てぃーだブログ › 「癒しの島」から「冷やしの島」へ › いつか観た映画みたいに › 『アズミ・ハルコは行方不明』

2016年12月08日

『アズミ・ハルコは行方不明』

『アズミ・ハルコは行方不明』

 アズミ・ハルコ(蒼井優)を中心とする日常と愛菜(高畑充希)、ユキオ(太賀)、学(葉山奨之)の日常。後者の時制ではすでにアズミ・ハルコは行方不明になっているが、アズミ・ハルコの日常とのカットバックが繰り返される。それは回想という手法ではない。ユキオと学のグラフィティ・アートのユニット”キルロイ”によって、アズミ・ハルコの顔の落書きが町中に氾濫し、ネット上で噂になるという現象によって、アズミ・ハルコの日常と不思議な同期作用が起こる。その「異次元」に、男を暴行する女子高生軍団の(非)日常が「乱入する」という構成になっている。彼女ら/彼らに共通するのは、足利という地方都市に生きる閉塞感のような感情である、とひとまずいってみる。

 閉塞感からの脱出は困難だろうか。グラフィティ・アートはやがてアートディレクターの目に止まり地元のアートイベントに採用される。ユキオと学は成功を夢見たのもつかの間、イベントは集客に失敗、二人はあっさりとグラフィティをあきらめる。ユキオは大学を中退して始めた肉体労働の現場作業に戻り、学はレンタルビデオ店を辞めてしまったので、別の仕事を探すことになりそうだ。先は見えない。

 しかしながら、脱出は、いや、革命は可能だ。映画の最後で、ユキオに別れを告げられ自暴自棄に陥る愛菜に向かって、アズミ・ハルコが語るセリフによってそれは暗示される。

 アズミ・ハルコは消えることで他者に生命を与えるという映画的魔術。

『アズミ・ハルコは行方不明』
監督:松居大悟
出演:蒼井優/高畑充希/太賀/葉山奨之/ 石崎ひゅーい/加瀬亮
2016年作品
劇場:新宿武蔵野館


2016/10/22
第5章 高まりゆく楽観主義の背後に 『可能なる革命』概要 その6
 極端に危険な可能性を無視し、排除したことによって、楽観的なシナリオを過度に信ずるほかなくなる、ということがある。たとえば、10億円を動かす投資家がいたとする。彼は市場そのものが破綻する確率が90%あると直感的に理解している。とすれば、彼は10億円のうち1億円だけ投資するかというとそうではなく、なんと…




同じカテゴリー(いつか観た映画みたいに)の記事
『まく子』鶴岡慧子
『まく子』鶴岡慧子(2019-12-08 09:39)

『半世界』阪本順治
『半世界』阪本順治(2019-12-08 09:34)


 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。