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2017年09月05日

ダイアローグの場をひらく 斎藤環 森川すいめい 信田さよ子『現代思想 八月号「コミュ障」の時代』より

『現代思想 八月号「コミュ障」の時代』

 オープンダイアローグの前提は「わかりあえないからこそ対話が可能になる」。コミュ力の対象は「想像的他者」、すなわち自己愛的な同質性を前提とする他者。その対極はラカン的な「現実的他者」で、決定的な異質性が前提となるため対話もコミュニケーションも不可能。それに対しダイアローグの対象は「象徴的他者」。安易な相互理解は不可能だけれど、相互性のある対話によって、そこから新しい意味を生成することが可能になるような他者のことで、「レヴィナス的他者」と呼べるかもしれない(斎藤)。

 オープンダイアローグでは「聞く」と「話す」を分ける。一方がまず話して、「なるほどあなたはそう思うんだ。ところで私はこう思う」というようなキャッチボールができる(森川)。

 アディクションの自助グループこそ、究極のダイアローグ。「言いっぱなし聞きっぱなし」で、メンバーの語りはどこかモノローグ的だが、一人ひとりを超え、まるでiCloudに保存されているような感覚(信田)。

『現代思想 八月号「コミュ障」の時代』
発行:青土社
発行年月:2017年8月1日


2017/09/04
コミュニケーションにおける闇と超越 國分功一郎 千葉雅也『現代思想 八月号「コミュ障」の時代』より
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2017/09/03
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2016/11/20
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2016/11/19
「水平方向の精神病理学に向けて」
 「水平方向の精神病理学」とは、精神病理学者ビンスワンガーの学説による。彼によれば、私たちが生きる空間には、垂直方向と水平方向の二種類の方向性があるという。前者は「父」や「神」あるいは「理想」などを追い求め、自らを高みへ導くよう目指し、後者は世界の各地を見て回り視野を広げるようなベクトルを描く。通…





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