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2018年11月12日

『ここは退屈迎えに来て』山内マリコ

『ここは退屈迎えに来て』山内マリコ

 〈1 私たちがすごかった栄光の話〉は、地元に戻ってライターの仕事を始めた30歳の「私」が、10年間の東京生活からのUターン組という共通の経歴を持つ年上のカメラマンの須賀と、取材からの帰路、車を走らせる場面から始まる。二人の視界には幹線道路沿いに並ぶチェーン店の看板が入る。ブックオフ、TSUTAYAとワンセットになった書店、洋服の青山、etc…。須賀は刻々と廃れゆく街の景色に呪咀の言葉を吐きかける。自宅に戻った「私」はiPhoneでツイッターのタイムラインをチェックするが、東京にいた頃の微妙な知人が流す、「どこどこに行ったなになにを食べた」という類いの自慢げなツイートばかりが目につく。

 「私」は高三のときの親友で、一度も県外に出たことがないサツキちゃんと再会し、自分同様まだ独身であると知り、安堵する。二人は昔を懐かしむ勢いで、椎名にも声をかける。椎名は三年のときのクラスメートだがほとんど話したことがない。ちょっと近寄りがたい雰囲気だけれど、スクールカーストでいえば上位に位置し、女子の潜望の対象であった。しかし、再会した椎名は大阪からUターンした後結婚し、自動車教習所の教官をしていた。「私」はかつての輝きを失った椎名に対し切なさを感じる。

 その後、「私」と須賀は新しくできたこだわりラーメン店を取材する。店内の至るところに「相田みつをがヤンキーだったらこんな字を書いたかもと思わせる」字の散文が貼り出されていた。

 東京? haha! ここは東京のない世界
 俺はこの町で生きる
 仲間たちとこの町を守る
 地元サイコー!
 東京なんてクソ食らえ!
 俺たちの町に住む愛しきお前らに、最高の一杯、食わしてやるぜ!


 これに対して須賀はアンサーソングを書きこむ。

 Yo! Yo! 楽しそうで何よりだNa!
 俺は東京行ったさ文句あっか?
 ここで楽しくやってたら最初からどこにも行ってねーよバーカ
 あらかじめ失われた居場所探して、十年さすらった東京砂漠
 そうさ俺は腹を空かせた名もなきカメラマン
 いまだ彷徨う魂、高円寺の路地裏に残し
 のこのこ帰ってきたぜ! ラーメン食いに帰ってきたぜ!
 だからラーメン食わせろ‼︎ 今すぐ俺にラーメン食わせろ‼︎


 大澤真幸は、地方の若者が「イオン」「ミスド」「マック」「ロイホ」など、地元の固有性がないものにこそ地元をイメージさせるものがあると感じ、濃厚な人間関係よりもむしろその希薄さに魅力を感じていることを、「地元」の否定の否定という意味で〈地元〉と表現した。

《もはや東京に魅力を感じない若者たちは、〈地元〉指向へと反転する。しかし〈地元〉は、何か積極的な魅力をもつがゆえに指向されているわけではない。それは、東京への失望、東京の否定の表現である。若者たちのこの〈地元〉指向は、オタクが特殊な主題Pへと執着するときに効いている機制とよく似ている。》
《オタクは、特殊な領域の中の繊細な差異、些細な情報的な差異を見いだすことに情熱を傾ける。しかし、この表面的な特徴に騙されてはいけない。オタクの本質とは、普遍的なものUへの関心が、きわめて特殊なものPへの常軌を逸した愛着として現れるという反転にあるのだから。》

 ブックオフ、TSUTAYAといったチェーン店が連なる風景に対して、地元愛溢れるラーメン店の店主は親和的であるのかどうなのか。あるいは「こだわりラーメン」はどうだろうか。「普遍的」なチェーン店に対し、「個性的」なこだわりを強調するベクトルは、オタク的なPへの愛着といえる。両者には「普遍」と「特殊」という対称性があるようにみえる。だが、「こだわりラーメン」こそ東京的消費のイメージだとすれば、店主は東京を否定しているようで東京に「こだわって」いる。つまり、チェーン店(普遍)を否定し、こだわりラーメン(特殊)を代理させるが、そのこだわりは「東京的」であり、いささかも特殊ではない。その意味でチェーン店とこだわりラーメン店は50歩100歩である。

 その矛盾を見破った須賀は「ここで楽しくやってたら最初からどこにも行ってねーよバーカ」と切り捨てる。だが、その須賀にしても、〈地元〉に「のこのこ帰ってき」たのであり、そうであればラーメンを食うしか術がない。須賀もこだわりラーメン店の店主も、そして「私」も、普遍的なものUへの関心が自分達にあるのかないのかすらわからない。だから「ここは退屈」なのだ。だが、「退屈」という否定形でしか現せないなにかを否定しない方がよいだろう。それを「迎えに来」るものがいるのであれば。

『ここは退屈迎えに来て』
著者:山内マリコ
発行:幻冬舎
発行年月:2012年8月25日


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