつある。そんなこんなで今日は選挙。でも、県議会も市議会も、どうでもいいような気もする。自分の「生きる」ことと、今目の当たりにしている生の危機と、何の関係も無いとも思う。
Posted by 攝津正 at 2011年04月10日 00:40
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。