2018年06月21日
『脱住宅「小さな経済圏」を設計する』山本理顕+仲俊治
〈序章 住宅に閉じ込められた「幸福」〉をゾクゾクしながら読んだ。およそ次のよなことが書かれている。19世紀の産業革命以降、人間を取り巻く環境の変化として大きいのが「一住宅=一家族」という住まい方であり、それは労働者のためのものであった。優れた労働者を確保し生産性を向上させることを目的に、彼らを効率よく収容し、かつ、プライバシーを守るような住宅が求められた。プライバシーとは閉じ込められた生活を指す。人々はプライバシーの内側に閉じ込められることが幸福であると思わされてきた。「一住宅=一家族」は核家族のことであるが、現代では核家族自体がすでに崩壊し、単身世帯がほぼ半分となっている。それにも関わらず、依然として「一住宅=一家族」のプライバシーを守ることを前提とした住宅に閉じ込められている状態こそが問題である。
新しい住宅は外側に開かれていなければならない。そのためのヒントとなるのが「閾」という空間である。「閾」とは「共同体内共同体」としての家族とその上位の共同体との関係を調停するための空間である。上位の共同体との関係において、家族は様々な多様性をもつ。「一住宅=一家族」の外側は、交通、エネルギー、医療、福祉、教育などのインフラストラクチャー網によって覆われたパブリック(公的)空間だと私たちは思い込んでいる。だがそれは、単に国家の官僚機構によって私的に分割統治された空間でしかない。
産業革命以前の日本の町屋が参考になる。町屋は家業をもった私的(プライベート)空間である。町屋の住人たちが自主的に運営していた自治組織を町中(ちょうじゅう)という。町中は公的(パブリック)空間である。両者の中間にあって、両者を結びつける空間がお店=「閾」であった。何がプライベートかパブリックな空間かはその相互関係によって変わる。自治とは、その相互関係のあり方を決める議論に参加することである。
町中の本質は、その地域経済とともにコミュニティがあったということである。近代の住宅計画に欠落していたのは経済である。住宅に住む人たちが同時に経済活動に参加するという仕組みをもたない限り、コミュニテイは成立不可能である。たんに「みんなで仲良く」することがコミュニティではない。
現代版町中を「地域社会圏」と呼ぼう。そのローカルな共同体を構成する人々の空間はどのように構想(設計)されるか。自由な空間で自由に他者とかかわり合い、自由に連携することを「アソシエーション」という。しかし、アソシエーションは、その都度集まるために場所探しをしなくてはならない。アソシエーションが具体的な空間として設計されることこそ重要である。一つの集団の関係が一つの建築空間として設計され、それが実現するプロセスのことを、ハンナ・アーレントは「物化」といった。
続く1章2章では、建築家としての著者のこれまでの試み、すなわち、単なる住宅の集合を「地域社会圏化」することが、豊富な写真とイラスト入りで紹介される。その中でも興味深いのが、東京は武蔵小山の食堂付きアパートの事例である。木造密集市街地対策として地域が様変わりしていく状況の中で、このプロジェクトは、新旧の住民のための「まちづくり」という側面があった。さらに、オーナーが商店街の一員として活動してきた経験から、この街に住むそれぞれが「創造・発信」することが重要だという信念を持っているという面もまた見逃せない。
これらの事例を通して、著者は「小さな経済」を提唱する。「小さな経済」とは、個人の仕事、特技、趣味などを通じて、他者とかかわろうとする営みのことを指す。
本書の内容は、およそこの15年ほど私が関心を持ち続けてきたことにいちいち突き刺さる。本書を手に、誰か仲間と激しく議論したい。そして「小さな経済」を実践したい。
『脱住宅「小さな経済圏」を設計する』
著者:山本理顕+仲俊治
発行:平凡社
発行年月:2018年3月7日
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Posted by 24wacky at 20:46│Comments(0)
│今日は一日本を読んで暮らした