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2015年07月05日

「シマコトバでカチャーシー」について その1

崎山多美講演会「シマコトバでカチャーシー」をわたしはどう受けとめたか。

前記事のコメント欄にも書き加えたが、崎山さんは「シマコトバ」による朗読を試みているが、わたしはその部分を省略した。その意味について改めて書いてみる。

わたしの言い訳としては、その部分を「伝える」としたら一部分のみではじゅうぶんではなく、省略せずにすべて「再現」したほうがよい。でもそうすると記事全体のバランスが損なわれるというものだ。

だがこれはたかだか体裁の問題で言い訳に過ぎない。この部分を「再現」することなどできないということの。そしてそのことに孕むものこそが問題なのである。

「再現」できない理由の一つは、それを通して崎山さんが(この場では)音声として伝えようとしているから、文字ではできないということ。むろんテキストは文字である。その一つは崎山さんの作品である。はじめにテキストとしてあるのだから文字表現をしていることはいうまでもない。ここに崎山文学の「闘争」があることも言わずもがなであるし、エクリチュールとパロールという思想的問題もそこにはある。だが、わたしが「この場では」というのは、東京での講演会において崎山さんがそのパフォーマンスにおいて音声を優先した(せざるをえなかった・することに賭けた)という姿勢を受けとめる意味でそうする。

「再現」できないもう一つの理由は、民族としての言語の問題にかかわる。崎山さんにとって日本語が「身体にこなれていかない」ように、ヤマトゥとしてのわたしにも「シマコトバ」はこなれていかない。こなれていない、受けとめることができていないものを「再現」することなどできるわけがない。にもかかわらずそうすることは、「交流するためにわかったふりをしないこと」という警句に背くことになるはずだ。

そしてここからが重要だが、「再現」できないことが「現す」のはなにかということである。それこそウチナー対ヤマトゥの非対称性に他ならない。端的にいえば、「あなたとわたしは違う」ということになる。「シマコトバ」を使ってそこで語られている情報を理解することはヒアリングの技量で解決できる。だが一つの言葉が「身体にこなれていかない」とは、そのような意味ではない。歴史や文化や風土によって培われた体験がそうさせるのであれば。

耳慣れない音読を聞かされた会場の若い日本文学研究者たちは、おそらく居心地の悪い思いをしたことだろう。彼ら/彼女らにとって自明の日本近代文学という制度を揺るがされたのだから。そう感じないとしたら、その者はよほどの鈍感な感性の持ち主である。

講演全般を通し、崎山さんは「日本語」で現在の沖縄の「息苦しさ」を批判し、ウチナーとヤマトゥが交流することを志向する態度を示した。これは沖縄に対して後ろめたい「日本人」にとって耳障りのいい話でもある。しかしながら、そこで同時になされる「シマコトバ」によるパフォーマンスによって、崎山さんは交流することの困難さを問うている。露呈させている。

崎山さんがふと身体を揺らがせ舞ったカチャーシーの甘美さと切なさに、わたしは思わず近づきハグされたい衝動にかられた。いつの日かそうなるために、わたしは「日本人」としての我が身体を知ることから始めよう。


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この記事へのコメント
 ご無沙汰してすみません。
 拝読しました。

 以下は2009年に書いたマルグリット・デュラスという女性の作家の「ヴィオルヌの犯罪」を読んだ時の感想文です。私はこの崎山さんという方を全く存じ上げない(インターネットで検索さえもしていません)のですが、その方がなぜ「音声を優先した(せざるをえなかった・することに賭けた)」のか、解る気がします。
 それと同時に、私自身も24wackyさんと同じように「再現できない」と思います。単に再現できない理由から「民族としての言語の問題」が抜け落ちるだけです。
 長くなりますが、ご容赦下さい。

=====以下、感想文===========

「ヴィオルヌの犯罪」感想文 
著者:マルグリット・デュラス


============

(2行分の空白)
わたしは、何をして自分がここまで生きてきたのかわかりません。カオールの警官は愛してました、それだけです。
(2行分の空白)

