2017年09月05日
ダイアローグの場をひらく 斎藤環 森川すいめい 信田さよ子『現代思想 八月号「コミュ障」の時代』より
オープンダイアローグの前提は「わかりあえないからこそ対話が可能になる」。コミュ力の対象は「想像的他者」、すなわち自己愛的な同質性を前提とする他者。その対極はラカン的な「現実的他者」で、決定的な異質性が前提となるため対話もコミュニケーションも不可能。それに対しダイアローグの対象は「象徴的他者」。安易な相互理解は不可能だけれど、相互性のある対話によって、そこから新しい意味を生成することが可能になるような他者のことで、「レヴィナス的他者」と呼べるかもしれない(斎藤)。
オープンダイアローグでは「聞く」と「話す」を分ける。一方がまず話して、「なるほどあなたはそう思うんだ。ところで私はこう思う」というようなキャッチボールができる(森川)。
アディクションの自助グループこそ、究極のダイアローグ。「言いっぱなし聞きっぱなし」で、メンバーの語りはどこかモノローグ的だが、一人ひとりを超え、まるでiCloudに保存されているような感覚(信田)。
『現代思想 八月号「コミュ障」の時代』
発行:青土社
発行年月:2017年8月1日
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Posted by 24wacky at 20:42│Comments(0)
│今日は一日本を読んで暮らした