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2009年11月10日

県民大会の後のダグラス・ラミス講演会

昨夜は既に告知した通り、県民大会の余韻をひきずりつつ、ジュンク堂にて「『ガンジーの危険な平和憲法案』発売記念 ダグラス・ラミスさん講演会&サイン会」が行われた。講演の内容はほぼ著書の内容と重なるので、最後のしめの言葉を引用するにとどめる。聴衆は20名ほどで決して多いとはいえなかったが、その分質疑応答は活発になされた。親密な集まりの場としてちょうど良い人数ではなかったか。

県民大会の後のダグラス・ラミス講演会

ラミス
ガンジーの非暴力とは、倫理・道徳の話だけではなく、権力論だ。抑圧的なイギリス政府に対して、「きっと優しいところがあるはずだから、それに訴えよう」などという話ではない。向こうにある決定権を奪ってここで決める。イギリス植民地政府のいうことは聞かない。法律に従わない。そういう話です。だから暴力は邪魔。ガンジーからみると、暴力はラディカルではない。

例えば署名運動について、それは自らの奴隷性を見せるやり方だとガンジーはいった。自分の力の無さを支配者に確認させているようなものだと。「こんなに力がない」。「お願いするしかない」。それは支配者を喜ばせるようなやり方だ。

今日は県民大会に行ってきた。(ガンジーと)似たような根源的な動きが沖縄にあるような気がする。基地を無くすとか減らすとか、新基地を造らせないとか、様々な言い方がある。政府に訴えるとか、説得するとか、署名運動をするとか、選挙で国会に送るとか、心優しいかもしれないバラク・オバマに手紙を送るとか。そうではない、別の動きを今日は感じた。

訴えるのではなく、「沖縄に新しい基地を造らないと決めました」。そういう言い方が聴こえてきた。「造らないで下さい」ではなくて「造らない」という発想。それはガンジーの思想に、あるいはラディカルな民主主義に近い。


質問A(田中宇さん)
県民大会での(根源的な別の)動きはどこから来ているのか?

ラミス
沖縄で生まれたわけではない自分に語る権利がないのでよく分からないが、日本政府から「基地はどうする?」と訊かれたら、「どうすればいいかなあ?・・・まあ、廃止する」と答えるとする。いつ廃止するかといえば、世界平和が訪れた時にできるでしょうね。「だから憲法九条をすべての国に適応させましょう」となる。そうすると、世界平和になったら、沖縄に基地がなくなる・・・で、(結局基地は)動かないわけよね。

そこには一つのタブーがあった。「県外移設」です。「基地は日本におけばいい」。それは言ってはいけなかった。でも最近、その言い方は普通になった。

今まで沖縄の人たちは、基地をどこに置くか責任を持たなくてはならなかった。最近その言い方が変わってきた。「ヤマトゥに置くところがないの?それは困ったことですねえ」・・・それだけですよね。

質問B
「県外移設」といった時に、県外の方々から草の根で反対運動が起きた場合、どうしたら解決できるのか?

ラミス
“誰が”解決しなくてはいけないんですかね?私は解決できません。なんで解決の責任がこちらにあるのでしょう?基地があるのは日米安保条約があるから?日米安保条約ができた時、沖縄は復帰前で、その話し合いに入れてもらっていない。沖縄で「日米安保があって良かったか?」と調査をしたら、過半数を超えるでしょうか?日米安保条約に反対する日本人が昔はいたが、今はほとんどいない。

日米安保条約が欲しい。従って基地が欲しい。置くところがない・・・なんで沖縄で解決しなければならないのですか?日米安保条約を欲しい人が解決しなければいけないよね。「大変だね。ここ(沖縄)じゃないよ」というだけでいいんじゃないんですか。「反対運動が起きるから基地は置けない」。なるほど!辺野古ほど反対運動をしている場所がどこにありますか?


ここで時間終了だったのだが、「今の質問にお答えします!」と、例のごとく半ば強引にマイクをつかむ男性が若干1名いた。

真喜志好一さん
アメリカ軍が沖縄でどのように基地を維持してきたかを、アメリカ軍の文献で調べています。辺野古については1966年に3000メートルの滑走路を2本造り、深い大浦湾には軍港を造るという計画があったが、ベトナム戦争の出費でできなくなった。

1992年の普天間飛行場マスタープランの中に、普天間飛行場の第3ゲートは利用禁止区域にあるから、将来ここは潰して第4ゲートを造らなければならない等と書いてある。

つまり米軍は辺野古に基地が欲しかった。普天間は危険で困っていた。少女レイプ事件が起こり沖縄の人たちが「基地の整理縮小!」と怒ったから、うまい具合に「普天間を返します。その代わり辺野古『代替』基地を」となった。もし「辺野古を造りたいから普天間を返す」という言い方をしたら、県民全部が反対する。日米両政府のたくらみによって、うまくぼくらを二分することができている。

「普天間の代わりにどこにするか?」というと答えが出なくなる。なぜかというと、二つの答えを一つの方程式にして「代替」基地という名前にしてしまったから。x+y=1という方程式にあてはめると、x、yは無限になり、この答えは解けないことになる。問いのたてかたが間違っている。「新しい基地は造らせない」。「普天間は返せ」。二つの式にしなくてはいけない。

この興味深い議論については、後日見解を述べたい。というのは、この日はさらにこれで終わらなかったのだ・・・


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ガンジーの危険な平和憲法案
県民大会スナップ



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この記事へのコメント
物凄く行きたかったです。
Posted by カクマクシャカ at 2009年11月10日 21:32
マキシさんの解説素晴らしいですね!
「普天間即時撤去」「移設反対」こそ、今回のスローガンに掲げるべきであったと全く同感です!

私も今回の県民大会はレイプ事件がいつの間にか辺野古新基地案にすり替えられたように、
民意を「県外移設」にすり替えられる危うさを感じています。

草の根で各地で踏ん張っている人が果たして安保を受け入れているとは思えません。

ベトナム戦争時、生活の糧を得るための米軍基地を、基地従業員が自ら封鎖したのは、基地に自分たちの生活が危険にさらされるからだけではなかったはずです。

沖縄戦で生活の場を戦場にされたからこそ、遠い地の戦を、それに手を貸さざるを得ない状況を許せなかったのではないでしょうか。

沖縄が移設先を考える責任はもちろんありません。
しかし、権力が仮に移設先を制定した場合、それが沖縄であろうと、日本であろうと、アメリカであろうと、グアムもハワイも世界中どこでも、
それを容認してはいけないはずです。
Posted by ちえ at 2009年11月10日 21:39
>カクマクシャカさん

少しでも様子が伝えられたら良いのですが。本はお薦めです!
Posted by 24wacky at 2009年11月11日 00:04
>ちえさん

携帯からの長文ありがとう!思いが伝わってきました。

この議論、つまり「県外移設」といってしまって良い、という意見と、県外だろうとどこだろうと基地はいらない、という意見の対立。とても重要な議論であり、このところのメディアでいわれている「普天間移設問題」についての民主党の混乱と、それにより生じる日米同盟の危機などという、本質すらしまくりの議論より数倍大事だと思います。

できればこの場で実りのある議論が広がればと期待したく、自分のコメントは後にし、少し様子を見させてください。
Posted by 24wacky at 2009年11月11日 00:14
 
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