                マルグリット・デュラス            
           「ヴィオルヌの犯罪」 176Pより

============

 マルグリット・デュラスという作家の書いた「ヴィオルヌの犯罪」。確か、初めて読んだ時から15年ぐらい経っているのだと思います。この本は、作家自身が事件の犯人と直接面談をしたというまでに注目した、新聞の3面記事がベースになっています。3面記事の内容は、片田舎で年金暮らしをしている悠々自適の60歳前後の夫婦が、30年近く一緒に暮らしてきた、妻の従妹にあたる生来の不具者(本の中では聾唖者ということになっているけれど、実際の事件については、あとがきに、このような記載しかない)の女性を殺害の上、バラバラに切断し、それを橋の上から貨車に投げ入れた。そして、そのバラバラに切断された遺体が、フランスのほとんどの全域にわたるさまざまな駅で1954年に発見された、というもの。実際の事件において、犯人は夫婦二人だったけれど、この本の中では、妻一人の単独犯ということになっている。

 上の忘れられない一文は、その妻が、話し相手(M.デュラス本人のことだ、ということが、本の1/3ぐらい経った頃から、解るようになる)に語る一言。

 2004/02/24(火)、今から約5年前に、私はマルグリット・デュラスという作家の書いた、いくつかの本について、とても短い感想文みたいなものを書き、なぜか有難いことに、それが今も残っている。

そこから、少し。

<だけれど、今、思い出すのは「ヴィオルヌの犯罪」という本の主人公(になるのかな?殺人を犯した女性。昔、警察官に恋をしてふられて自殺未遂を図る)の一言。

「私は何をしているのでしょう?その後のことは現実ではないようなんです。○○○(警察官の名前)に恋していたことは現実でした。その後のことは、現実ではないんです」

(これは、一字一句憶えていない。ただ、こんなことをしゃべっていたことは間違いない)>


 相当の言い換えが起こってはいるけれど……
やっぱり私は、この15年近く、メモ一つ取らず、本を一時も自らの所有とすることなく、この2行の文章があること、そして、その2行の文章が、M.デュラスという女性が書いた「ヴィオルヌの犯罪」という本の中にある、ということを憶えていたことになる。

 最初に読んだ時、この本に付箋をつけることもしませんでしたし、線を引くことも、メモを取ることもしませんでした。この本を読むことは、当時の私にとって娯楽以外の何もでもなかった、というのが大きな理由だと思います。論文を書いたりするために読んだ本には、付箋をつけたりしていたように記憶しています。

 なのに……。当時、付箋をつけたり、線を引いた本よりも――私の記憶に残っているのはこの本なのです。考えてみると、とても不思議なことのような感じもします。
 で、今回、自身が心打たれる文章のあるページに、付箋をつけてみました。そうしたら…こんな風になりました。(膨大な付箋がついてる写真付)
 そうして、解ったことがありました。私がこの15年近く憶えていた、忘れられなかったのは、あの2行じゃなかった、ということです。事実、5年前、私は大意は掴みながらも、あの2行を完全に再現出来ていない。私が憶えていたのは、あの2行の前と後に作られた「2行分の空白」なのです。そして、その2行分の空白が、私にとって、この本の全てを「象徴」していた。

 この本は、M.デュラスが事件の犯人、その夫、そしてその夫婦が通っていたカフェの主人(犯人は、そのカフェにおいて私服刑事が始めた、この事件についてのカフェにいる皆の世間話の中で――私服刑事の誘導尋問であったともいえる――自白をします)その事件の当事者3人に話を聞いた、ダイアログ(対話)形式の本です。

 そして、冒頭の引用のように、一人の人が話す時は、その語りの中に行を開けてはいないのです。もちろん、一人の人の語りが余りにも長く、その中で大きく内容が変わる時には、読みやすさを考慮してあるのでしょう、そこには改行があって、一行分ないしは二行分の空白が出来たりします。
 けれど、上に引用した一文は、決して長い一人分の語りの中の2行ではないんです。全体としては、たった4行の文章。その、たった4行の犯人一人の語りの中から、あえてこの2行を浮かせる効果を狙って、前と後に、「わざと」2行分もの空白をつくったのです。

 自身が小文みたいなものを書くことで、お給料を頂いていた頃、どうしてもスペースの関係で、思うところに改行や句読点を打つことが出来ず、「ああ、これでは伝わらない」という歯がゆさを感じたことがありました。その時に初めて自覚したことだったのですが……私自身が文章を書く時、最も大事にしているのは、どのような言葉を用い、その言葉をどう並べるかではない。それももちろん大事だけれど、それ以上に大事なのは、どこで「改行」をし、どこに「句読点」をつけるか、だったのです。

