2017年02月04日
『クラクラ日記』坂口三千代

本書の言いつくせぬ魅力についてつらつらと思い巡らすのが愉しい。安吾の「無頼」ぶりが側近の妻によって私小説的に綴られ、日本文学史的価値がある?安吾に劣らずの三千代の「非常識」ぶりがノー天気な解放感を読む者に与える?そんなことよりも、はじめに確認しておこう。著者の「書く」ことの豊穣な力量について。
蒲田(現在の矢口渡)時代。安吾はいったん書き出すと仕事部屋でひたすら集中した。その間、なにをすることもない三千代は、別の部屋で寝転がりながら、ひたすら本を読んでいる。安吾が三千代のために、どっさりと買い込んできたのだ。筆休めに顔を出した安吾は、君は幸せだね、などと三千代に声をかける。おかしみを含んでいるが皮肉ではない。そのうらやましい読書体験によって、三千代を歴史に残るエッセイの著者に変容させたといえないか。なにしろ銀座のバー「クラクラ」を経営しながら執筆、雑誌『酒』に昭和32年2月から42年3月まで、なんと10年という長期間に連載されたことだけでなく、1967年に刊行以来、このちくま文庫も1989年の初版から2016年の第九刷までと息長く版を重ねてきた事実に「クラクラ」してしまう。
三千代が安吾と初めて出逢ったのは、新宿のバーであった。それから同居を始める蒲田から伊東、そして「ついの棲家」となった桐生での二人の生活記録として本書を読むことができる。蒲田時代では安吾の精神錯乱で東大病院への入院、さらには執筆のための、しかし寒さで体調を崩してしまう残念な京都旅行などを含めれば、安吾の身体の「移動」、その欲動を察知できるのも魅力だ。
安吾はたまたま行った先でそのまま居着いてしまうという。計画的な引っ越しではない。生活の場所に頓着していないように読めるが、どうだろう。
柄谷行人は、『文学のふるさと』で安吾が例にあげる、芥川龍之介の遺稿に関する箇所に注目する。ある農民作家が原稿を携え芥川を訪ねる。貧困ゆえ生まれた子供を殺し石油かんに入れてしまう百姓の話を読んだ芥川は、いったいこんな話が本当にあるのかねと尋ねる。それは俺がしたのだがねという農民作家の答えに、芥川は突然突き放されたような気がした、という内容である。
安吾はこれに対し、次のようにいう。芥川は、自身が想像もできないような大地に根の下りた生活があることに突き放されたのだろう。それは彼自身の生活が根が下りていないためであったかもしれないが、「根の下りた生活に突き放されたという事実自体は立派に根の下りた生活であります」と、芥川を擁護する。そして、この「突き放す」ことが、文学の「ふるさと」であると打ち明ける。
柄谷は安吾の「ふるさと」論の分かりにくさを読み解く。
逆説的だが、「根を下ろす」ということは、「根」から突き放されることであり、いいかえればそのようにして「根」を感知することである。芥川に生活がないというならば、安吾にはさらに生活がなかった。安吾は、自分が下層社会を放浪し、「淪落の底」にいたからという理由で、芥川は「根を下ろしていない」といったのではない。安吾における「淪落」なるものは、実際は作品が作り出した誇張された伝説にすぎない。しかも、そういう体験がかりにあったとしても、たかだか右の農民作家のような作品しか生まない。
(『坂口安吾と中上健次』25ページ)
いったん離れた「地元」に「帰還」するという物語がある。その際、「地元」に「根を下ろす」ことに普遍的価値があるかのように語られる。対立語として「根無し草」による「放浪」がある。前者は保守的であり、後者は「自由」を志向する。しかし、このような思考は「現実」に対して盲目である。坂口=柄谷の逆説は、その間隙を突き放すことで突き刺す。
であるならば、安吾の身体の「移動」とは、「根を下ろすこと」は「根」から突き放されることであるという逆説の、一回一回の実践といえよう。それに突き放されつつ並走し、「現実」を書き得た三千代による「日記」は、荒涼とした一対の関係性を読む者に知らしめる。
『クラクラ日記』
著者:坂口三千代
発行所:筑摩書房
発行年月:1989年10月31日
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Posted by 24wacky at 19:58│Comments(0)
│今日は一日本を読んで暮らした