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2010年01月15日

そして船は行く 新しいアソシエーションのために 11

インターネット市民メディアが発展しない理由

前回記事の終わりに「問題はネットを利用したオルタナティブ・メディアがどれほど有効か」と書きました。今回はそのことと関わることを書いてみます。結論的なことを先に書くと、日本には強い社会が育っていないということなのですが。

私はこれまでインターネット新聞JanJan、オーマイニュース(日本版)という2つのインターネット・市民メディアに契約記者として記事を書いてきました。それぞれ事情があり、後に契約を解除しました(その理由はこれから書くこととは関係ありません)。

JanJanは韓国のオーマイニュースを手本に、2003年に立ち上げられた日本初の本格的市民メディアといえます。これまで奮闘してきましたが、経営が正念場を迎えた昨年、編集部を大幅にスリム化、さらに本年度からサイトをブログ形式に簡素化し、継続の道を模索しています。オーマイニュース(日本版)は韓国本家が日本に上陸し、2006年に日本版を創刊し話題を呼びましたが、昨年4月閉鎖されました。この2社以外にもインターネット上の市民メディアというのは、無くなったもの、継続中のもの、合わせていくつかあります。それぞれの個別事情はあるでしょう。ただ、私が書きたいのは個別事情についてではなく、もっと大局的なことです。

2006年オーマイニュース(日本版)創刊直前、来沖したオーマイニュース社長オ・ヨンホさんを案内したことがあります。そのときの印象に残るエピソード。それは普天間飛行場を見渡せる嘉数展望台に案内したときのことです。「世界一危険な基地」の広大なパノラマを前に、私が一通りの説明を終えると、彼はこう応じました。「これだけ住宅地が近くにあるような危険に晒されていて、基地に対して怒りの直接行動を起こす人がいないのはなぜですか?韓国ならとっくに行動しているのに」。

このエピソードは、インターネット・市民メディアが日本で発展し難い理由を暗示している、2つの市民メディアを経験した私にはそう思えてなりません。

韓国にはそのような行動を起こす市民が育つ歴史的土壌があるのでしょう。だから当時のノ・ムヒョン政権誕生に影響を与える市民メディアが成立したのです(現在のオーマイニュースは苦戦しているようだが)。

ところで、宮崎学は、家族、村落、地域共同体、学校、職場、労働組合、同業者の組合、などなど様々な各種団体を「個別社会」と呼びました。ヨーロッパではこれらが発展することにより、個人も強くなった。そこに市民意識・パワーが生まれる。
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そのような意識やパワーは当然のことであると、オ・ヨンホさんはいいたかったのではないでしょうか。

一方、日本にはそれがない。なぜないか?宮崎によれば、明治維新政権の外発的な近代化によって、さまざまな地域集団、職能集団の自治が、封建的であるからという理由で徹底的に破壊され、それによって個人が発達しなかったから、ということになります。

柄谷行人は、和辻哲郎、丸山真男らを引用し、宮崎の考え方を発展させます。和辻によると、日本人は公共性に無関心である。どういうことかというと、西洋では、個人は城壁によって囲まれた共同体にはぐくまれるのに対し、日本では個人は「家」の中にある。城壁の内部で、人々は敵に供えるため一致団結する。個人を埋没させようとするこの共同性が逆に個人の権利の意識を全面に出させる。つまり公共的なものへの関心が、個人を強くさせる。それに対し日本人は「家」を守ることしか考えていない、つまり公共的なものへの無関心、となるわけです。

ここで重要なのは、城壁に囲まれた共同体(宮崎いうところの「個別社会」)に属していることが、逆に個人を強くするということ。このことはまた後で出てくると思いますので、覚えておいてくださいね。
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さらに、丸山真男の4つの区分けによれば、日本人は、③私化 政治活動を一切拒否、私的な世界に立てこもる、④原子化 ③同様政治的なものから切り離されているが、私的な核もなく、流れのままに浮遊する、という傾向にあることがわかります。
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この負の遺産は近代以降1990年代まで続きます。柄谷によれば、労働組合、部落解放同盟、朝鮮総連、大学(教授会)などの自治が、メディアのキャンペーンにより封建的、不合理、非効率などと散々非難され、2000年に消滅してしまった。このように個別社会あるいは中間勢力がない日本を、専制社会ではないかと柄谷はいいます。
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ただし、例外的に沖縄は自立的な社会が残っているともいっています。
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まとめると、日本には公共性に無関心な私化した個人が多い。かれらには市民として社会を発展させようなどという気はないのです。だから自由な公共空間であるインターネットを活用したからといって、それだけで市民メディアが育っていくことなどありえない。私は自らの経験も踏まえて、そう思います。であるならば、それに対抗するアイデアを生み出す必要があります。



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