 話は大きく変わるのですが……。私の故郷には、独特の芝居があります。「ウチナーシバイ」と呼ばれるものです。NHKの朝の連続テレビドラマ「ちゅらさん」で、主人公「エリー」の祖母の役を演じていた平良トミさんは、もともとは「ウチナーシバイ」の役者さんです。「ウチナーシバイ」が他の芝居と決定的に違うところは「台本がない」ということです。ウチナーシバイの役者は、他の役者さんが演じているのを傍で見ながら、そのセリフを全て「耳」で憶えていくのです。

 母が小学生の頃、お姉さんが買ってくれた1本の鉛筆を2本に切って、それを削り、妹と分け合って学校に行った、そして、その鉛筆を同級生の男の子に割られて……母は、家に戻り、その男の子のことを姉さんに話し「殺してやる」と言ったのだそうです。母自身ではなく、伯母に聞きました。
 それぐらい、紙と鉛筆がなかった。だから、ウチナーシバイの役者は、台本という大層なものは持てず、全てを「耳」で憶えるしかなかった……ということなのだろう、と思います。

 母方の祖母は、島の言葉による「羽衣伝説」を全て「耳」で憶えていて、それを幼い母に、語って聞かせたそうなのです。そして母も、その話の断片を――還暦を遥かに過ぎていますが――今も憶えています。私にも自らでも知らず知らずのうちに、島の文化の中で、祖母から母へと受け継がれた「<耳の記憶>の文化」みたいなものが、やっぱり、どこかで生きていたのだと思います。


 私は、この本を「目」ではなく「耳」で憶えていたのです。


 耳で憶える時、言葉以上に大切なのは、どこで「間」を空けるか……ということなのだ、と思うのです。つまり「どこで一呼吸置くか」その時間の空白を憶えることの方が、言葉そのものを憶えるよりも遥かに難しく、そして、その時間の空白を憶えることが出来れば、その空白の再現さえ可能ならば、たとえ言葉は少し違ったところで、その言葉が伝えようとしたことは伝わる ―― 私は音楽のことは良く解らないのだけれど、自らの知るギリギリの知識の中で表現すると、楽譜で言うと、恐らくは、どこに休符を置き、どの音符にスタッカートを付けるか、ということになるのだと思います。

 マルグリット・デュラスは、この事件を題材にして、最初、戯曲書き、そしてこの本を書き、その後更に、もう一つ戯曲を書いています。そのことから考えても、当時は完全に無意識だったけれど、私はこの本を「芝居を見る」つもりで読んだのでしょう。だからこそ、付箋もメモもいらなかったんです。そして、芝居を見て、私が――「ウチナー芝居」の文化を持つ私が――注目したのは、その言葉ではなく、その「空白」だった、ということなのだと思います。



加島祥造 「Tao―老子―」42Pから

第11章 「空っぽ」こそ役に立つ



器は、かならず
中がくりぬかれて空(うつろ)になっている。
この空(うつろ)の部分があってはじめて
器は役に立つ。
中がつまっていたら
何の役にも立ちゃしない。


同じように、
どの家にも部屋があって
その部屋は、うつろな空間だ。
もし部屋が空(から)でなくて
ぎっしりつまっていたら
まるっきり使いものにならん。
うつろで空いていること、
それが家の有用性なのだ。


これで分かるように
私たちは物が役立つと思うけれど
じつは物の内側の、
何もない虚のスペースこそ、
本当に役に立っているのだ。



……加島先生は、私と全く異なった文化をお持ちになった方だけれども。私が、私自身でさえも気づかぬところで祖母や母から受け継いだ、「その文化の中枢にあるもの」みたいなものを、きちんと言葉にして下さった。言葉を話すことも大事だけれど、その間に、その内にある「空っぽ」こそが、実はその「言葉」を支えるのだと―― だからこそ、私は加島先生のことが好きで、加島先生も、私に「<同じリズム>があるんだな」とおっしゃるのかもしれない。そんなことを考えています。


=====感想文以上=====




母が死にました。ご連絡まで。
Posted by ブーウジぬイナグングヮ at 2015年09月14日 23:54
ブーウジぬイナグングヮさん
ご無沙汰しています。
マルグリット・デュラスは80年代に流行りましたね、結局読むことはありませんでしたが。「2行分の空白」と崎山多美。なるほど。直感的な連想ですね。

加島祥造も90年代くらいにニューエイジ系の延長で読まれていたと記憶しています。エッセイくらいは読んだはず。彼の訳したアメリカの短編小説が好きでした。

お母様のこと、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
Posted by 24wacky at 2015年09月16日 21:05
 母のこと、お祈り頂きありがとうございます。

