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2018年12月16日

『越境広場 5号 特集:どこから、どこへ─復帰後沖縄の転換点』

『越境広場 5号 特集:どこから、どこへ─復帰後沖縄の転換点』

 〈巻頭座談会 復帰後沖縄を巡って 高嶺朝一×長元朝浩×若林千代×仲里効〉では、沖縄の復帰後という長いスパンについて議論が展開されるが、本題に入る前に、直前に急逝した翁長雄志沖縄県前知事についての評価が話題となる。特に司会の仲里効と若林千代とのあいだで大きく評価が分かれるその内容が興味深い。

 まず、若林は翁長氏急逝後に開かれた八・一一集会に参加した時の印象を次のように語る。参加者から「自分たちはいったい何をやってきたのか」というように自分を省みる言葉がたくさんあった。心がざわついてとにかく集会に足を運んだそれらの姿を見るにつけ、沖縄における政治家と民衆のあいだにある心性について」考えた。そして「ああ、沖縄だな、というか、沖縄の歴史の核心部分にあるものを改めて感じることができた」と語る。

 仲里は、名護市、宮古島市、石垣市、宜野湾市の各市長選でことごとく敗北した原因を問わなければならないのに、集会やメディアを通した総体的なイメージ〈哀悼の共同体〉が沖縄を包み込み、物事を見えなくさせていると批判する。「あらゆる手段を使って」「新たな基地は造らせない」というメッセージをスローガン的に反復しているだけで、現実の政治では、辺野古新基地建設をめぐる手続き、高江ヘリパッド建設への対応など、「闘う知事」のイメージとは明らかに乖離している。県民が翁長知事を選んだところに根本的なジレンマがあった、と。

 これに対し、若林は翁長氏を選んだこと自体を問題とするのは飛躍だとした上で、県知事選での翁長候補のスローガン「イデオロギーよりアイデンティティー」について、翁長氏がこの間発してきた言葉から推すと、こだわったのは「イデオロギー」の方ではないかと述べる。さらに「アイデンティティー」という言葉については、反射的にナショナリズムをイメージさせるために知識人から批判が上がったが、自分は異なる見解をしているという。

 しかし、私自身は、「アイデンティティー」自体はオープン・クエスチョンという感じで受け止めていました。つまり、それは、所与の出来上がった「沖縄アイデンティティー」があるのか、エスニックな「沖縄アイデンティティー」、あるいは、ウチナーグチに象徴されるものを意味するのか、それとも、「安倍には負けない」という歴史的政治的主体のことを指しているのか、あるいは、時代や人びとの生活とともに変化していくものなのか、どのレベルで考えるのか、一人の人間から集団に至るあらゆる組み合わせを考慮した文脈が重要になりますからね。とにかく、深く丁寧に繰り返し問い直されるべき主題ですよね、大きな問いと思います。
(16ページ)

 私の翁長氏についての評価はほぼ仲里と同意見であるが、政治(家)の言葉と、その呼びかけに対して立ち上がる沖縄の人々の政治的主体に関心がある立場からすると、若林の見解は熟考させられる。

 「アイデンティティー」という言葉はふわふわっとした曖昧なカタカナ言葉であり、それゆえ「オープン・クエスチョンという感じで受け止め」る素地があるともいえる。政治家として秀でた嗅覚を持つ翁長氏は、だからこそ、あえて多様な意味に捉えることができる言葉として、戦略的に選んだのだろう。

 問題はその戦略とそれを越えた政治的意味である。今ここで詳述する余裕はないが、今後吟味すべき論点である。一点だけ述べるとすれば、「イデオロギーよりアイデンティティー」は、もう一つのスローガン「オール沖縄」とつねに対で発せられていたことに留意したい。これらを組み合わせれば、「アイデンティティーで一つにまとまるオール沖縄」と、私には読める。この場合、すなわち対日本(政府)という文脈でいえば、「アイデンティティー」をほぼ一義的に「民族」と解釈するのは私だけだろうか(民族で一つにまとまることを必ずしも否定しているのではない)。

 集会の印象については、この間沖縄を離れ情勢がわからず、その場にもいなかった身としては、コメントが難しい。もっとも、たとえその場にいたとしても、その受けとめを言葉に現すことは容易ではないだろう。いつか若林さんに直接話を聞いてみたいものだ。

『越境広場 5号 特集:どこから、どこへ─復帰後沖縄の転換点』
発行:越境広場刊行委員会
発行年月:2018年11月5日


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