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2010年07月29日

「唐獅子」第3回 共通感覚をトランスする

沖縄タイムス文化欄連載コラム「唐獅子」の本日掲載分です。

共通感覚をトランスする

前回の「沖縄メディアの位置」では、世界一の購買数の新聞について書いた。掲載後新鮮な驚きともいうべき反応を、何人かの方から直接いだいた。

私はこの「驚き」に驚かされる。驚かされるとは、切り啓かれること、刷新されること、なにとはなしにそうだと決めてかかっていたことの前提がはずされるといったような意味でここでは使う。

さらにこの前提をコード(共通感覚)といい換えてみる。掃除機とコンセントをつなぐ、パソコンとディスプレイをつなぐ、あのコード。

「日本人」の共通感覚でいえば、沖縄では2つの地方紙が圧倒的なシェアを占め、「世界一の」大新聞を「内地新聞」などと呼んでいることなど思いもよらない。他方で、沖縄の共通感覚からすると、日本で圧倒的なシェアを占めている新聞制度と、そのことが何をもたらすのか(とりわけ沖縄にとって)という視点が得難いということもある。

私の驚きとは、いわばこの間隙に、共通感覚を横断する素っ気ない運動を見てしまったことによる。それは私に伝えた彼らの驚きと共振してのものだ。

「オキナワからヤマトを、ヤマトからオキナワを読む、そこはひんやりしたアンビエント空間だ」。これは私のブログ「癒しの島」から「冷やしの島へ」のサブタイトルである。

「ヤマト」と呼ばれることに自覚的でない独断性に対してはシマのエモーションを擁護し、「民族」を自明のものとして疑わない独断性にはその起源を問う。

そのポジションは、第三者的な、客観的なものではない。いわんや超越的な「神の視点」などであるはずがない。

5年前のスタート時に書いたブログ記事で、細野晴臣の発言を引用しつつ、アンビエントについてだいたいこんなふうに説明した。

台風が来て「うるさい!」という人はいない。台風にはどんなに激しくても静けさがある。それは動かないのではなく、とても激しく動いている。でも静かだ。ハイでもローでもない緊張感を保った精神状態とでもいうような。

私はこのひんやりとした、激しく、静かで、不安定なポジションにトランスする。






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この記事へのコメント
昨日のustうまくいった?
Posted by 攝津正 at 2010年07月30日 21:54
途中から音声のみ切れるという現象がまた発生した。原因が分からないので困ったものだ。
Posted by 24wacky at 2010年07月31日 02:45
 
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