 実は、同じM.デュラスの「エクリール ――書くことの彼方へ――」という本の感想文を2009年に書いていて、「こんなこと書いたつもりなかった」ということが、なぜか書いてあるんです。
 24wackyさんの「エクリチュールとパロールという思想的問題」という言葉から、最初に思い出したのがホントはこれで、「あ。もっといいのがある」と「ヴィオルヌの犯罪」を思い出す、という思考を辿ってます。直感的と言えば直感的な連想なのですが、アタマの引き出しに重なる言葉があった、というのが本当のところです。
 
 加島先生は、その老子訳に感動してお手紙を差し上げ、お返事を頂戴したことがきっかけで、何度か直接お眼にかかりました。お返事を頂いて「これは大変なことになった」と他の御本も読み始め、それで徴兵拒否者だったことを知りました。島でも聞いたような話がヤマトにもあったんだ、ってお眼にかかりたくなって。
 なので、私にとって先生は「オジーと同じ時代を生きたヤマトの人」で唯一、自ら能動的に動いて、実際にお会しハグした男性です。
 英文学がご専門で、アガサ・クリスティの訳があることは知っていましたが「ニューエイジ系の延長」という評価があるなんて知りませんでした。実際にこの眼で先生を存じ上げている者としては、
「せ、先生が……ニューエイジ!?確かに頭の回転は信じられないぐらい速いけど、先生がニューエイジ……。う~ん」
と、唸ってます。

 感想文の全文を掲載はしませんが、やっぱり「ヴィオルヌの犯罪」と同じように付箋つけた文章を抜き書きしてあるので、それを。

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書くこと、
 それは語らないこと、
沈黙すること、
 声をたてずに叫ぶこと(表紙より)

まだ書かれていない本といっしょにひとりっきりでいるというのは、人類発生当時の眠りの中にいることね…(中略)…戦争中、避難所にひとりでいるのと同じよ。でも神もなければ祈りもしない。ドイツ国民を、ナチスの最後の一兵にいたるまで殺してやるのだという気狂いじみた欲望のほかはなんにも考えることはない。(38Pより)

だけど、涙や苦悩や悲しみや絶望は、まだ止めることも、理性で抑制することもできない。政治的な怒りは神への信仰と同じくらい強い。それよりもはるかに強い。終ることがないからはるかに危険よ。(107Pより)

 マルグリット・デュラス 
 「エクリール」――書くことの彼方へ――より

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 この先に続く感想文を読むと、以前に24wackyさんが<「死の棘」を思い出した>と評された「死闘」の真っ只中にいたことが良く判ります。だからなんでしょうね。誰にも言わない(文字にしない)つもりでいることがなぜか書いてある(笑)

 そういった実際の経験から思うに、ウチナーンチュとヤマトゥンチュが「歴史や文化や風土によって培われた体験がそうさせる」「民族としての言語の問題」を乗り越えることは不可能です。先にあげた通り「神への信仰より強い」「政治的な怒り」を島が抱えている以上。
 オリバー監督、はっきり仰ってます。「日本はイスラエルで、沖縄はパレスチナだ」と。現在の沖縄しかその眼でご覧になっていない方でさえそう仰るんですから、半永久的に不可能です。

 不可能ですけど、じゃあ個々人が一緒にいられないか、ハグできないか、というと、それは全く違うことを生きて証明しちゃってる身としては「いつの日かそうなるために」書けることがなければいけないんだろう、と思うんですけど。 
 実際の経験からすれば、日本語とは全く別の互いが苦にならないコミュニケーションツールがないとムリだろう、というのが実感です。
 なんでもいいんです。画が書けたり、音符が読めたりする必要ない。一緒に農業やるでも、一緒に料理創るでも。24wackyさんなら映画を見るでも。
 加島先生には、最初"freedom of passion"という英語の短いセンテンスをどのように訳すか、ということでお手紙を差し上げました。つまり、相互理解の入り口は日本語でもウチナーグチでもなく、英語だったんです。だからこそ、お会いすればハグするのが当然だった。
 
 日本語とウチナーグチを話す人の文化圏にハグってないですし。ウチナーグチ文化圏なら尚更で、私は結婚する時にオバーとハグしたのが唯一のハグです。そして、それはやっぱりカチャーシーの時でした。ウチナーンチュ同士がハグするって、そういうことを意味している以上、ウチナーンチュとヤマトゥンチュがハグするためには、全く別の回路がないとムリです。
 
