2017年03月07日
『復讐するは我にあり』今村昌平

詐欺師にして連続殺人犯の榎津巌(緒形拳)が九州、浜松、東京と犯行を重ねていく。
この手のドラマであれば、主人公の過去や内面を描き、その異常な犯罪の動機を「説明」するのが定石といえる。そのことで観る者は主人公に自己同一化をし、ドラマ構成を受け入れる。ところが、今村昌平はそれを描かない。ただただ榎津が行き交う人を騙し、殺め、金を奪う身振りを反復させる。動機の「説明」がないにもかかわらず、映画は圧倒的なパワーで観る者をラストまでぐいぐいと引き込む。
五島出身の榎津の戦時中の少年時代が挿入される。厳格なキリスト教徒の父・鎮雄(三國連太郎)は軍から船の徴用を命令され、拒みきれず従う。それに反抗する巌少年。しかし、このシーンは後の榎津の犯行動機の「説明」ではない。キリスト教=父親という権威への懐疑として、鎮雄との確執というドラマの軸としてあり、さらに鎮雄と榎津巌の妻の加津子(倍賞美津子)との禁断の愛=共犯というドラマを輻輳させ、榎津の「悪」を相対化させる機能となる。
それにしても改めて気づかされるのは、今村作品の傑作は、すべてのカットに無駄がなく、すべてのカットに力がある。このワンカットを撮るための、各スタッフの(見えない)仕事が想像される。単純にいえば、だから動機の「説明」などなくても、傑作たり得るといえる。
後半、榎津がいっとき身を隠す浜松の旅館のシークエンスがすばらしい。駅を降りて拾ったタクシーの運転手に「ひっそりと静かで、女を手配してくれるところ」を尋ねる。タクシーを降り、榎津が奥へと進んでいく人気のない路地。女将のハル(小川眞由美)は色気をプンプンとさせ、老母(清川虹子)はハルと若いつばめ(火野正平)のいちゃつきや榎津と売春婦(根岸とし江)との交わりを覗いている。榎津がハルと懇ろになるのに時間はかからない。緒形拳と小川真由美の情交シーンは刹那的であるが色と情が沸き立つ。しかし、榎津にとってハルとの肉欲が目的であるだけではない。路地奥の隠微な宿全体がアジールと化して味方をしてくれるのだから。
これと対をなすように、もう一つの情交がある。鎮雄が営む旅館での義理の娘加津子とのそれである。温泉で湯船に浸かる鎮雄に迫る加津子。加津子の豊満な裸体を邪な目で視る鎮雄はすでに姦淫を犯しているが、最後の一線は躊躇する。加津子は何を考えているかわからない。今村作品の女たち同様たくましい。ラスト近く、鎮雄のそんなずるさが好きだと告げる。この一言は人を刺す。榎津が何人も他人を刺した以上に情念がこもっているではないか。
『復讐するは我にあり』
監督:今村昌平
出演:緒形拳/小川真由美/倍賞美津子/三國連太郎/フランキー堺/ミヤコ蝶々/清川虹子/火野正平
原作:佐木隆三
1979年作品
Gyao配信期間
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Posted by 24wacky at 22:05│Comments(0)
│いつか観た映画みたいに