 ただ、「私たちのような死闘をもう誰にも経験して欲しくない」それが率直な願いですし、個人的に加島先生にお逢い出来たことは僥倖のようなことだと運命に感謝してもいますが、やはりその奥底で戦争の記憶を媒介にして人が繋がることは、本当はとても哀しいことなのだ、とも思っています。
Posted by ブーウジぬイナグングヮ at 2015年09月19日 09:44
 ごめんなさい。間違えました。

"freedom of passion" ではなく、
"freedom from passion" でした。

 この"passion"という言葉は、オーストラリアのが番・マコーマック先生が新報への投稿に"passionate"という表現で使っておられます。

 何というか、加島先生がニューエイジの延長なら、島のオジー・オバーたちはみんなニューエイジの延長(どころかニューエイジそのもの)になってしまいそうです。全然違うのに……

それで、慌ててるというか、ビビってます。
Posted by ブーウジぬイナグングヮ at 2015年09月19日 10:20
80〜90年のニューエイジブームでは、東洋の神秘思想、仏教などが欧米人流の解釈で評価されていましたね。ユング、道教(タオイズム)なども。その系列として加島祥造も読まれることがあった、という程度の意味です。彼がニューエイジであるか否かに関わりなく(笑)。

ウチナーンチュとヤマトゥンチュがハグするための全く別の回路。その認識を前提に議論ができるようになればいいですね。
Posted by 24wacky at 2015年09月19日 21:18
 ああ。加島先生御本人ではなく、あくまで「加島先生の書いたもの」をそう受け取る人がいる、ということなんですね……作品が独り歩きしちゃってるんだ。

 議論 …… いつもいつも"Confidition"に二重線が引かれて新たな文書が出てくるこの島について、ウチナーンチュもヤマトゥンチュも揃って今なお何にも知らされてない状況下にあるだろうことは3歳の子どもだって容易に予測しうることで、そういう中でウチナーとヤマトの関係性をどんなに議論しても、前提がひっくり返る可能性は幾らだってあるのですから、その議論にあまり意味はないんじゃないでしょうか。24wackyさんの言葉に対応して出てくる自身の経験や思考を率直に綴ることだけが私に出来ることだと思ってます。

 先に「なんでもいい」と書いた「日本語以外のコミュニケーションツール」は「個々人が一緒にいる」ためのもので「ハグする」ためのものではないです。基本的に日本語とウチナーグチの文化圏にハグがない以上、どこか別の文化を間に挟まない限り、先ず無理です。

 「崎山さんは、カチャーシーを踊ったらハグしたくなる、って言ってるじゃないか」とお考えかもしれませんが、ウチナーグチ文化圏において、カチャーシーとは、これで何かが始まり、何かが終わる、その混濁、祝いと葬送の同時進行の表現です。だからこそ、一人では無理で誰か誘いたくなるし、ハグもしたくなるし、切なさも甘美さも同時に存在する。いわば人が踊りで「ビッグバン」を創りだすことなんです。でも、人は神さまじゃない。そこには自ずから、その混沌に収集をつける責任を負う人、これから始まる今までとは異なる時間を生きていかねばならぬ人がいます。だからこそみんなでカチャーシーを踊るのです。その違う時間を生きて行く人を、そこで踊る人、みんなが受け容れていく表明として。カッチャーして終わり、なのではなくて、カッチャース必要があるからカチャーシーなんです。そして、そこにおいてハグすべき人はその責任を負う人です。かつてのオバーと私のように。事実、その後10年、私は島で暮らすことはなく、昨年祖母を看取りました。名前もその時以来変わっています。
 崎山さんはそういうことを判ってるから<「責任とれよ」といわれるかもしれない>って仰るんでしょう。

 この狭い島に息苦しさがあるのは、私が生まれるずっとずっと前から始まってることで、別にここ最近だけのことではありませんし、その息苦しさに耐えられなくなった人が島を出て行くのも今に始まったことじゃありませんが……
 それにしても、グジンフーを踊る人が島に戻った途端、カチャーシーを踊る人が島から出て行くとは。グジンフーが「始まりと終わり」の「始まり」なら、カチャーシーは「始まりと終わり」の「終わり」です……以前に24wackyさん宛に書いた紙のお便りの内容を一人で思い出し、溜息をついてます。

 鬱が酷くなりそうなので、この辺で。
Posted by ブーウジぬイナグングヮ at 2015年09月21日 17:32
 
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